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2009年2月

2009年2月25日 (水)

無線LAN設定始末 その2

予想通りと言うか、案の定週明け23日にコレガ社からのFAXを受信した。普通の精神状態なら、FAXが届くまで我慢して相手を非難するような大人気ない態度はとるべきではないとの自制心が働いたであろうが、相手の誠意が全く感じられなかったというその一点で、責めの文を書いてしまった。今でも、その会社の営業姿勢は理解できないし、大きく言えば経営陣がどの程度の人達であるか大体察しがつく。会社にはそれなりの事情があることは承知しているが、この時期1台でも多く売らねばとの気持ちがあれば、顧客の心を掴む為の努力は怠れないはずなのに。

さらに失望したのは、僕の問い合わせに全く応えてくれなかったことである。僕は2つのことについて知らせて(教えて)欲しいと御願いしたのであるが、それには全く触れず、本文最初の書き出しは、僕が使っているパソコンのOSのSP(サービスパック)についての問い合わせであり、「もしそのSPが3であるなら、製品に付属しているCD-ROMに収録されているソフトは利用できない、SPが2までなら利用できる」であった。首を長くして待っている問い合わせ者に対し、たったこれだけのことを、早く知らせてやりたいとの親切心があれば、電話ででも出来たはずだ。事実、僕は最近マイクロソフト社からの推奨で、SPを2から3へアップさせていたのである。結論から言うとSP3の僕のパソコンでは不可能という事である。

富士通へ電話を入れた。こちらは直ちに繋がり、その後担当者と話が出来るまで5分ほど掛る旨のアナウンスがあり、その間テープで色々な情報が流れるが、通話料無料であるからこちらは焦りの気持ちは全く無い。担当者はこちらの言い分を十分聞いてくれ、「SP3を2へ戻すことは可能であるが、トラブルが発生する可能性が否定できない。それを承知で2へ戻した後、持っているルーターを使用するか、SP3のまま、新たなルーターを購入するかお考えください」とのアドバイスであった。

こんなことで無線LANを是非ともと思えば、コレガ社以外の製品を購入することになる。購入に当たって富士通の担当者はアドバイスをしてくれた。即ちメーカーに対して4項目を必ず確認すること、その4項目についても詳しく教えてくれた。30分以上の長電話であったが、感謝の気持ちを十分伝えて電話を切った。無機質なFAXでの紋切り型のやり取りと、電話で生の声を聞きながらのやり取りの違いは、想像以上に大きな違いがあると思う。

コレガ社の名誉の為に付け加えると、FAXに書かれていたのはそれだけではない。ほかにルーター(親機)の設定内容についての確認方法を箇条書きで記してくれていた。が、僕にも、富士通にも全く必要の無いものであった。

担当者と電話で話してもいないので、社風の一端も知ることが出来ないが、コレガ社も周辺機器メーカーでは名の売れた会社なのかもしれない。経費節減方策の一つだろうから、受信料負担は仕方ないにしても、1時間以上待っても通じない電話での問い合わせは、ストレスと会社への不信感が溜まっただけであった。

僕としてはFAXを受信した時点で、コレガ社から情報を得られたと思い「ことは成った」と喜んだのであるが、以上の顛末で振り出しに戻った。又何時の日かこのことについて触れたいと思う。

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2009年2月23日 (月)

マラソン2回目の挑戦・・・前回の反省生かせず。

聞いたところによると、本日の桜島マラソン(正式名はランニング桜島)は指宿市の菜の花マラソンに次いで参加者が多い大会らしい。会場は鹿児島市桜島横山町の桜島多目的広場で、種目はハーフマラソン、10キロと5キロである。菜の花マラソンもそうであったが、今回も遠くは北海道、宮城県をはじめ28都道府県から480人が参加していた。参加者総数は4、249人との発表があった。

前回は10キロに参加したが、今回の5キロと10キロコースは結構高低差があってハードであると聞かされていた。たまたまジムで一緒に汗を流している男性から、5キロを走りましょうよと誘われて、自分の意思を決定する前に、彼に承諾の返事をしてしまった。前回のマラソンを一緒に走った友人は今回も10キロにエントリーしていた。走行後、5キロコースを選定したことが一番大きな後悔として残った。

昨夜は9時過ぎに就寝、5時に目が覚めた。朝食を採った後、まだ夜が明けてない時間に車で友人宅へ向かった。何時もなら一緒に行動をとる家内と友人の奥方は、二人ともどうしても外せない用事で行けなくなった。このことで、大事な写真が撮れずに、スタートする場面や、ゴールの場面が載せられ無くなった。

待ち合わせた2人を乗せ、姶良町から鹿児島市の桜島桟橋へ向かった。早朝でもあり20分くらいで到着。マラソン参加者の車が多いためフェリーは何時もより混んでいる様子であったが、船内も一目でランナーと判る人達で混んでいた。

余裕ありすぎるくらいの時間であったが、心配は天気であった。予報は昼前後から雨であった。目の前の桜島もその曇天で明るさを失い、小雨に煙っているようにも見える。前回の経験で幾らか要領は心得ていたので落ち着きはあったが、当然初心者であることには違いない。周りの人達が眩く見える。友人と一緒に受付を済ませ、ゼッケン、食事券、入浴券、お土産の陶器、さらには今回の大会名などを印刷したオリジナルTシャツ等を受け取った。到着時間等を発信するチップは前回はゼッケンに埋め込まれていたが、今回はシューズに取り付ける方法を採っていた。

受付会場

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靴紐に取り付けたチップ

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準備体操を行い、開会式に次いで抽選会が行われ、幸運な一人がペアでオーストラリアゴールドコーストマラソンに招待されることになった。

準備体操

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車の傍で服装を整え、買っていた栄養ドリンクを飲んだり記念写真を撮ったり、準備万端スタート時間まで軽くジョギングなどを行った。

記念の写真を(筆者右側)

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10時のスタート5分前に、何も考えず申告時間30分以上の列に並んだ。ここには菜の花マラソンで、ニコニコ顔で知人に会釈していた地元選出の代議士先生が今回も現れ会釈をしていた。菜の花では結構軽やかな走りを見せ、僕を追い抜いていった人だ。前回のマラソンで「順位を意識するなら先頭近くに並ばないと、決して上位にはなれない」との反省で、次回から出来るだけ先頭に並ぼうと考えていたのに、もうすっかり忘れてしまっていた。実に悔やまれるスタートであった。コース距離が短ければ短いほど、皆のスピードは速くなるハズである。みんなの力が拮抗しているなら、追い抜くのは難しくなる。理屈的にはそうであり、実際もそのようであった。10キロのときよりペースは速かった。この時点で5キロを選んだ事を後悔し、次回からは10キロに挑戦することを決心した。

完走が目的であるなどと言いながら、心のどこかにどうせ走るのなら上位に食い込みたいという気持ちが強くあったのは否めない。前半は平坦か下り坂が多いので、なかなか追い抜けない。皆も飛ばすからだ。焦りが出てきた。スタート位置の選択を間違ったことを悔やみながら、最後の1キロ前あたりからスパートを掛け、50名程度を追い抜いたであろうか。

考えの無いことに、昨日は自分のスタミナ年齢を知りたいと思い、ジムのスタッフから測定してもらったのである。出来るだけ若い数値が欲しいと、何時もより付加の大きい数値を設定した測定機器で腕力、脚力、背筋、腹筋等を測定した。結果40才台の数値が出て満足したが、今日はそれが裏目に出た。足の筋肉が痛みを伴い熱く感じるのである。違和感を意識しつつ、何とかゴールした。

流石に短いコースなので、疲れて歩く人は少なかったが、僕も歩きたい衝動に駆られた時間があった。足が攣りそうなのである。何故なのか最初はわからなかったが、やがて昨日の体力測定の結果であることに思いついた。やはりベテランランナーが言うように、走る前日は何もせず体を休めるべきであることが理解できた。幸運なことに走り終わっても雨は落ちてこなかった。

ゴールするランナー

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前述したように、撮影者がいなかったためにスタート時の写真が取れなかったのは残念であったが、ゴール時の写真は走り終えた後撮影した。僕の記録は29分21秒で993人中371位で、もっと悔しかったのは60歳代104人中57位で、半分にも入れなかったことである。記録より完走とは言うものの、記録として完走証に印刷されるので、やはり早いに越したことは無い。

ゴール前300メーター付近の力走

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完走証を受け取って、着替えをするべく車に戻って暫く、前方の桜島を見ると、実に何秒か前に爆発したのであろう。噴煙をもくもくあげた姿を目前に見ることが出来た。これほど近くで噴煙を見たのは初めてのことであった。

噴煙を上げる桜島

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噴火後の桜島

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温泉はごった返していた。入浴券が配られているので無理も無い。それでも汗を流しさっぱりした気持ちで、さて配られた飯でも食おうと言ったら「いや、走った後はビールが旨い。帰宅してからビールを飲みながら食いたい」と言う。「なるほど、それはそうだ」と、それでも我慢できず本日の為に増発したらしいフェリーのなかで、1杯400円なりのかけうどんを食した。桜島から鹿児島まで15分くらいの所要時間、満足と後悔の入り混じった気持ちで自宅へと向かった。4月に3回目の挑戦が待っている。自宅近くで本降りの雨になった。

鹿児島市の桜島桟橋に入港するフェリー

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小雨に煙る鹿児島市

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2009年2月21日 (土)

(株)コレガ社の営業姿勢を問う。 

無線LAN設定始末 その2を書くべく、CG社すなわち(株)コレガ社からのFAXを待ち続けているが、最初当方から第一信のFAXを送ってから2日経ったが返信が無いので、同じFAXを第2信として昨日朝送信した。が今日も返信無し。

これから、タイトルのように同社の姿勢を問いたいが、得てしてこのように相手の非を責めた文を書いた後に、待っていた返事とか回答が届いたりすることがある。今回も来週早々にFAXが届くような予感がするが、もう我慢も限界のようだ。社名も伏せていたが今回は実名を出すことにした。

実は本日も11時頃から12時迄電話した。先日同様1時間掛け続けたが、ずっと話中であった。怒り心頭までは無いにしろ、実に不愉快であった。これほど購買者をバカにした会社は無いだろう。それでもこの程度の会社が生き残っているのである。量販店で会社の評判を聞いたが、案の定営業マンは殆ど訪問しないらしい。なるほど商品の陳列も下段にあり、バッファロー社、NEC社が一番目立つところに陳列してあった。そういう所まで観察して商品は買うべきなのだと勉強になった。

良く考えてみると、これだけ沢山の人(購入した人が殆どであろう)が問合わせの為の電話を掛け続けると言うことは、商品に付いている取扱説明書の内容を、多くの人が理解できないほど、説明の仕方が稚拙なのでは無いだろうか、あるいは難しすぎるのか?パソコンについての問い合わせならいさ知らず、周辺機器についてである。理解できるような記述であるなら、これほどまでに問い合わせが多いはずは無いと思うが。事実僕の場合も「パソコンに無線ANが内臓されていれば云々」の注意書きが、一行でもあれば対処も違っていたのである。

電話が繋がらないことだけで怒っているのではない。このモノが売れない時代にあって、買った品物の取り扱い等を聞くに当たって消費者に電話代を持たせるやり方、しかも何時間も応答せずに、電話のボタンを押させ続けさせている其の思い上がった姿勢、苦情の多い電話についての改善を経営者に具申しない中堅幹部等々について納得できないのである。

僕は「顧客満足」なる言葉は一昔前のフレーズではなく、今の時代こそ求められているのではと、最初のFAXで先方に問いかけた。返事は「迷惑をかけているが、其の解決に鋭意努力している」と空々しい文言が並べてあるが、問い合わせが多いことを理由に電話が繋がりにくいことを、正当化するようにも取れる内容であった。それなら、多くの会社が採用している、代表で受信後、電話機のボタン操作で各担当へ繋いでいく方法も取れば良いではないか。電話機の向うでイライラしながら待っている問い合わせ者の気持ちが判らないのであろうか。

僕の問い合わせは、セキュリティー対策に必要な、2つの情報を教えてもらえばそれで済むことである。貰った情報をパソコンメーカーの富士通へ連絡することで、富士通が無線ANの設定を指導するとの約束を既に取り付けてある。コレガ社は土曜、日曜が休日なので、今週はもう受信できない。ここまで我慢したので来週月曜か火曜日まで待って、連絡無い場合は、無駄な出費を覚悟で他社の機器を買うか、無線ANを諦めるかケリを付けよう。

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2009年2月18日 (水)

無線LAN設定始末 その1

前回に続いて、現在進行中の無線LAN設定について記録する。

CG社に若干大人気ないFAXを送りつけたあと、少々後味悪く思っていたらなんと諦めていたCG社からFAXが届いたのである。繋がらない電話のお詫びと共にその解決に鋭意努力中であること、質問事項を記入して送信して欲しい事等が記されていた。こちらも無礼な文をFAXしたことを詫び、質問内容を記し送信した。ただ、1日経った今日までに返事を受け取っていない。

当然のこと、口頭でのやり取りのほうがお互い齟齬が生じないのであるが、あれほどの時間ダイヤルし続けるのは、結構忍耐がいる。今回、FAXを受信して先方の回答を得たとしても、僕がどれほど理解できるのか正直不安である。

ここまで時間を費やしたので何とか成功させたいが、パソコンに詳しい人なら造作もないことでも、そうでない人にとっては大変な作業である。勿論、1,2万円出せば、無線LANN接続や、新たに無線で繋ぐミニノートパソコンの設定まで短時間で終了できるのは判ってはいるが、其の余裕が僕には無いのである。

知らないことを聞くのは一時の恥だから、僕はその恥を偲んで専門家に訊ねに行くが、それでも専門用語を思い出せなかったり詰まったりして、何とも自分が情けなく恥かしく、訊ねたことを後悔することもある。「今更こんなことを聞けない」と言う気持ちが訊ねることを躊躇させるが、それでも教えるほうは若干の優越感を感じながら教えるはずで、「僕はあまりモノを知らない」と前置きしてして質問するようにしている。

友人は有難いものでブログを読んだ中学時代の同級生や元職場の友人達から、いくつかのコメントやメールを貰った。なんだか大げさになりすぎたかなと、ブログの題材にしたことに内心忸怩たる思いが無いわけではない。

残念ながら、いまだに回答のFAXが届かないので、これ以上の記述が出来ない。最近写真を挿入していないので、一昨日行われた自治会のグラウンドゴルフに家内と共に参加した会場の、文字通りグラウンドに咲いていた今盛りの「河津桜」を貼り付ける。

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2009年2月15日 (日)

無線LAN設定に四苦八苦。

一時、友人の勧めで字の大きさを普通から大に変えたが、ブログ大半が普通の大きさであると判断し、再度普通に変えた。が、先日複数の友人から、やはり見難いので大きな字で書くべきだと指摘され、又本日から大きな字で書くことにした。

現在使っているパソコンは2年前に買い換えたもので、当時今ほど話題になっていなかった無線LAN設定に必要な、ブロードバンドルーターを同時に買った。特段必要に迫られていた訳でもなかったが、まあ、先端を走れと言う気持ちであった。購入後直ちに取り付けに掛ったが、上手く行かずそのまま放置して2年が過ぎた。

そもそも今回再取り付けを計った動機は、電力料金の節約からである。パソコンは自分の部屋に設置しているので、居間と自室のエアコンの電気料金はバカにならない。居間でパソコン作業をすれば1部屋分の電力量で済む。ただ、居間にパソコンセットを置くだけのスペースが無いので、現在注目の「ネットブック」なる言葉で売られているミニノートパソコンを買い足せばという、単純な発想である。

たまには海外旅行もするので、これを持参しメールやスカイプに使えば安いもんだと、勝手な理由付けで無理に自分を納得させた。先ずは2台を無線で繋ぐべく、先に失敗した無線LANの再設定を開始した。

スタートから暫くスムーズに作業は経過したが、その後は全く説明書どおりに進まない。CD-ROMがインストールできないのである。普通この程度の作業で失敗することは考えられない。直ちに、家電量販店のパソコン売り場へノートパソコンを持参して教えを乞うた。最近の不況で暇になった売り場の担当者も、嫌な顔もせず僕のしつこい質問に応えてくれた。インストール出来なかったが、彼は幾通りかの方法を教えて呉れ、僕も何とか合点したので帰宅後作業を再開したが、事は考えているほど簡単ではなかった。こうなると、そもそも無線LANとは如何なるものかという疑問が生じ、書店から参考書を買ってきて基礎から勉強を始めた。知らないことばかりであった。

昔からそうであったが、僕はことに当たってよほど難しいこと以外は、説明書を読む前に行動を起こすせっかちな性分で、今までは最終的に何とか格好がついていた。今回も何とかなると始めたのであるがが、何ともならなくなり参考書に頼ったのである。しかし、今回は参考書を読んだくらいで解決出来るものではなかった。

こうなると、今回のトラブルはパソコンメーカーFT社と、ルーターのメーカーCG両社へ、不調の理由を聞き、さらに取り付け方法まで教えて貰うことが早道である。先ずパソコンメーカーへ電話を入れた。流石に有名メーカーである、直ぐ繋がり電話代は不要で、説明も実に丁寧であった。僕が取説の注意事項を細部まで読んでいたら、初期段階で無駄な試みをせずに済んだことも判明した。注意事項には「添付されているアプリケーションは本パソコンにはインストールしてはいけない」と書かれていたのである。結局長いやり取りで、無線LANで一番必要大事とされるセキュリティー設定に必要な情報を、ルーターメーカーへ問い合わせ、再度パソコンメーカーへ電話することで、全て解決するというところまで至った。

今度は、ルーターのメーカーへ電話を入れた。今回は発信者負担電話である。話中が40分近く続いた。昔はパソコンに関係する会社は殆どそうであった。なかなか繋がらず、1時間くらい掛け続けることもちょくちょくあったが、最近は交換機で受信した電話を、発信者の電話のボタン操作で、各担当部署へ繋いでいく方法を採っている所が多い。当然購買者に対するサービスである。

もう、イライラは我慢の限界であった。とうとう先方の時宜に即しない、サービス不足や誠意不足を憤る内容のFAXを送信したが、予想通り返信も無かった。翌日量販店に行き、パソコン売り場で沢山並んだLAN機器を見ながら説明を受けた。僕の製品は既に2年前の機器であり、ここには当然高性能の新製品が沢山販売されている。担当者に、参考書で見知った商品などについて質問して、無線LANアダプターを内臓したパソコン(僕のもそうである)に対しても、比較的簡単に接続できるBF社の製品を、担当者も勧めたので購入しようかと考えた。これだとセキュリティー担保のための、ルーターメーカーへの暗号化キー等の確認が不要になる。だが、確かに高性能ではなくなった、現在僕が持っている製品も無駄にするのは勿体無い。この時期配慮に欠け消費者無視とも思われる、CG社への意地を捨てて電話を掛け続け、情報を貰って古い機器を取り付けて完成させるべきか、CG社と競争関係にあるBF社の新製品を買うか迷っているが、それにも増してあの程度で腹を立てた自分に、情けなさを感じた最近の出来事である。

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2009年2月 9日 (月)

車の運転スピードで年齢を自覚。

統計的には知らないが、田舎になるほど軽自動車が多いように思える。僕も田舎町に住んでいるが、もっと田舎に行くと軽トラックがおおくなり、もみじマークを付けた車がのろいスピードで行き交う。昨年末頃に娘が住む神戸市を訊ね、娘婿の両親と小旅行をしたときに発見したのであるが、かの地の高速道路では軽自動車を殆ど見なかった。南九州の高速道路では結構多くの軽自動車が走っている。

長年普通車に乗ってきたが、昨年末僕の車を軽自動車に変えた。家内も軽自動車に乗っているので、本当は普通車に乗りたかったのであるが、性能的には普通車とそんなに変わらないし、乗り心地を少し我慢すれば、経費が嵩む普通車に比べ諸々経済的であるので、四輪駆動の軽自動車に買い換えた。

見栄を張るために普通車に乗っていた訳ではないのであるが、この年になれば事故を起こさない自覚を持って運転すれば、走るという機能を持っていることだけで満足するようになってきた。本音を言うと経費が掛らない点も魅力であった。若い頃は軽自動車に乗る等考えたことも無かったし、拘りの車種に何台も乗り換えた。

最近僕は田舎のおじさんと同じように、スピードを出さずにと言うより、出せずに運転している自分を自覚することが多くなった。恥をさらすようであるが、若い頃は車に乗れば人が変わった。前を行く車は追い越さずにいられなかったし、追い越されたら当然追いかけた。レーダーは必需品であったし、これなくして運転は出来なかった。それでも加齢的に運転がおとなしくなり、もう随分前からレーダーはスイッチを入れていなかったし、スピードも出さなくなった。そしてこれはどうも、意識してスピードを落としているのではなく、自然にスピードが出ないような運転に変わっていったように感じるのである。むしろ追い越されることが多くなったが、それでも3,40キロでノロノロ行く車にはイライラする。

そのようなスピードでは人様の迷惑になるし、何故こんな年になるまで運転するのかと、もみじマークの低速度の運転者に対し思うことがあるが、僕もそこまでのろい速度で、迷惑になるような運転はしないだろうと思うものの、確実に運転速度は遅くなっている。年老いていくことの一つのバロメーターともなろうか。やはり僕ももみじマークを付ける年代には、邪魔者扱いされるようなスピードで運転しているのかな?今日、300メーターくらいの間に3,4台の車から追い越され、思いついて本日の題材とした。

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2009年2月 6日 (金)

初めてのクルージング その8

4時過ぎにトイレに行ったらそれから眠れない。家内も目が覚めたらしい。二人でデッキに出ることにした。雨でもないのになんだか湿っぽい、一時雨が降ったのかもしれない。南国とはいえ、夜明けの海上は寒さを感じる。さすがに乗客の姿は見当たらないが、一人、二人乗組員が僕らの前を通り過ぎる。海上は未だ真っ暗。暫くデッキを歩いたり遠くに見える灯かりを見たりして過ごしたが、6時のモーニングコールを思い出したので、部屋に帰ることにした。日本語の聞こえないテレビは、見ててもつまらないがそれでも電源を入れた。あと、2,3時間で下船である。一抹の寂しさがこみ上げる。何時も旅行で感じることだが、日程の後半は時間が過ぎるのが早く感じられる。今回ももう少し旅を続けたいとの思いが、そのような気持ちにさせるのであろうか。

夜明けのデッキ

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入港直前のシンガポール港

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何時もより早く、6時過ぎには船内での最後の食事を、何時ものメニューで採った1時間位あとに,船はシンガポール港に接岸した。

船内での買い物、郵便切手、食事のたびのアルコール代金などの支払いは、先に述べたシーパスカードで処理することになっている。その明細書は昨夜のうちに部屋に届けられ、受領書と照合し間違い無いことを確認していた。

船内係員の指示で下船するが、各国への入国審査と同じ面倒に加え、そのシーパスカードのチェックも加わるので時間が掛ると案じていたが、意外と短時間で下船手続きを終えて、再びシンガポールの地を踏んだ。

バスに乗り込み約45分、出国手続きの後、対岸に見えるマレーシアのジョホールバルへ向かう。その間約15分位か。この地は3年前にも訪れており、観光場所もほぼ同じであるようだ。以前より街がきれいになっていて、建物も多くなり、大きな建物が増えたように感じた。前回は税関近くのトイレで、大変な目にあったのでシンガポールでしっかり済ませてきた。小さな穴に向かい済ませた後、汲んであった水で流す大変な作業であったから。

ジョホールバルでは王宮、イスラムのアブバカールモスク、マレー村、更紗工場などを見学したが、さすがにイスラム教については、ガイドが詳しく説明してくれた。マレー村では熱帯の樹木、果樹が多く植えられ、若者達が現地の楽器で日本の童謡を演奏、踊りを披露してくれた。舞台にはお金を入れる透明なプラスチックの箱が置いてあり、結構な量のお金が入っていたが、今回の観光客は誰も入れなかったようだし、僕も入れなかった。お金が惜しかった訳ではないのに、何故気持ちを表さなかったのか悔いが残った。付属した店で錫製の冷酒用グラスを、少々高価であったが日本円で買った。未だ若い20台の男性の実に上手い日本語での錫の説明や、それを我々に勧める話し方、礼儀正しさに感じ入ったからである。

イスラム アブバカールモスク

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ゴムの木

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バナナ

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マンゴスチン

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マレー村で見た結婚式で新郎、新婦が座る椅子

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美味しいマレーシア料理のバイキングで昼食を済ませ、2時過ぎまたシンガポールへ向かった。4時過ぎからインド人街、アラブ人街、チャイナタウンを散策する予定が組まれている。

チャイナタウン

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旅行中、1,2度は免税店での買い物の時間が取ってある。チャイナタウン散策後、免税店へ。僕は殆ど土産品は買ってるし、特に欲しい物はない。正直言うとあるのだが、高価で手が届かず、はなから諦めているので考えようともしない。入手可能なのは、食品くらいだろう。免税店を出て、そこで友人達と別れ、家内と二人で許された約1時間半でオーチャード通りを散策する事にした。さすがに有名な通りである。特に今日は金曜日ということもあって、人、車の多さには驚かされる。人種も様々である。日本ではデパートのブランド品のコーナーへ立ち寄ることも無いが、たまたま見つけた服のブランド店に入った。さすがに高級であることが素人の僕にも解るが、其の価格も半端じゃない。何時ものごとく「えい思い切って」と、喉まで出掛ったが、ハンドバッグに下げる小さな時計を一つだけしか買わなかった家内に遠慮して、買えなかった。買い物、特に旅先での買い物は買ってしまった後悔より、買わなかった後悔のほうが多きいことを何度も経験しているので、後悔するのではと思ったが、さすがに額が大きすぎたのか、殆ど其の品物を思い出すことも無く過ぎた。

オーチャード通りの賑わい 1

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オーチャード通りの賑わい 2

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夕食はシンガポール名物という「スチームポート」と呼ばれる、日本の鍋物と同じ料理であったが、店主のアルコール代金を集める態度があまりにも性急で、飲み終えてから、あるいは時間を置いての請求であれば許せたのであろうが、テーブルに配るや直ちに代金回収を始めた。普通、食事を終えたか、終えそうな頃を見計らって請求に来るのがマナーのように思えるので、これには何名かが不快感を表し始めた。たまたま、いわゆる食べ放題であったので、其の不快感を晴らす為か、食べ切れなくなっても食材を何度か追加して、結局食べ残しを作らせた。大人気ない仕業ではあったが、時間が迫っているわけでもないし、まして高々ビール代金を払わないはずは無いのだから。よほど腹に据えかねたのだろう。まさに下手な商売の典型である。

ま、こんなこともあったが腹も満たせたので機嫌を直し、シンガポールから日本への出発は午前1時10分であり、かなりの余裕があったが、そのままチャンギ国際空港へ向かった。8時頃着いたが、まだまだ時間はたっぷりある。旅行社から依頼されたアンケートを書いたり、待合室で写真を撮ったり、床に寝そべったり、なんとか時間を潰した。

ほぼ、定刻どおり1時10分頃離陸、約6時間の飛行である。小心者の僕は航空機ではなかなか眠れない。多分、全く眠らなかったことは無いと思うが、熟睡など出来るはずがない。何時も睡眠導入剤を持っていくが、飲んだことがない。とうとう今回も飲まなかった。僕はビールを注文して、アルコールの力で眠ろうとしたが無駄であった。過去に、バンコクから同じ時間帯に出発する便で帰国した経験が二度あるが、其の時もやはり眠れなかった。それでも今日は朝食の機内食は残さず食べたし、朝からビールも飲んだ。爽やかであった。

偏西風が強かったのであろうか、1,000キロを越す速度で、予定より20分も早く、7時40分には福岡空港へ到着した。驚いたことに福岡は雪の朝を迎えていた。数時間前は30度以上の暑さで、30数度の温度差である。入国審査に結構な時間が掛ったが、全員無事で帰国できた。友人が早期に申し込んで呉れたお陰で、いくつかの恩典に恵まれた。旅行代金の割引、各国の出入国カードの記入サービス、スーツケース一人1個を自宅から福岡空港間の往復を宅配してくれるサービスである。お陰で行きも帰りも小さなバッグ一つで身軽であった。熊本の友人宅で車を乗り換え鹿児島へ向かったが、途中眠くなったら危険である。温泉センターで入浴、仮眠を取り、早めの夕食も済ませ高速道路を自宅へと急いだ。

クルージングがどのようなものであるかは、今回経験して解った。ただ、航海期間が短かかった故であろうか、あるいは僕が記録を撮ることに時間を割き過ぎ、落ち着いてゆったりした時間を持たなかった所為であろうか、あるいは下船しての観光が多かった所為であろうか、クルージング本来の良さ、あるいは目的と言うか、船内でデッキチェアに座り海を眺めたり、本を読んだり、肌を焼いたり等、船内滞在時間を多く持った、所謂スローライフを余り実感できなかったのは悔いが残るところである。

今回も各地で感じたことであるが、外国人の日本語の上手さである。何故、難しいとされる日本語を年少の男女が上手く操れるのか、僕にとってはかなりの驚きである。田舎の食堂、土産品店の、こう言っては失礼だが高等教育を受けていないように見える人達が、流暢に日本語を話す。ガイドなら当然であるが、彼らはどこで学んだのだろう。日本人観光客相手の仕事ゆえ、努力した結果かもしれない。彼らが大きく見えた。

翻って、我々日本人はどうであろうか。長年習った英語もなかなか話せない人が多いと聞く。かく言う僕も、中学から大学一般教養時代迄の7年半勉強したのに、英語力を備えていない。小学生に英語を教えるかどうかで、議論されていた時期があって、何年後か後に実施されるそうだが、1年でも早く教えるべきである。我々の時代は、殆ど文法中心の英語しか教わらなかった。スピーキングやヒアリングのテストなどは無かったし、日本語訳と文法のテストが殆どであった。当時は英語の先生も殆どが日本人だったし、今みたいに外國人の英語教師(あるいは助手と呼ぶのであろうか)が教える学校も殆ど無かった。しかも当時の日本の先生達は留学の経験もない人達が多かったと思う。其の方々から教わった僕らの英語力は、推して知るべしである。僕は学者ではないから、学習時期についての理論的根拠は持ってないが、「習うより慣れろ」が一番の近道だと信じているので、記憶力が旺盛な子供時代から英語に接した方が効果大であると考える。僕の孫は3歳過ぎから外国人について習っている。これだけ街に外國人が住んでいるのだから、彼らを師としない手は無いだろう。昭和28年中学1年生の時、街に殆ど外国人を見ることも無かったが、たまたま我々が進駐軍と呼んでいた若い兵隊が運動会を見に来た。習った英語を使いたくて「Who are you?」と呼びかけ、彼が自分の名前を名乗ったときの嬉しさを思いだしてしまった。

旅行記だからにこんな所まで言及するつもりは無かったのだが、東南アジアの方々の日本語の上手さに驚いたことから派生して、日本人の英語力まで批評めいたコメントをしてしまった。この文を作成中、私が所属する、南の国で暮らすことを目的にする会のご夫婦からスカイプで呼ばれた。彼らは先月末から二人で、シンガポールに7泊してツアーでは味わえない旅をしてきたとのことで、4月に実施を予定している其の会の「九州支部情報交換会」で、素晴らしい発表をしてくれることだろう。我々も旅行後何時も行うことであるが、今回も3家族全員が集まり、映像を見ながら旅の反省会を熊本でする予定である。反省点もいくつかあったが、初めてのクルージングの旅は総じて楽しい旅であった。

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2009年2月 4日 (水)

初めてのクルージング その7

そうそう、昨夜21日の夕食について少し。添乗員が我々宛てに毎日発行するマガジーン(翌日の行事予定等についての詳細な連絡)で、21日の夕食には珍しく寿司が出るとの情報。皆さん期待してレストランに行ったのであるが、寿司は寿司でも全て巻寿司でありました。握り寿司を期待していた人には、がっくり。そろそろ日本食が喰いたいと思っていた人が多かったでしょうから。日本人調理師を見なかったので、多分外人の調理だろう。

22日朝も波静かな日和でした。8時起床。5歳の孫へひらかなだけのハガキをフロントで投函依頼した後、3家族で朝食。いよいよゆっくり出来るのは本日1日、3家族揃って各所で記念撮影すべく船内をうろうろ。

卓球に興じる夫人達。

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外国人の子供と。

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広く長いデッキを背景にツーショット

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その後、ジムで25分ランニング、サウナで汗を流した後、明日の下船に備え荷作りを始める。土産物に備え別に大きなバックを持ってきていたので、荷物の個数は増えた。加え、持参した靴、サンダル2足も多すぎたようだ。今回はどうも「正装」に拘りすぎて、服に合わせた靴が何時もの観光旅行に比べ余計だった。

3時頃6階のツアーデスク前に集められ、明日の下船についての説明を受ける。預かってもらっていたパスポートなども返却された。

ゆっくり寛ぎたいと思っても、以上のような用事でなかなかゆっくり出来ない。今日までの日程を振り返ると、クルーズが持つ本来のスローライフには、なんとなく程遠いように思われる。今回は観光が多すぎたようだ。明日もマレーシアのジョホールバル観光が控えている。

5階中央の少し奥、売店前にワゴンセールが行われているとの情報に家内と出かけた。消費税無しの商品が50%オフで売られ、時計、バンドも10ドルくらいで売られている。これだけ安ければ是非と言う気になる。この船名が印刷されたTシャツやパーカーなどは二度と買えない、えい、思い切れと無駄とは思いつつ又買ってしまった。かなりの人が日本人も含めワゴンを取り囲み、テレビで見るデパート、スーパーの安売り光景と同じような賑わいを見せていた。

ようやく一段落、家内と海でも眺めようと9階デッキへ。アイスクリームを舐めながら、ソーダ水を飲みながら、健康で今回のクルーズが出来た幸せを語りながら、暫し穏やかな海を眺め続けた。

暫し、ゆっくりした時間を。

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いよいよ、最後のディナーの時間である。前夜部屋へチップをいれる封筒が4枚配られた。其のうち3枚(My waiter, Assistant waiter, Head waiter用)に、これも同時に配られたチップバウチャーなる現金に替わる証券みたいな印刷物をいれて、お世話してくれた3人のウェイターに手渡した。旅行案内書によれば、チップは旅行代金に含まれており、額は1人1泊9.75米ドルとのこと。2人、4泊では78ドルとなる。僕には高いか、安いか解らないが、それが彼らの励みになれば嬉しいことである。もう一つの封筒はキャビンの清掃をしてくれる、キャビンスチュワードに渡すことになっていて、既に部屋に置いている。彼には別にお願い事をしたので、気持ちだけ米ドルを加えた。本日のディナーが何時ものディナーと違うところは、日本の民謡がバイオリンで数曲演奏された後、ダイニングルームのスタッフ全員が中央のデッキ迄行進し集合する。挨拶と幹部の紹介があり、挨拶は英語、日本語、中国語で行われた。その後全員でオーソレミオの合唱が行われ、フニクリフニクラにあわせ退出した。非常に和やかな演出であり、終えて通路を帰ってくる一人一人の顔がにこやかで、迎える我々も大きな拍手で応えた。

乗船最後のディナー。

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レストランスタッフ総出の演出(中央部)

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一抹の寂しさを感じながら、例の好感の持てる中国人ウエイターと、もう一度会えれば嬉しいねとの挨拶を交わしたあとレストランを出た。今夜も多くのショウが計画されていたが、明日は早い起床だし、荷作りを確実に終わらせ11時までにキャビンの外に出さなければならないので、5階で少しの買い物をした後、僕ら夫婦は部屋に帰った。

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2009年2月 3日 (火)

初めてのクルージング その6

1月21日(水)、この日だけはモーニングコールなしである。ゆっくり寝れたようであるが、やはり日常より早く目覚めた。天候はクルージング中、快晴の天気は無かったが、ほとんど毎日晴れ時々曇りの天候が続いていた。今日は風が強く吹いているので、暑さを感じない。本日も9階のビュッフェレストランで朝食を採った後、折角水着やめがね、帽子を持ってきたので、15メーター程度の短いプールであるが、泳いでみようかと思いプールへ行った。が、思いのほかの強風である。治りかけた風邪をぶり返したら大変だと思い、止めることにした。その代わり、旅行以来出来ずにいるランニングをするべく、ジムに行きランニングマシーンで約25分間、時速8キロで走った。結構体は軽やかで、何時もの如くびっしょり汗を掻き、終わって直ぐサウナ室に飛び込んだ。

僕がジムで走っている間、家内や友人夫婦は他の希望者と共に添乗員に連れられ、船内ツアーに出かけていた。それは船内の施設を周り、利用方法等の説明を受けるものであり、既に僕は主な施設を周っていたので参加しなかった。

SOLARIUM

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スポーツジム

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上の写真は船内設備のうちの二葉であるが、他のいくつか、例えばメインプールやパットゴルフ場、ロッククライミングの画像は、先日掲載しているので割愛する。

旅行では、バスに添乗員や現地ガイドに加え、写真を売るためのカメラマンが乗っていることが多い。観光地でパチパチ写真を撮り、数枚を1セットにして買わせるのである。それも結構な値段で、大体1枚700円~1,000円位である。しかし現在は殆どの人がデジカメを持っているので、自分で撮影し高額の写真は買わない人が多い。それでもやはりプロが撮った写真なので、確かに上手い。シャッターチャンスは逃さない。折角撮ってくれたのだからと、つい1,2枚程度は買ってしまう。船内でも、正装を強いられたあの日、即ちキャプテン ウエルカムパーティーの時間には、プロ達がカップルを狙って盛んにアプローチしていた。また最初の乗船日も、いつの間にか写真を撮られていて、船内のある場所に数百枚が貼り出され、確か1枚900円の価格が付いていた。僕も結構カメラに収めたつもりだか、今になって思えばもっと撮っておけばよかった場所や物が多くある。撮った写真も殆どが人物も入れての撮影なので、なかなか公開しずらい。そんなことでブログに掲載したかった場所の写真が足りず後悔している。例えばカジノ、ビュッフェレストラン、フロントパーサーデスク、売店等々。

午後1時頃(現地時間、日本との時差はマイナス2時間)タイのプーケットへ入港した。その頃になると、本船に釣ってある100人乗り程度の小型船(テンダーボートと呼ぶらしい)が海上に下ろされる。沖合い1キロくらいに停泊した本船から、そのテンダーボートに乗り移りパトンビーチに向かう。この船上から初めてレジェンド・オブ・ザ・シーズの全景を見ることが出来たのである。

パトンビーチから見たレジェンド・オブ・ザ・シーズ(手前はパトンビーチのパラソル)

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パトンビーチ

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僕はいまだタイ国でのロングステイの夢を捨てきれないでいる。プーケットには行ったことが無く、人様から聞く島の情報に胸を躍らせ、ここを訪れることが今回の旅で一番の楽しみであった。テンダーボートから見たパトンビーチの壮大さには、驚きの声を上げた。日本で有名な桂浜や鹿児島の磯浜など、あまりに短く比較できない。当然日本にも長く広いビーチもあるだろうが、僕が知っているところとの比較である。延々長く続く砂浜、ビーチパラソルの数、それにもましてそこで遊ぶ人の数。聞きしに勝る光景に映写機を回し続けた。残念なるかな今回は其のビーチを歩くのでもなく、それに続く街中を散策するのでも無く、数分間砂浜横の道路を歩き、バスで島最南端のプロンテープ岬へ向かった。その間にもいくつかの有名なビーチを通過し、無数のパラソルを目にしたが、それほどまでにこの島には人が集まるのであろうか。

目的地に着いたが、僕はプーケットの名前が付いたTシャツが欲しかったので、駐車場近くの土産品店に立ち寄った。数枚のTシャツを買い、ガイドを追いかけたが肝心の説明が終わっており、多くはカメラ撮影等に余念無かった。説明書によるとその岬は周囲のビーチや島々を一望できるビューポイントとして有名らしく、特にサンセットの美しさは評判らしい。島国の日本においてもサンセットの美しいところは沢山あり、実際自分もいくつか見ているので、特段その夕日を見たいという気持ちにはならなかった。どこでも見られる平凡な光景の、掲載するに値しない下手な写真であるが、ほかに撮っていなかったのでそれを掲載する。

プロンテープ岬(プーケット島最南端)

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岬を見た後チャロン寺に立ち寄ることになった。タイ国ではバンコク、アユタヤ、特にチェンマイにおいては多くの寺を見学しているという気持ちがあって、なんとなくバスを降りる面倒もあり、この寺には僕一人がお参りしなかった。車中で所在無く、10バーツ(約26~27円か)で買ったペットボトル入り水で喉を潤しながら、外の風景を眺めていた。

この島での主な作物は天然ゴム、ココナッツ、カシューナッツ、パイン等で、海老養殖、真珠養殖も行われているらしい。我々は最後に、カシューナッツ工場を訪れ、味見用のサンプルを食べ、その美味さに、僕は持っていたバーツを全て使い土産用にナッツ類を買い込んだ。パトンビーチの両替店で、素人判断ながらバーツはこれが底だろうと判断して円をバーツに両替しようと思ったが、本年中か来年初めにチェンマイ行きを計画してはいるものの、突発的事態発生で行けなくなることも考えられるので、とうとう両替しなかった。

タイ式マッサージが確か2時間、200バーツ位で出来ると言う情報があった。最終のテンダーボートはパトンビーチを21時15分なので、十分時間はある。友人達は乗り気であったが、確かに安い。しかしそれがビーチの簡易小屋の中で、人から見える場所で、しかもエアコンも無いところで受けることを聞き、止めようということになった。只、後で聞いたところでは、皆がしり込みしたので、添乗員が別の良い部屋で出来る所を捜してくれたそうである。このマッサージは実に気持ち良い。初めて受けたのはアユタヤで、2時間4,000円であったが、チェンマイでは最初訪れた2006年が2時間300バーツ(当時900円)にチップ50バーツ(150円)で、翌年も同じ300バーツであったが、1バーツが3.6円ほどになっていたため、実質1,100円程度であったろうか。悲しいことに、限られた時間内に多くを経験したいと言う気持ちとは裏腹に、体が休息を要求する。何でも早く始め早く終えて、事に当たって慌てたくないと言う気持ちになって行く。老化の現われだろうか。そんな気持ちにも押され、誰からとも無く「早く帰ろうか」と言いはじめ、明るい時間にボートで本船に帰ったのである。

友人の一人とサウナへ行こうかとの話になり、一足早く一人でサウナ部屋へ向かった。いわゆる乾式と湿式があり、僕の最適温度は92,93度である。これは日本で毎日通うジムのサウナの温度が其の温度なので、体がそれに慣らされたためだろう。ところが乾式に入ったら、温度が低い。慌てて湿式のほうへ駆け込んだら、これが実に気持ちよい。日本ではこの湿式サウナはあまり多くない。じわじわ、汗が噴出してきて後から入ってきた友人と暫くこの湿式サウナを楽しんだ。

ついでにこのサウナについて書いておく。翌日も、一人サウナ室へ行った。今回は先客があり2,3人の客が乾式の方に入っていた。僕は当然裸で湿式サウナに入っていたら、パンツにバスタオルを巻いた、明らかにインド人とわかる若い男が何も言わず入ってきた。僕はとっさに「ハロー」と挨拶したが、先方は挨拶を返さない。僕はそれ以上何も言わず、と言っても黙っているほうが気が楽であるので、体に付いた水滴をペチャペチャ手で落としながら良い気持ちになっていた。ところが彼は僕のほうをチラチラ見る。ひょっとすると僕が裸でいるのが異様に映ったのかもしれない。多分日本人なら僕を含め、サウナ風呂には裸で入るのは常識である。(ジムでは男女同室なので水泳パンツであるが)僕は「バカな奴だ、サウナの良さは裸で感じるものだ、なんでパンツをはいて穿いているのだ」と思っているので、裸が恥かしいなど考えもしない。暫く無言でいたが、「ひょっとして国際的にはマナーとして、パンツを穿くのではなかろうか」という思いが頭をよぎったので、出ることにしてシャワーを浴びて着替えに掛った。そうしているうちに、そのインド人も着替え始めた。またまた驚いたことに、誰からも見られることもないのに彼はバスタオルを腰に巻き、女性がするように、タオルで隠しながらパンツを脱ぎ始めた。僕はちらちら不思議なものを見るように「よほど自信が無いのか」などと、笑いを堪えながらサウナ室を後にした。僕には解らないが、宗教的に男でも人前では性器を見せてはいけないとの教えがあるのだろうか。面白い経験をしたサウナであった。

プーケットから船に戻った夜は、3家族全員で、デッキに集まり焼酎でも飲もうかということで話がまとまり、持ってきた焼酎の水割りを楽しんだ後僕を除いて、イベント会場へと繰り出した。何故僕が行かなかったのか、実は皆に断らず部屋にカメラを取りに行ったのである。10分くらいで戻ってきたがそこに彼等はいなかった。船内のイベント会場を、かなり捜したが彼等を捜せなかった。結局9階デッキで一人、軽食と飲み物で暫くですごした後、自分の部屋でふて腐れて寝ていたら、家内が帰ってきた。皆は僕が疲れて寝るために席を離れたのだろうと思ったらしい。たった一言言わなかったばかりに、皆と行動を一緒に取れなかった。

船は夜10時頃プーケットを離れ、シンガポールへ向かっていた。相変わらず波も静かで船は全く揺れを感じさせなかった。明日は一日中クルーズである。

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