2009年11月13日 (金)

家の異音、早速修理してもらった。

昨日と違って、カテゴリーを「住まい・インテリア」に変更した。本日は修理に限定してのブログであるから。

昨夜、学校の先輩で、度々ブログに登場するHさんから電話があった。「ブログを読んだ、その程度の修理は僕がやるから」というものであった。確か数日前、異音で困っている事を、彼に話した事を思い出した。

塀の修理や、壁や瓦の塗装、庭木の剪定、大型の門松作製など、土木工事については殆ど自分で作業するHさんであるが、今回は狭い床下に潜っての作業なので、彼に気の毒であり、出来る事なら自分で作業をと思っていたが、本人からの申し出なので思い切って甘える事にした。

車に電気ドリル、電気ドライバー、のこぎり、カナツチ他多くの道具を積み込んで彼が来た。僕は彼の到着前に、床下に潜り込む場所として、以前シロアリ業者が作業のため潜った場所の畳を上げ、床板も外し出来るだけ早めに作業が終了するように気遣った。

潜った後、暫くして這い上がって来た彼は、昨日のブログでのKさんが採った方法と違うやり方を提案した。僕としては全て彼に託しており、異音を防止できれば目的を達成できるのだから、やり方はどちらでも構わない。

彼の提案する方法は、床板(合板)を支えている桟に、数本の樽木を追加して間隔を縮める事で、支えを強化するもので、必要な樽木とねじ釘を購入後、作業に入った。樽木の大きさは、4.5センチ*4.5センチ*200センチである。

70歳を超えるHさんであるが、釣り用のキャップランプを頭に付け、身軽に狭い床下に潜り込んで行く。勿論、僕も彼の作業を何もせず、ただ見ていた訳ではない。彼の指示で、樽木を決められた長さに切断したり、切り込みを入れたりした。

昨日、安普請なる言葉を使ったが、潜ってみるとまさしく住宅の土台はこの程度のものなのかと、驚くばかりである。低価格の住宅だからかもしれないが、コンクリートの土台の上に乗っている木材などは、見るからに廃材のようにも見え、心許ない限りである。

作業は買い物に使った時間を含めても、2時間足らずで終了し、流石に異音は全く発生しなくなった。有難いことである。彼にとっては、さほど難しい作業ではなかったにしろ、全身泥にまみれて作業したHさんに、心から感謝の意を伝えた。

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2009年11月12日 (木)

とかく安普請の家は・・・・・・

居間の一部が、そこを通るたびに異音を発し始めて既に3ヶ月以上経つ。これで2箇所目であり、1箇所目の廊下の異音は、尋ねてきた友人Kさんが、床下にもぐり短時間で修理してくれた。電気店経営の彼にとっては、朝飯前の簡単な作業であったと言う。

今回の場所は前回より広範囲にわたり、ギー、ギーと不気味な音を発する。堪らずKさんに電話を入れた。手術しなければならないほど、腰を悪くしている彼には到底頼めないので、意を決して僕がすることにした。

修理の仕方を聞いてみると、理屈的には理解できた。要するに床下に固い、例えばブロックなどを敷いて、それと床板の間に板を入れ、それを持ち上げ固定するジャッキ様(DIYショップに売っているらしい)の機器を使えば可能との事。

いずれ近いうちに実行予定である。出来るかどうかは自信が無いが、まあ、床下に潜ってみよう。

もともと家を持つ気持ちは、全く持っていなかった僕は、家賃を払い続けるより、自分のものにしておいたほうが、有利かもしれないと思い直し、深く考えもせずに、それも見せられた2軒目で決めたので、業者が驚き「本当に良いのですか」と聞き直したほどである。僕が51才の時である。

住めさえすれば良いと考えているから、各所の点検や説明など聞かず、住み始めて17年経ったが、その間10年間は転勤と、親との同居の為に、空き家のままにしていたので、正味住んだ期間は7年程である。

安普請の、しかも借家用に建てられた家らしく、狭い土地に建てているので庭など無い。それでも自分の持ち物となると、大事にしたい気持ちが沸いてくるから不思議である。借家住まいをしていた頃は、考えもしなかったことだ。

当たり前のことだが、金を掛けてない安普請の家は、自然にメッキ剥げて来て、不都合箇所が出てくる。今後も多分あちこち出て来て、その都度手入れを余儀なくされる事であろう。今となっては安物買いを後悔しているが、当時はそれが精一杯の買い物であった。25年以上も家賃を払い続けていたのだから。

利口な人達は、若い頃からマイホームを持つ。それはそれで素晴らしい生き方である。僕の娘夫婦も先ほど、高価なマンションを買った。大都会だから、その程度は普通の価格かもしれないが・・・・・。月月の支払額も僕の常識をはるかに超える。

考えてみると、マイホームの為に一生働き続けるような人生は、自分で選んだ買い物であるとは言え、どこからか何かの魔力に支配され、買わされているのではと思うことがある。皆が買うなら僕もと、横並び意識がそうさせるのかも知れない。

娘たちの場合は、亭主が65歳迄払い続けることになるらしい。何千万円を30年以上払う事など、冷静に考えると狂気の沙汰ではないのかと思う。しかもこの時代、生活の保障は何年先まであるのであろうか、そのような不安もあるはずだ。こう考えたとき、「僕に幾ばくかでも余裕があれば、娘たちに加勢出来るのになー」と思う事がある。支払う金額の大きさから、それを親バカだと、笑って済ませられる事であろうか。

僕のサラリーマン2年生のとき、2年間のローンを組んだ。その期間でさえ、不安を感じたのに、僕らは何時頃から、数十年の長期ローンに不安を感じなくなったのであろうか。そのようにして入手したマイホームも、永遠ではない。僕の家みたいに、十数年で手入れが必要になる家もあるのだ。いずれ資産価値が消滅する住宅が殆どであろう。

僕は最近、払ったローンの金利も含め住宅購入に要した金額を、好きな旅行などに使うべきであったと、短絡的に有利であると判断し、マイホ-ムを求めた行為を、少し後悔している。いまさらどうにもならないことは承知しているが、多くの人と同じ道を選んだ生き方にも、何だかつまらなさも感じる昨今である。

家の不具合から派生して、日本人の人生最大の買い物と言われる、マイホーム購入にまで思いを至し、つい言及してしまって、つまらない呟きになってしまった。

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2009年11月 9日 (月)

半年振りのマラソンに疲れたが、松野 明美さんとツーショット写真を。

本年4月26日が、湧水町で行われた本年前期のマラソン最終出場日であった。それから半年が経ち、申し込みの締め切り間際に知った競技が、昨日8日(日曜日)に行われた「西郷どん御狩場マラソン」である。

場所は薩摩川内市高城(たき)温泉郷で、行った事はないが鄙びた温泉で、「全国名湯百選」に選ばれる程の泉質らしい。半年も走っていないし、昔痛めた左足半月板の痛みが、再発したかに思えた頃であったので、大事を取って5キロ部門にエントリーした。コースは3キロ、5キロ、10キロであったが、今回は10キロを走る自信が全く無かった。

当日は6時50分に家人と共に家を出た。1時間半程度で指定駐車場に到着出来ると思われたが、行った事がない場所であったので、余裕を見て2時間前に出発した。日曜日の早朝なので、1時間ちょっとで薩摩川内市へ着いた。ファミレスで朝食を採り、案内図を頼りに指定の第2駐車場に着いたのは、8時半過ぎであったが、既に駐車場はほぼ埋まっていた。

会場までシャトルバスが運行されていて、幹線の国道3号線から逸れて、田舎道を走ること15分程度で、会場の小学校の運動場に着いた。掲示板には、参加者は700人で締め切った旨の張り紙がしてあった。この狭い道ではそんなに多くが走れないのかも知れない。

何処の大会でも受付時に貰うのが、紙バッグに入った大会用冊子、バスタオルかフェースタオル(当然大会名などが印刷されている)、お土産(今回は紅白の餅)等で、冊子には食事、飲み物、温泉入浴券等が同封されている。

受付用のテント

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何回か出場するうちに、大会の雰囲気には何とか慣れた。9時から開会式があるとのアナウンスがあり、体育館に入った。市長、商工会長、実行委員長など、お決まりの人達の挨拶に続き、今回が20回の記念大会であるからであろうか、ゲストランナーとして、同郷の松野 明美さんが紹介された。

彼女が未だ有名でなかった頃、熊本市のビッグウエーという会社で働く彼女と話したことがある。もう20数年も前の事であろうか。お客と店員という立場であったが、その頃少しずつ名前が売れ始めていたので、マラソンについても話したのだろうか、全く内容は覚えていない。

同郷の縁とは不思議なもので、これが熊本県内で会ったのであれば、彼女に声を掛ける事はまずないのであろうが、県外で会った事でなんとなく親しみが湧き、式終了後彼女に話しかけた。現在もTVに出ているらしいが、僕は観た事がない。

嘗てビッグウェーで話したこと、住居の事など話したあと、ツーショット写真を撮った。小柄で少々甲高い声であったが、同郷の誼なのか、ニコニコ顔で話して呉れた。一見華やかで、結構有名人であるらしいが、私生活では障害児を抱え、苦労をしている事を家人から聞いた。しかしそのような暗さは微塵も感じさせなかった。

松野 明美さんと暫し談笑

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彼女とのツーショット

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5キロコースは、スタートから一旦ゴールとは反対方向に走り、折り返したあとゴールに向かう変則的なコースで、スタート地点から折り返し地点までは下り坂、再度通るスタート地点からゴール迄の3キロは、延々緩やかな登りの連続であった。

131人がエントリーしている5キロコースは、10時20分にスタートした。後で判った事であるが、50歳以上の部では僕より年長者は6人であった。中間くらいに位置してスタートしたが、折り返しまでの下り坂でも、直ぐ疲れを感じ始めた。室内のランニングマシーンとはペース配分が違うからかもしれない。ついつい前の人を追い越そうと早足になるようだ。全身の疲れでは無く、息苦しいのである。多分大半の人も同じように感じているハズと言い聞かせ、ほぼ毎日マシーンで練習していることを拠り所に、マイペースを守る事で完走を目指した。

スタートする僕

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折り返し地点で僕を撮影しようと待っていた家人に、笑顔で手を上げたが、実はそのポーズとは裏腹に、息が上がりかけていた。ずっと緩やかな上り坂が続く。遅い10人程度は抜いたが、僕も数名から追い越された。実に情けなくなった。日頃の練習(と言っても30分程度)は何だったんだと自分に言い聞かせるが、足は速くならない。

農村なので人家は疎らである。それでも家の前で、頑張れの声と共に拍手したり、中には鍋蓋を二つ合わせ、それを敲いて応援してくれるおばさんもいた。僕はにっこり会釈を返すが、心臓はパクパクだった。来年の「菜の花マラソン」は大丈夫だろうかと、不安がよぎる一瞬もあったが、何とか沿道の応援や、スタッフの声に励まされゴールした。全くと言ってよいほど平坦や、下り坂が無かったのが堪えた。

折り返し、スタート地点からゴールへ向かう

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何故こんなに苦しい思いをして走るのだと思う道中であったが、心臓の鼓動が正常になり落ち着いてくると、その達成感、爽快感に「走ってよかった」と思うのである。何と落差のある思いであることか。

結果、タイムは29分13秒で30分を何とか切れた。順位は全体で62位で、50歳以上では男女合計52人中27位であった。アトラクションの太鼓演奏に続き、成績発表、表彰、万歳三唱が行われ、地元の有名焼酎「村尾」などが当たる抽選会が行われた。ひょっとすると僕にもと、期待をこめて待ったが残念ながら・・・・であった。

アトラクションほか抽選会などが行われた閉会式会場

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ここでも、松野 明美さんは主役であった。3キロを走った後、10キロも走ったそうである。毎日15キロを走って維持しているそうだから、アマチュアの僕などが4キロ程度を走ることで満足するなど、努力不足としか言い様がないだろう。

山間には不似合いといえるような、大きなホテルの温泉はランナー達でいっぱいであった。ヌルヌルした温泉水で1時間余り身体をほぐし、明日から「菜の花マラソン」に向け練習しようと決意しながら、来た道を引き返した。

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2009年11月 8日 (日)

遺跡発掘を体験した。

7日は現在受講中の考古学講座、「南九州の縄文に学ぶ」の第4回目の講座で、実際に現在発掘作業中の遺跡を見学し、しかもその発掘作業を体験するもので、是非受講したいと思い、希望者募集には躊躇わず申し込んだ。

バスの定員46名で打ち切ったその全員で、霧島市から鹿児島県出水市野田町の遺跡へ向かった。ほぼ8割が女性で、そのうち多くが県立埋蔵文化センターで働いているらしい。僕等夫婦は溝辺町から、途中乗車させて貰った。

現地は西回り高速道が予定されているルート上にあるため、その建設に先立ち発掘作業が進められている。聞くところによると、一日平均50名程度の見学者があるらしい。プレハブではあるが、発掘現場には事務所が数棟設置され、遺跡の発掘がこんな大掛かりで行われる事に驚いた。

さすが勉強会なので、車中は行楽気分ではない。引率する講師の先生が、遺跡について持つ知識を皆に教える。それでも女性優位のバスの中、途中道の駅に寄った後は、買った品物等について生活を匂わせる発言や、賑やかな笑いも。

途中、薩摩町永野別府原で、「地下式板石積石室墓」と、なんとも難しい読み方の、古墳を見学した。詳細は省く。

訪れた遺跡の名前は「中郡遺跡群」で、鹿児島本線野田郷駅から1キロ足らずの距離にある。そこは島津氏初代忠久の居館跡といわれる、「木牟礼城館跡」を含むもので、この館跡と関連すると思われる建物跡や、青磁などの輸入陶磁器が多く発見されているらしい。

さらにその場所は、縄文時代の集石(調理施設)や落とし穴などもあり、その後の中世時代の、竪穴の建設跡(作業小屋)や掘立柱の建物跡やかまどの跡もある。発掘担当者の説明を聞いているうちに、僕はすっかり空想の世界に入り込んでしまったようだ。多くの疑問が生じたり、不思議に思う事を、他の人には奇異に移ったかもしれないが、担当者に質問をし続けた。流石に実地に経験している人達である、実に明快な答えがよどみなく返ってきた。

主な遺物(使っていた道具等)は、縄文時代のやじりや石斧、木の実をすりつぶす石皿などが、中世では中国から輸入された青磁や白磁、石鍋などが出土するらしい。その時代の人々の生活を想像するだけで、胸が躍る。

遺跡現場

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説明する担当者

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溝状遺構

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竪穴建物跡

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集石

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遺跡全般に亘り説明を受けた後、実際に発掘作業を経験する事になる。そこではかなり前から作業が継続されており、ヘルメットを被った作業員が我々の指導に当たる。道具は移植ゴテ、竹ヘラおよび手箕(てみ)と呼ぶ掘った土を運ぶ道具である。

薄く丁寧に、土を削るように掘る。掘った土は手箕に入れ、土置き場まで運ぶ。もし何かに当たったときは土器や石器である可能性が高いので、移植ゴテを使わず、竹ヘラを使って丁寧に掘り出す。出てきた土器や石器は出てきた場所から動かさないで、目印に竹串を立てる。このような指導があり、子供を含むたくさんの人達が、発掘作業を楽しむように体験した。

発掘作業をする見学者達

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発掘作業する筆者

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発掘された遺物

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この作業を持って、今回の遺跡群現地説明会と体験発掘を終了した。僕としては、まだまだ勉強したい事が多く、配られたアンケートに、今後も継続してこの講座が開かれるように御願いした。若干消化不良の感が残ったが、まずは発掘体験を含めた遺跡の見学に、満足した気持ちで帰宅したのである。

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2009年11月 5日 (木)

ドラゴンフルーツの樹を貰った。

何時に無く、行事のない日を過ごしている。月曜日(2日)は前回のゴルフコンペから5日目に、別のコンペに誘われプレーした。特筆するようなプレーも無く、そこそこのスコアで上がったので、ブログで取り上げる記事でもない。最近こんな短い間隔でプレーしたことがないので、一番の弱点である腰の痛みを気にしながらのラウンドであったが、無事乗り越えた。

相変わらず自治会のグラウンドゴルフだけは、週2回程度プレーする。平均年齢73,4歳と思われるが、実に良く笑う仲間である。嘗てこんな明るいグループを、僕は見た事がない。笑い声が絶えないその魅力に惹かれ、僕も家人も通っている。よそ者の僕等を暖かく迎え入れて呉れ、心から有難いと思っている。全く無表情の婆さんが一人居るが、それでも楽しいのであろう、ほぼ皆勤である。

その会の先輩から「ドラゴンフルーツを育ててみないか」と声を掛けられ、大きな鉢植えのそれを貰った。何度も書いたように、僕の家には庭と呼べるような土地はない。いわゆる通路に、買ってきた土を敷き詰め、何とか小さな植物を植えているだけである。

それでも、この植物は地植えが適していると言われ、時間を掛け鉢から取り出し、地面を掘って移植した。全く自信が無かったが、以来2週間以上経つが、枯れたようには見えない。

ただ、葉と呼ぶのか茎と呼ぶのか、その部分が肉厚なので、枯れるまでには相当の時間がかかると思われるので、枯れていないと断じるには、尚早かも知れない。

その実を2,3回食べた事がある。白色の果肉に黒色のツブツブが混じり、まあまあの甘味がある。南国の果実であるらしいが、確か岐阜県でも温泉熱を利用し、大々的に栽培している事をTVで見た。

興味半分で返事して、貰ったのであるが、植えた以上何とかモノにしたいのは当然である。朝起きると、枯れていないか点検に行く。特に寒い朝は、その横に植えたハイビスカス共々、霜にやられていないか気になる。

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狭い通路には、そのほかブーゲンビリア、ポポー、びっくりグミ、のうぜん桂、バラなど所狭しと植えているが、今回はそのブーゲンビリアとドラゴンフルーツの写真をアップして、今日の締めとする。来年の夏には、赤紫色のフルーツが1個でも千切れるように、期待しながら。

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2009年11月 1日 (日)

根付いた「ごみの分別、減量化」

当地へ引っ越して驚いたのが、ゴミの分別に厳しい事であった。週2回出す事が出来る燃えるゴミは、有料の黄色ポリ袋に入れ、氏名を書かねばならない。この程度は特別面倒なことではない。

引っ越して直ぐ、自治会から「姶良町ごみ分別辞典」なる99ページに亘る冊子が配られた。ざっと目を通したが、その余りに細かい分別に驚いた。「こりゃーたまらん」とお隣に実情を尋ねた。

「直に慣れますよ」との返事であったが、未だにこの辞典を見ないと、分別出来ないモノもある。ここまでする必要があるのか僕には判らないが、その面倒な作業をこの町の住民はやっているのである。全国の自治体の「ゴミ分別」実態を知らないので、比較が出来ない事ではあるが、実に立派な事ではある。資源の有効活用で環境保全を実現するためには、このようなリサイクル活動は絶対必要であろうから。

2年以上住んでる間に、ようやく作業に慣れてきた。紙類は「新聞紙と広告チラシ」「ダンボール」「それ以外の冊子、紙類」に大別し、指定の紙紐で十字に括る。空き缶は飲料缶と食用缶に大別、必ず洗って缶はつぶさない。ボトル缶のふたは「燃やせないごみ」として出す。ビンは色により4つに大別する。当然洗って、水を切って出す。

ペットボトルはこれも当然、洗って出す。大量に発生するのがプラスチック類である。我が家では布団圧縮袋にそれらを入れて、月1回の回収日まで保管する。傑作なのは、使い終わった食品のポリ袋を洗剤で洗い、乾かすために物干し竿に下げている風景である。ここまでやるのかと、驚いた。只でさえ狭い家の中に、大きく膨れ上がった袋が、2個、3個ほど占めるのだから、回収日が待ち遠しいと家人は言う。

てなことで、殊勝にも真面目顔してゴミについて実情を述べたが、これらの作業は殆ど家人がこなしている。立会い業務のノルマも課せられているが、僕はただ1回だけ、代理で出たことがある。与えられた仕事は、回収袋に集めた缶や瓶、ペットボトルの計量、括られた紙類の計量であった。

大忙しの立会人達

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計量して記録後保管準備

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11月からは、ごみの持ち込み時間が冬時間になり、8時になったそうだ。夏場は7時であった。40分の間に持込をしなければならないため、結構混雑する。

今朝は家人も担当であったので、8時前に出かけて行った。僕は車にゴミを乗せ、持ち込み場所へと出かけた。雨の予報であったから、早めに出そうという人が多かったのか、挨拶が飛び交う中、立会人たちが忙しそうに動き回っていた。

このゴミに関して、記録に残そうと思っていたので、ゴミを出した後カメラを持って、幾らか人出が減った時間帯の撮影をした。自治会の役員に尋ねたところ、対象軒数は約80軒であるという答えが返ってきた。

集められた袋は、山に積まれて業者を待つ。(80世帯約1か月分)

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2009年10月31日 (土)

ロングで13打も・・・遊びとはいえ舞い上がって

Img_2750_4 年に2回春と秋、元職場の仲良し仲間が集まり、ゴルフと飲み会を楽しむ。今回は人吉市の球磨カントリークラブが、会場に指定された。嘗て、日本プロの会場になったこともあるチャンピオンコースであると聞いている、27ホールを持つ当地では名門クラブである。

僕は20年前くらいに2回プレーした経験がるが、昔の事とてコース内容も、地理さえも覚えていない。10名が熊本市から、僕とHさんと2人が鹿児島から同クラブへ集まった。霧の深さで有名な街であるが、当日も深い霧に包まれ、高速道路もライトを点灯して走った。

高齢者のコンペであるから、僕の提案でスタート前で記念写真を撮ったあと、準備体操を行った。過去の経験から、柔軟体操をする事は、足腰の突然のトラブルに効果的である。

コンペと言ってもプライベートであるから、オール6インチを適応、難しいルールは使わない。組み合わせについては、既に幹事長から通達されていた。既に霧は晴れていて、実に爽やかな快晴である。僕は第一組で、オナーを引き当てた。

僕は全員を呼び寄せ、「第一打目を打つから見ていてくれ」と頼んだ。場の雰囲気を盛り上げるためにでもあったが、意外に自分も落ち着くのである。

「ナイスショット」の声は発せられなかったが、それでも180ヤード前の左のラフに止まった。僕にとっては上出来である。2打目はラフに食われた上に、大ダフリで80ヤード。それでも慌てなかったのは、自分の実力がその程度であることを知っているからである。年に1回程度の練習に加え、月1回のプレーではそれが当たり前、すっかりグラウンドゴルフにシフトしてしまっている現状だから。

130ヤードが残った。「ダボでいいや」と言い聞かせて、朝一でもありラフなので7番アイアンを握った。朝日を受けて前が全く見えなかったが、突然「ナイスオン」の声。嬉しくないわけはない。「ひょっとするとボギーで上がれるかも!」

グリーンに行って驚いた。なんとピン手前40センチに、ついていたのである。こんな奇跡もあるのだ。当たり前にパーである。これは幸先良しと内心喜んだ。そして次の142ヤードのショートも1オンでパー。だがここまで来ると、完全に出来過ぎである。練習に裏打ちされていない僕のゴルフは「運」意外に頼れるものは無いのである。そんなに「運」が続くハズはないのだ。

やはりそうであった。次のパー4の初打はスライスで林の中。打てないので、フェアウェイへ出したが、3打目をあろう事か、空振り。左右をキョロキョロ。何年振りであろうか。初心者でさえ余りやらないプレーである。ディポットにあるボールを6インチ動かせば良かったものを。後悔したが時既に遅し。ダブルパーであった。

それでも何とか、そこそこプレーを続けていたが、たまには女神も微笑んでくれるもので、330ヤードのミドルで久しぶりのバーディーが来た。よし、これで何とかなると気持ちを持ち直した。

問題のロングがやってきた。ロングと言っても439ヤードの比較的短いロングである。ただ打ち下ろしていく80ヤード位前に、クリークがある。高いティーグランドからみれば、クリークの前にある幅5メートル位のラフは全く見えない。クリークを越す程度の距離なら、ドライバーを持つ必要もないのであるが、短いといってもロングであるから、皆ドライバーを持つ。僕も躊躇なくそれを選んだ。

頭を打ったときの予防にと、ティーペグの高さを少し高くしようと思ったが、何時もの高さに設定した。これがいけなかった。前にあるクリークに打ち込めばOBであるが、クリークを強く意識しなければ、全員軽々越せる距離である。

クリークの右側はクリークに続く小川になっているようで、こんもりとした森を作っていて、「そこに打ち込んでもOBである」と誰かが言った。打つ前から頭の中では、クリークを越さねばならぬ事、スライスを打ってはいけない事等を考えてはいたが、まさかクリークを越せないとは考えてもいないし、むしろ右のOBだけは避けたかった。

「あっ」と声を発したときは、ボールの頭を叩き、ボールはクリークに向かって転がって行く様に見えた。行方を気にする余り、ボールを見て打たなかったからであろう。前進4打を覚悟した。念のためとクリークへ向かって走った。

なんと、前述したように、ティーグラウンドから5メーター近く低い所にあるクリークの前には、幅5メーター程度のラフがあったのである。運の悪いことに、ボールはラフまで降りることなく、法面に引っかかっていたのだ。それも並みの傾斜ではない。

極端な左足下がりだから、まず打てないし、良く考えればそのまま打つことはしないであろう。1打損しても、打ちやすい平地に出して打つのが当たり前なのに、頭は悔しさでいっぱい。ただ、窮地を早く脱したいのみである。

何も考えず、幅3メーター位のクリークを越そうと、サンドウェッジで試みたのである。20ヤードも飛べば、次のショットが出来るのだが、クラブはVの字に振らないといけないような急勾配であった。身体を右側に向け、幾らか横振りできるようにスタンスを取って打った。が、残念ながらボールは少し上がったが、クリークへ。もうどうにでもなれという気持ちであった。

落ち着きと思考力をなくした僕は、又しても同じ愚をやったのだ。もう一度同じクラブで、同じ動作を繰り返した。又してもボールはクリークを超えずOB.。見かねたMさんが近寄ってきた。失礼と思ったのか、僕にアドバイスはせずに、「頭に血が上っているだろうから、打数を僕が数えてあげる」。親友であり、ユーモアのあるMさんの言ではあるが、親切と取るべきか?

落ち着いて考えれば、せめて最初の失敗のあとでも、法面から平地に出して打てば、OBは防げたのに。平常心を失わない人は、最初から平地に出して、OBを防いだであろう。ドライバーショットが傾斜ラフに残らず、直接クリークに入っておれば前進4打で済んだのであるが、今回は残ったのが災いしたのである。

結局8打目でクリークを超えたのであるが、恥かしさと悔しさで声も出せなかった。後のプレーは推して知るべしである。こんなときはパットも旨くい行かない。結局13打という、新記録を作ってしまった。過去にも10打を打った記憶はあるが、13打は初めての経験であった。如何に有利にコースを攻めるかを、考える事の重要さを思い知らされたホールであった。

僕は悔しくても、他の皆には格好の冷やかしと、飲み会の時の笑いのネタになる。憫笑や冷笑でなく、陽気な笑いであるから「バーディーの後が13打か!」の言にも腹は立たない。結局アウトは55打であった。それでもあの舞い上がり、落ち着きのない心境で、グロス103は良しとすべきか。気の置けない仲間とのコンペであったから、笑いで済んだ、忘れ得ないコンペになった。

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2009年10月25日 (日)

観光特急「海幸山幸」に乗ってみた。

日時は忘れたが、今月の朝のTVニュースで「宮崎駅から日南線の南郷駅まで、特急”海幸山幸”を土、日、祝祭日に限り運行する」事を知った。南郷には先月28日、Mさん夫妻とキャンピングカーで、一泊したばかりであるが、ニュースを見て直ぐ乗車を決意した。

以前から、JRの鈍行列車に乗って、のんびり旅行したいと思っていたので、それも併せ実行できると考え、日時を24日に決めた。往復で200キロを超えるので、JRのジパングクラブを利用できる。

それに加入すると、自動的に九州マイウェイクラブの会員にも登録され、その特典である、九州内のJRを4割引で利用出来る事は、大変大きな利点である。

これだけの割引は、僕等年金生活者にとっては、非常に有難い。前日に姶良駅で、会員証を提示して切符を購入した。片道158キロなので、往復購入で、特典の利用条件である200キロ以上になる。

宮崎駅から南郷駅までの特急券(500円)は、宮崎駅で購入する事にして、とりあえず姶良駅から南郷駅までの往復乗車券を、1人3,780円で購入した。天気予報は宮崎地方は雨であった。しかしこの日を逃すと、12月迄の土、日は予定が詰まっていて、断念せざるを得なくなり、運を天に任せた。

持ってゆくものは、缶ビールとお茶につまみ程度で、家人がリュックに入れ背負った。翌朝5時起床、姶良駅を6時ジャストに出発する鈍行列車(各駅停車と呼ぶべきか)に乗車した。当然世間は未だ真っ暗である。

「海幸山幸」は1日1往復で、宮崎駅を11時10分発であるから、そんなに早く出発する必要はないのだが、宮崎駅までの直行便が殆どなく、これを逃すと間に合わないのだ。

2両編成の電車は、流石に休日に加え通勤時間帯を外れているので、乗客は1人、,2人であった。天候は雨こそ落ちていないが、どうも曇り模様であり、雨を覚悟した。都城駅あたりから高校生達が乗ってきて賑やかになった。車外を見ると曇り空であるが、幸い雨は落ちていないようで、何とか一日このまま推移してくれるように祈った。

ガラガラの早朝電車

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宮崎駅での乗降は社会人になってから、初めての経験である。小学生の頃、父母に連れられ、蒸気機関車に乗り父の故郷宮崎に何度か行った。清武駅を出たころ「安井 息軒生誕の地」と書いた看板があったのを懐かしく思い出した。昔の事である。

8時10分頃宮崎駅に着いた。客も疎らで、駅舎も鹿児島中央駅に比べれば、かなり小さく寂しい雰囲気である。取り急ぎ構内のパン屋さんで朝食を採った後、駅員に訊ねた。「海幸山幸に乗れそうですか」。彼は丁寧に応えた。「並んだ順番に乗車できますから、今なら大丈夫です」。出発2時間半前の話である。

特急券を買った。ここでもマイウェイクラブの特典が利用できる。4割引の300円で買えた。空模様は相変わらず曇りであるが、雨が降るような様子もなく、殆ど人気のないホームに、暫く2人で座っていた。

実に手持ち無沙汰であるが、デジカメと8ミリビデオを使い、駅周辺を撮影したり、ネットで調べた情報を読み返したりして時間を潰しているうちに、一人二人、指定された場所付近に集まりだした。聞いてみると、やはり乗車目的の客らしい。

そうこうしているうちに、大型のカメラを持った、雑誌の記者らしい人達数人も集まり、彼等に挨拶を交わしながら駅長や助役や駅員がやってきた。僕等は前から5,6列目に並んだが、出発30分くらい前には既に30人近い人達が並んでいた。雑誌記者と思しき人達が、僕等に向けてカメラを回すのが判ったが、僕も構わず乗客たちの様子をカメラに収めた。デジカメを持った小学生が一人、入線してくる「海幸山幸」を撮るべく、興奮気味に乗客を掻き分け、大きな声で何か叫んでいた。僕も初めて実物を観ることで、期待に少し上気していたようだ。

自由席確保のために並ぶ人達

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JRのみならず、沿線各地の住民もこの観光列車にかける期待の大きさを、肌で感じた。このことは後でも述べる。宮崎駅には特別コーナーが設けられ、そのパンフレットが大量に並べられていた。その他の宮崎県の観光案内用パンフレットや、冊子には大々的に”海幸山幸”について、扉のページに載せていた。

10月10日が運転開始だったそうで、10~12日の連休は積み残しがあるかもしれないとの、予告がされていた事を、ネットで知った。これほど期待をして始めた計画が、特定日だけの営業である事に、当初僕には解しかねた。僕等には判らない事情があるにしろ、小出しにする事が一つの営業政策なのであろうかと。運転期間も来年2月28日までとなっている。ひょっとすると南郷町をはじめ、付近の市や町の町興しに、一時的に利用したのかも知れない。

入線した観光特急「海幸山幸」

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ま、それはともかく入線した2両の列車は、1両目は予約金を払った乗客が乗るので、ざわついた様子は見られなかったが、自由席の2両目は、何とか座りたいと思う人達が、足早に乗り込む様子が見て取れた。それでも座れなかった人は10名もいなかったと思う。開始5回目迄の運転状態から、集客予想はついたであろうから、特定日だけの運転は間違いではなかったと、JRは考えたかもしれない。僕は結構座れない人が多いのではと思っていたのであるが。

車両は気動車で、席数は1号車「山幸」は指定席21名、2号車「海幸」は自由席で30名である。実に広々とした車内空間で、外観にもインテリアにも、飫肥杉がふんだんに使われ、木の匂いと共に暖かさを実感できた。山幸には車椅子対応のトイレも完備されている。確認した事ではないが、照明は現在話題になっているLEDを使っているようである。ブラインドも、間違いなく木製のはずだ。床も杉材であり、肘置きも木製である。

海幸の車内

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山幸の車内

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山幸のトイレ

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床も杉板である

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ブラインドも木製

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照明はLED

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出発前までのホームでは、車両本体の撮影や、車両前での記念撮影をする人達で、ざわついていた。駅長や駅員が最敬礼して見送った、定刻に発車した列車では、あちこちでデジカメやビデオの撮影をする人達でなんとも落ち着かない。

一駅過ぎる頃には、車内はようやく落ち着きを取り戻したようなので、僕は冷えたビールを飲み始めた。一般の特急みたいに弁当や飲み物の販売はなさそうで、女性客室乗務員が特製のソフトキャラメルを売っていたようだ。

僕はこの日南線には初めて乗る。海岸線を走り、太平洋を眺めながら南下するのだと思い込んでいたので、青島駅を出て暫くすると、殆ど山の中を走る列車に驚いた。結局、油津までは余り海を眺める事は出来なかった。

それでも「鬼の洗濯板」や、南郷町近くの奇岩が見える場所に来ると、列車は暫く停車したり、速度を落としたりして、鑑賞や撮影の時間を与え、乗客のサービスに努めていたのは評価に値する。これぞ観光列車である。

鬼の洗濯板

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奇岩の群

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途中の停車駅では「海幸山幸」と書かれた幟が、何本も立てられており、地元の人たちが、旗を振ってホームで迎えてくれる。カメラを向ける地元の人達もいて、この観光列車に掛ける地元の人たちの熱意を、十分に感じ取れた。

12時55分頃着いた南郷駅には、これまた緑色のジャンパーを着た地元の人たちが出迎えてくれ、500円でチケットを買うと、マイクロバスで近辺の港や、近くの観光地に連れて行くサービスをしていた。

日南駅あたりから小雨になっていたが、僕等は先月の旅行でこの町の規模も、地理も大体理解しているし、目的は先月食べたカツオの刺身料理を、今回も食べる事なので、約10分歩いて目井津港に着いた。前回同様大きなタライに乗せられた、カツオ料理に舌鼓を打ち、美味いビールを飲んで、雨が止んだ港に祭られた神社に参拝した。

不思議な事に、15時45分の復路の列車には往路の3分の1程度の乗客しか乗っていなかった。残りの人は何処に行ったのだろうか。前の普通列車で帰ったのか、どこか別の観光地に行ったのか。僕にとってはどうでも良い事であるが、不思議なことではある。

宮崎駅へ向け出発を待つ「海幸山幸」

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女性客室乗務員が運転士の帽子と、女性客室乗務員の帽子を持って周り、乗客がそれを被って記念の写真を撮ったり、記念グッズが当たるくじ引きをさせたり、細やかなサービスをしていた。

ほぼ、15時間に及ぶ各駅停車と、観光特急の旅であったが、割引を利用出来た事と、職員達の昔と段違いに増した融通性や丁寧な対応とに対し、JRに感謝の一日旅行であった。

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2009年10月22日 (木)

晴天のもとで、グラウンドゴルフと焼肉を。

色々な約束や行事を繰り下げて来たので、秋から年末にかけてはその実行で忙しい。久しぶりのゴルフを楽しんだ2日後、18日は宮崎市での従兄妹会に出席、翌日は宮崎県綾町を弟夫婦と観光して夕方に帰宅。その2日後の今日は霧島で、グラウンドゴルフを約束していた。大いに遊ぶ事で健康を維持しているのだと、都合の良い理由を付けて家を空けているが、幸い今のところ疲れは感じない。グラウンドゴルフは町内の愛好会で、週2日はプレーしているが、今日のそれは霧島の広々とした本格的コースで行うので、楽しみでもあった。

熊本のMさん夫婦と、霧島のコースで待ち合わせた。昨日の電話ではプレー終了後、拙宅で一泊する予定であったが、都合で日帰りしなければならなくなった。姶良町からHさん夫婦と僕等夫婦4人は、9時頃霧島に向け出発した。今回はプレー終了後、本年2回目の焼肉をするために、何時もは食えない高級肉を2キロ買って行くとかで、肉が大の好物というHさんは満面の笑みである。主目的はどちらかと言うと、焼肉のように思える。

好天ではあったが、高地にある会場なのでジャンパーを用意したが、プレー中に汗が出始めて、爽やかさより暑さを感じる程であった。3組とも自前のクラブとボールを持っているので、それなりの興味を持っているハズである。

ただ、実戦となると僕等夫婦が、多分回数的には多い。負けるわけにはいかず、何時もより真剣にプレーしたが、慣れない深い芝に梃子摺った。僕は何とか面目を保ったが、負けなかったという程度であった。

広いグラウンドで、のびのびとクラブを振れて、6人は和気藹々、大きな声での笑い声が響く。ここら一帯は「霧島高原 国民休養地」と呼ばれ、ゴルフ場、キャンプ広場、乗馬クラブ、テニス、プール等もあり、コテージ9棟、温泉も付属している。

広々としたグラウンドゴルフImg_2672Img_2678場。 G・ゴルフと言えど入念な素振り。

3ゲーム終了後、焼肉をするため場所を変え、バーベキュセットで炭を熾し、肉を焼きだした。流石に長年主婦を務めた女性群。てきぱきと野菜などを添えて、焼き上げていく。亭主達は食べる役に徹して、ビールを片手に、特にHさんは実に美味そうに口に運んでいく。

にんにく、玉葱、ナスも、幸せそうなこの笑顔

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本日が誕生日というM夫人に、全員で祝意を込めて乾杯をするが、亭主のMさんは帰りの運転があるので飲めない。人並み以上に酒好きのMさんは、美味そうに飲む僕等を見て、苦しかったに違いない。用事で早めの帰宅をするMさん夫婦と、4時半頃に別れ、僕等は近くの関平温泉で汗を流し、H夫人の運転する車の中で、ウツラウツラしながら帰宅した。明日は又8時から、町内愛好会のグラウンドゴルフに、参加しなければならない。

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2009年10月18日 (日)

鹿児島の「秋の木市」が始まった。

昨日までの晴天が一転し、朝から小雨が降りだした。予定していた事なので、家人の両親が眠る、鹿児島市の墓地に墓参に行った。墓の団地みたいにたくさんの墓が並んでおり、休日は特に多くの人が墓参や掃除に来ているが、流石に雨の中ではポツポツ。

先日のTVで「鹿児島の秋の木市」が始まった事を知った。折角出てきたのだから寄ってみようと、駐車場を捜す頃には雨は小降りになり、10分程並んだ後駐車場へ入れた頃には雨は止んでいた。場所は鹿児島中央駅から歩いても15分程度の、甲突川河畔の公園である。

長年、熊本市の植木市が開かれる、白川の河川敷の近くに住んでいたので、2月中頃から始まる植木市の設営が始まると「ああ、春が来たナー」と心も軽やかになった事を思い出す。しかし5,6年前から別の場所で開かれるようになり、その計画を知った時、春の訪れを肌で感じることが出来ない、大変寂しい思いをした事を思い出す。

熊本市のそれに比べると、比較にならない程の小さな規模で、ゆっくり見ても1時間程度で見終わりそうだ。聞いてみるとここでは春と秋に2回の木市が開かれるらしい。熊本は「植木市」と呼び、鹿児島では「木市」と呼んでいるようだ。10月15日から来月15日までの期間だそうである。

人影も疎らな会場

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綺麗な花々

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欲しい果実類も沢山

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鉢物を7割以上枯らしてしまい、すっかり自信を無くしていたので、以前ほど欲しいとは思っていなかったが、いざ綺麗な色の植物を目の前にすると、やはり心が踊りいつの間にか手で触れたり、手に取っている自分がいた。

家人が金柑を植えたいと、店主にその育て方を聞いていた。種無しの金柑があることを初めて知った。地植えにするとまず失敗しないと念を押され、買う気になったようだ。一晩水に漬けたあと地植えする事、牛糞の肥料は絶対使用しないことが注意書きに記してあった。

種無し金柑について説明する店主

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土地がないので植える本数に限りがあるが、何とか2~3本は植える事が出来そうである。僕は土地があれば、柿、みかん、ぶどう、ブルーベリーなどの果実類を植えて、自分で食したいが、哀しいかな土地がない。

休日ではあるが、朝からの雨もあって人出は少ないので、店主や店員は丁寧に対応してくれる。僕は「シャコバサボテン」の色違いを2株と、正式な名前は聞かなかったが、小さな綺麗な花が咲いた小型のサボテンを2種類買った。

可憐な姿のサボテン

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シャコバサボテンImg_2620

種無し金柑(一夜水に漬けて翌日地植えする)

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枯らす確率が高いので、高価なものは買えないが、それでも店主は育て方を丁寧に教えてくれた。この文を読んだ花に詳しい愛好家や、あるいは専門知識を持った人から見れば、「その程度で喜んでいるのか?」と、なんとも可笑しく笑い出しそうな初心者の僕等であるから、もう少し授業料を払って勉強の必要がありそうだ。何とか枯らさずに育てたい。

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