4時過ぎにトイレに行ったらそれから眠れない。家内も目が覚めたらしい。二人でデッキに出ることにした。雨でもないのになんだか湿っぽい、一時雨が降ったのかもしれない。南国とはいえ、夜明けの海上は寒さを感じる。さすがに乗客の姿は見当たらないが、一人、二人乗組員が僕らの前を通り過ぎる。海上は未だ真っ暗。暫くデッキを歩いたり遠くに見える灯かりを見たりして過ごしたが、6時のモーニングコールを思い出したので、部屋に帰ることにした。日本語の聞こえないテレビは、見ててもつまらないがそれでも電源を入れた。あと、2,3時間で下船である。一抹の寂しさがこみ上げる。何時も旅行で感じることだが、日程の後半は時間が過ぎるのが早く感じられる。今回ももう少し旅を続けたいとの思いが、そのような気持ちにさせるのであろうか。
夜明けのデッキ
入港直前のシンガポール港
何時もより早く、6時過ぎには船内での最後の食事を、何時ものメニューで採った1時間位あとに,船はシンガポール港に接岸した。
船内での買い物、郵便切手、食事のたびのアルコール代金などの支払いは、先に述べたシーパスカードで処理することになっている。その明細書は昨夜のうちに部屋に届けられ、受領書と照合し間違い無いことを確認していた。
船内係員の指示で下船するが、各国への入国審査と同じ面倒に加え、そのシーパスカードのチェックも加わるので時間が掛ると案じていたが、意外と短時間で下船手続きを終えて、再びシンガポールの地を踏んだ。
バスに乗り込み約45分、出国手続きの後、対岸に見えるマレーシアのジョホールバルへ向かう。その間約15分位か。この地は3年前にも訪れており、観光場所もほぼ同じであるようだ。以前より街がきれいになっていて、建物も多くなり、大きな建物が増えたように感じた。前回は税関近くのトイレで、大変な目にあったのでシンガポールでしっかり済ませてきた。小さな穴に向かい済ませた後、汲んであった水で流す大変な作業であったから。
ジョホールバルでは王宮、イスラムのアブバカールモスク、マレー村、更紗工場などを見学したが、さすがにイスラム教については、ガイドが詳しく説明してくれた。マレー村では熱帯の樹木、果樹が多く植えられ、若者達が現地の楽器で日本の童謡を演奏、踊りを披露してくれた。舞台にはお金を入れる透明なプラスチックの箱が置いてあり、結構な量のお金が入っていたが、今回の観光客は誰も入れなかったようだし、僕も入れなかった。お金が惜しかった訳ではないのに、何故気持ちを表さなかったのか悔いが残った。付属した店で錫製の冷酒用グラスを、少々高価であったが日本円で買った。未だ若い20台の男性の実に上手い日本語での錫の説明や、それを我々に勧める話し方、礼儀正しさに感じ入ったからである。
イスラム アブバカールモスク
ゴムの木
バナナ
マンゴスチン
マレー村で見た結婚式で新郎、新婦が座る椅子
美味しいマレーシア料理のバイキングで昼食を済ませ、2時過ぎまたシンガポールへ向かった。4時過ぎからインド人街、アラブ人街、チャイナタウンを散策する予定が組まれている。
チャイナタウン
旅行中、1,2度は免税店での買い物の時間が取ってある。チャイナタウン散策後、免税店へ。僕は殆ど土産品は買ってるし、特に欲しい物はない。正直言うとあるのだが、高価で手が届かず、はなから諦めているので考えようともしない。入手可能なのは、食品くらいだろう。免税店を出て、そこで友人達と別れ、家内と二人で許された約1時間半でオーチャード通りを散策する事にした。さすがに有名な通りである。特に今日は金曜日ということもあって、人、車の多さには驚かされる。人種も様々である。日本ではデパートのブランド品のコーナーへ立ち寄ることも無いが、たまたま見つけた服のブランド店に入った。さすがに高級であることが素人の僕にも解るが、其の価格も半端じゃない。何時ものごとく「えい思い切って」と、喉まで出掛ったが、ハンドバッグに下げる小さな時計を一つだけしか買わなかった家内に遠慮して、買えなかった。買い物、特に旅先での買い物は買ってしまった後悔より、買わなかった後悔のほうが多きいことを何度も経験しているので、後悔するのではと思ったが、さすがに額が大きすぎたのか、殆ど其の品物を思い出すことも無く過ぎた。
オーチャード通りの賑わい 1
オーチャード通りの賑わい 2
夕食はシンガポール名物という「スチームポート」と呼ばれる、日本の鍋物と同じ料理であったが、店主のアルコール代金を集める態度があまりにも性急で、飲み終えてから、あるいは時間を置いての請求であれば許せたのであろうが、テーブルに配るや直ちに代金回収を始めた。普通、食事を終えたか、終えそうな頃を見計らって請求に来るのがマナーのように思えるので、これには何名かが不快感を表し始めた。たまたま、いわゆる食べ放題であったので、其の不快感を晴らす為か、食べ切れなくなっても食材を何度か追加して、結局食べ残しを作らせた。大人気ない仕業ではあったが、時間が迫っているわけでもないし、まして高々ビール代金を払わないはずは無いのだから。よほど腹に据えかねたのだろう。まさに下手な商売の典型である。
ま、こんなこともあったが腹も満たせたので機嫌を直し、シンガポールから日本への出発は午前1時10分であり、かなりの余裕があったが、そのままチャンギ国際空港へ向かった。8時頃着いたが、まだまだ時間はたっぷりある。旅行社から依頼されたアンケートを書いたり、待合室で写真を撮ったり、床に寝そべったり、なんとか時間を潰した。
ほぼ、定刻どおり1時10分頃離陸、約6時間の飛行である。小心者の僕は航空機ではなかなか眠れない。多分、全く眠らなかったことは無いと思うが、熟睡など出来るはずがない。何時も睡眠導入剤を持っていくが、飲んだことがない。とうとう今回も飲まなかった。僕はビールを注文して、アルコールの力で眠ろうとしたが無駄であった。過去に、バンコクから同じ時間帯に出発する便で帰国した経験が二度あるが、其の時もやはり眠れなかった。それでも今日は朝食の機内食は残さず食べたし、朝からビールも飲んだ。爽やかであった。
偏西風が強かったのであろうか、1,000キロを越す速度で、予定より20分も早く、7時40分には福岡空港へ到着した。驚いたことに福岡は雪の朝を迎えていた。数時間前は30度以上の暑さで、30数度の温度差である。入国審査に結構な時間が掛ったが、全員無事で帰国できた。友人が早期に申し込んで呉れたお陰で、いくつかの恩典に恵まれた。旅行代金の割引、各国の出入国カードの記入サービス、スーツケース一人1個を自宅から福岡空港間の往復を宅配してくれるサービスである。お陰で行きも帰りも小さなバッグ一つで身軽であった。熊本の友人宅で車を乗り換え鹿児島へ向かったが、途中眠くなったら危険である。温泉センターで入浴、仮眠を取り、早めの夕食も済ませ高速道路を自宅へと急いだ。
クルージングがどのようなものであるかは、今回経験して解った。ただ、航海期間が短かかった故であろうか、あるいは僕が記録を撮ることに時間を割き過ぎ、落ち着いてゆったりした時間を持たなかった所為であろうか、あるいは下船しての観光が多かった所為であろうか、クルージング本来の良さ、あるいは目的と言うか、船内でデッキチェアに座り海を眺めたり、本を読んだり、肌を焼いたり等、船内滞在時間を多く持った、所謂スローライフを余り実感できなかったのは悔いが残るところである。
今回も各地で感じたことであるが、外国人の日本語の上手さである。何故、難しいとされる日本語を年少の男女が上手く操れるのか、僕にとってはかなりの驚きである。田舎の食堂、土産品店の、こう言っては失礼だが高等教育を受けていないように見える人達が、流暢に日本語を話す。ガイドなら当然であるが、彼らはどこで学んだのだろう。日本人観光客相手の仕事ゆえ、努力した結果かもしれない。彼らが大きく見えた。
翻って、我々日本人はどうであろうか。長年習った英語もなかなか話せない人が多いと聞く。かく言う僕も、中学から大学一般教養時代迄の7年半勉強したのに、英語力を備えていない。小学生に英語を教えるかどうかで、議論されていた時期があって、何年後か後に実施されるそうだが、1年でも早く教えるべきである。我々の時代は、殆ど文法中心の英語しか教わらなかった。スピーキングやヒアリングのテストなどは無かったし、日本語訳と文法のテストが殆どであった。当時は英語の先生も殆どが日本人だったし、今みたいに外國人の英語教師(あるいは助手と呼ぶのであろうか)が教える学校も殆ど無かった。しかも当時の日本の先生達は留学の経験もない人達が多かったと思う。其の方々から教わった僕らの英語力は、推して知るべしである。僕は学者ではないから、学習時期についての理論的根拠は持ってないが、「習うより慣れろ」が一番の近道だと信じているので、記憶力が旺盛な子供時代から英語に接した方が効果大であると考える。僕の孫は3歳過ぎから外国人について習っている。これだけ街に外國人が住んでいるのだから、彼らを師としない手は無いだろう。昭和28年中学1年生の時、街に殆ど外国人を見ることも無かったが、たまたま我々が進駐軍と呼んでいた若い兵隊が運動会を見に来た。習った英語を使いたくて「Who are you?」と呼びかけ、彼が自分の名前を名乗ったときの嬉しさを思いだしてしまった。
旅行記だからにこんな所まで言及するつもりは無かったのだが、東南アジアの方々の日本語の上手さに驚いたことから派生して、日本人の英語力まで批評めいたコメントをしてしまった。この文を作成中、私が所属する、南の国で暮らすことを目的にする会のご夫婦からスカイプで呼ばれた。彼らは先月末から二人で、シンガポールに7泊してツアーでは味わえない旅をしてきたとのことで、4月に実施を予定している其の会の「九州支部情報交換会」で、素晴らしい発表をしてくれることだろう。我々も旅行後何時も行うことであるが、今回も3家族全員が集まり、映像を見ながら旅の反省会を熊本でする予定である。反省点もいくつかあったが、初めてのクルージングの旅は総じて楽しい旅であった。
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