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2009年5月

2009年5月25日 (月)

友、遠方より来たる。

この1週間に3名の友が訪ねて来た。1名は大学時代の友人、2名は中学時代の友人である。大学も中学もクラス会として2年毎の開催が決まっており、どちらも来年の予定である。因みに高校は来月下旬、5年ごとに行う記念同窓会として行われる。

東京に住む大学時代の友は昨年のクラス会寸前、身内の不幸で参加出来なかった為、熊本で行われた高校の同窓会のついでに鹿児島まで足を延ばす事にしたらしい。新幹線で到着した友の希望で、直ちに母校の学部を訪ねる事にした。第1回のクラス会を平成5年に僕の幹事で行ったが、集合場所としてそこを選んだものの、校内散策に掛ける時間が取れなかった。

卒業以来45年経っているので、全て様変わりしている。当然先生方は退職されているので、知っている人は誰もいない。事務室で挨拶すると全員起立しての返礼であった。木造の校舎は当然鉄筋に変わっており、場所も昔のままではない。実習室、実験室の場所など全く判らなかった。

学部裏門

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一般教養から専門に移った時、学部の前は海であった。国道の下の水門からヨット、カッターを出した昔を思い出しその水門を捜した。あった!二人ともほぼ同時に感嘆の声を上げた。水門跡が記念碑として残されていたのである。実に嬉しく安堵した。思い出深い場所故に、有難く感謝したい気持ちになった。

水門跡

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卒業後2~3年の間にその海は埋め立てられ、現在は球場、ホテル、放送局その他の施設が立ち並んでいる。綺麗な松原のヨットハーバーがあったことを知っている人も少なくなっていくだろう。土地の少ない鹿児島市としては、埋め立てが土地確保の最善策であったにしても、海に関係する学部の卒業生としては寂しい限りである。約1時間半、回顧談に時間を忘れ隅々まで歩き回った。

昼食を取った後桜島へ行きたいと言う彼の願いで、フェリーに車を積み20分程度で現在は鹿児島市になっている桜島へ渡った。彼は学生時代1回しか渡った事が無いと言う。

鹿児島の話になると「桜島に良く行かれたでしょう」と聞かれるらしい。その都度「ええ、まあ」とかでお茶を濁したが、今回良く観察し脳裏に焼き付けようと言っていた。晴れて、涼しい絶好の観光日和であったが、期待した爆発は起きなかった。海釣り公園で釣り客と話したり、溶岩道路を走り、林 芙美子の文学碑を訪ねたりして僕の家に落ち着いた。

フェリーから桜島を。

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海釣り公園での釣り人。

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級友の消息についての内容が、仕事から本人や連れ合いの訃報や病気に変わるのは、この年齢になると何も不自然な事ではないのだが、飲んでいてもやや湿っぽくなるのは避けられない。この話から何故そのようになったのか思い出せないが、来年僕が上京して関東在住の級友達と会う事を約束させられた。

3日後、中学校の同級生が2人訪ねて来た。一人は福岡から一人は熊本からであり、それぞれ5年半ぶりと1年半ぶりに会う友である。中学時代は常に一塊で行動していた仲の良い級友であった。

「去るものは日々に以って疎し」、よく言ったものである。進んだ学校が違い、さらに勤めた会社が違い、趣味が違ったり生活する都市が違えば、よほど「親友、心友」の間柄でないと次第に交情が薄くなるのは当然の事である。

二十数年前に一寸した行き違いで、一時交友が途絶えていた一人が、関係修復のためにもう一人を誘って来たのであるが、個人的には全くと言っていいほど、不快に感じていなかったので驚くより途惑った。

自宅に訪ね来た彼等と挨拶を交わし1時間程度の雑談後、3人で鹿児島市のホテルにチェックインした。夕方から生憎の雨になったが天文館の居酒屋で飲み始めた。友としては、これで一区切り付けたいという気持ちであったろう。

核心の行き違いについては触れず、当たり障りの無い会話と、級友の消息が話題の中心であった。彼が当時の心境を全て吐露するには、僕との距離が縮まっていなかったからであろう。熊本市でも一、二番のマンモス校であったので、悲しいかな級友の顔と名前が一致しない事もあったが、次第に当時の先生方の顔、出来事なども懐かしく思い出されてきた。

僕の気持ち一つで3人が再度、昔みたいな仲間として付き合えるような雰囲気でもあったが、希薄になった関係は頻繁に会ったり会話しない限り、その関係を続けて行くことが難しい事は、過去の経験で良く解る。

翌日は近くの観光地を案内する予定にしていたが、彼らは純粋に僕と飲み、話す事を目的で来たのだ。僕の誘いも断り、チェックアウト後中央駅から新幹線で帰って行った。

中学時代あれほど仲の良かった仲間も、数年に一回程度の接触では当時の親近感は保てず、距離を保っての交友関係が今後続くであろう。二人に対して申し訳なさを感じながら帰宅した。

遠くの親戚より近くの他人と言われる如く、人間は晩年になると万一の場合や、日常お互いが助け合う為には近くに住む友人が頼りになる事が多くなる。遠くの友人を蔑ろにする気持ちは全くないが、居を定めた地域の人達や、近くの友人達との交友は心して深める必要がある。今回の古い友人達の来訪を切っ掛けに、色々考えさせられた日々であった。

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2009年5月20日 (水)

そんなに難しいのかケイタイ操作。

友人と二人で「ずっとケイタイ持たずにいこうね」と約束していたらしい。とは言うものの殆どの友人は持っていると言っていたし、本音は欲しかったのではと僕は睨んでいた。だが僕は「今まで使わなかったし、その年で持つ必要も無いだろう」と賛成もしなかった。

ところがである、詳しい経緯は聞いてないが、娘が母の日のプレゼントにケイタイを贈ることになったようである。心配は友人との約束である。なんと説明しようかとの心配をよそに、現物が届くと喜びの表情を言葉には出さないが、とても嬉しそうに見えた。

娘との通話は無料になるらしい。それはともかく、早速充電して使用方法を教えてくれと僕に頼みに来た。「取説を読めよ、俺のケイタイは別会社のものだから、その機種は解らない」と面倒さが先に立ち逃げたが、結構執拗であった。

年を取るに従い説明書等を読むのがしんどくなる事は自分も判るが、基本の基本が判ってないと説明しても理解できないはずだ。その基本を先ず理解して欲しかったのであるが、それさえもせず教えてくれと言う。4万円以上を払って買ったPHS時代から十数年、何台もの機種を使い続けている僕などは、取説を読まなくとも所謂、勘で何とか使えるようになるが、メカに弱い彼女にはなんとも怖いものに映ったのであろう。

「ここが大事だから忘れるな」と何度も念を押し説明を続けるが、1分もしないうちに忘れている。「もう能力がないのだから、持つ資格無し」とまで言わせるくらい僕を怒らせたが、やはり覚えない。声も荒げ喧嘩腰になる。「そんなに難しいのか、ケイタイの操作は」と、最後は愚痴。

老齢者用には電話機能と、メール用二つだけの機能を持った機種で良かったのに、余りにも多くの機能が付き過ぎている。これでは確かに覚えきれないのも無理ないと思う。若い人達は短時間で理解できるのに、個人差はあるだろうが悲しいかな固くなった頭には、簡単な操作説明も入って行かないのかも知れない。

それでも3日経った頃には電話とメールの発信、送受信は何とか出来るようになった。こうなると嬉しいのであろう。特にメールでは漢字、英数字、カタカナ、ひらかな色々使う。その練習相手に選ばれたのが、僕と彼女の友人のケイタイである。

なんと「おはよう」を初め簡単な文が、僕のケイタイに6~7通送信されていた。友人のケイタイにも何とも幼稚な文章を送信し、又その友人も面倒くさがらず励ましの文を10通近く返信してくれていた。さすが女性同士である、小学生に対し自信を持たせるような優しい文が送信されていた。

彼女が遊び感覚でこれを使い、少しは頭を悩ませながらも機能を覚えていく事が、所謂ボケ防止にもなるかも知れない。何より嬉しいのはケイタイを所有する事により、遠くに住む娘が自分のすぐ傍に何時も居るという気持ちで、生活できる事ではなかろうか。これが一般の家庭電話とケイタイの違いだと僕は思った。

家内が嬉しさを隠しながらもケイタイを弄っている姿は、言葉に出さなくともそのことを如実に物語っているように思えた。

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2009年5月19日 (火)

何故神戸なの?新型インフル・・・・

16日に新型のインフルエンザによる国内初感染が神戸市で確認された報道に、「エ、何故神戸」と驚いた人は沢山いただろうが、僕もそうであった。神戸市には娘一家が住んでいるから。ただ、強毒性はなさそうだという事から「過剰反応」との疑念の声も出始めたが、それでも神戸市ではマスク姿が増え始めたとか、修学旅行が中止されたとか、大阪府や兵庫県では4,000校が休校したとかの報道があった。

連日、娘に「変わりないか」と電話する。娘は「何故そんなに騒ぐの?」と怪訝な声。「そんなに安心していて良いのか?」。「騒ぎすぎじゃない?」と娘。そんなもんかなと納得出来ず、安心して居れないのは親としては当然のことである。

二日前の6時過ぎ、一杯飲んでいい気分になっている時、娘一家が大阪で暮らしているY君から電話。「大阪ではマスクが不足しているので、送って欲しいと頼まれたが、熊本でも3軒廻ってようやく入手出来た」との由。驚いて近くのドラッグストアに行こうと思ったが、何時もは飲まない家内もビールを少々飲んでいる。

仕方ない、徒歩で急いだ。途中で娘に経緯を電話して「買って送るから」と言うと、要らないよと素気無い返事。少々ムカッとしたが、要ると言った時直ぐ送れるようにと、新型インフルに適応したマスクを20枚購入した。60枚買おうと思ったが、マスクに1万円近い支払いはどう考えても痛い。既にこの店では適応マスクの特設コーナーが設けられ、商魂のたくましさに驚いた。

騒ぎすぎよと言っていた娘も、流石に妊娠している身体だけに少しは心配になったらしい。夫の父親から会社まで送り迎えをしてもらっているとの、少し照れての電話が家内にあった。やがて「マスクも送ってよ」との依頼があるのも時間の問題か。それにしてもこのインフルは何時になったら沈静化するのだろう。

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2009年5月16日 (土)

警察学校生徒と思川清掃。

毎月第3土曜は、姶良町を流れる思川あじさいロードの清掃ボランティア日である。4月は都合で参加できなかったので、今回は是非と思い昨夜は10時過ぎに就寝、今朝6時半起床した。

7時20分頃集合場所に着いて暫くしたら、川沿いの道をユニフォーム姿の一団が隊列を作ってやってくる。女性も混じっているようだ。県警察学校が鹿児島市から移転し、ここ姶良町に4月1日に開校した事は町の広報誌で知っていた。思川沿いに新築された校舎で、本年4月入校の120数名が学んでいるとの事である。

一団は彼等であった。本年4月入校の警察官の卵である。隊列を組み、我々の前に整列し、元気な声で挨拶する。習ったばかりの敬礼が微笑ましい。10月が卒業らしいから大学卒業者なのであろうか。

思川沿いの校舎で学ぶので、その川の清掃をお手伝いしたいとの申し出があり、4月から手伝ってくれているのだと理解した。僕は自治会長の挨拶に「気をつけ」の姿勢で聞く彼らを頼もしく見つめた。女性7~8名、男性20数名程度の人数である。自分の子供よりずっと若い彼らであるが「社会的秩序、交通の秩序を維持し、その他将来にわたり日本における平和を維持する」使命を今後担って行かねばならない。

行動も機敏であった。高々1ヶ月半程度の教育で若人は変われるのである。仕方無く参加したのだという気持ちの者は一人もいないと思わせる、明るく元気な挨拶とその表情であった。

集合場所へ進む警察学校生徒達。

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集合した警察学校生徒達。

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ボランティアの方々。

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一般の参加者も30名程度なので、60名近くの人達が川の両岸を草払い機や鎌で生い茂った雑草を刈り、やがて花を咲かせるであろう、雑草に埋もれそうなあじさいを際立たせるのである。同時にゴミや危険物も拾う作業も行う。

作業をする生徒達。

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同上。

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1時間の作業で、参加者達は8時半頃にはそれぞれ帰って行ったが、学生達は全員が揃うまで待機していた。僕は彼等に敬意を表する目的で暫く残り、有難うの言葉を伝え帰宅した。

実を言うと、僕の父も長い警察官生活の一時期、教官として警察官の卵を教えていた。僕が中1の頃であるから、18,9歳の学生達も大人に見えた。学校の中に官舎があったので、校庭で指導している父の姿を何度か見ている。親父の仕事に魅力を感じたのか、弟も同じ道を選び、さらに彼の子供も又同じ仕事を選んだ。

その頃の父よりずっと年を取ってしまった僕であるが、作業中その当時の事が思い出され、彼らに強い親近感を持った。試験、試験で上がっていく世界であるが、警視まで上り詰めるのは大変な努力を要する。皆負けずに頑張れよと心で呟いた。今日は教官時代の父の想い出と、看取るまでの父との同居生活を思い出させてくれた若者達との短い交流であった。

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2009年5月15日 (金)

一ケ月ぶりの郷里と花いっぱいの友人宅。

高校時代の友人3人で始めた「3人会」のメンバーから「久しぶりにどうだ」との電話。今月はスケデュールがいっぱいであったが「喜んで行く」と伝えた。月に一回は熊本へ出かける予定にしているが、墓参と飲み会では二日の行程が勿体無い。

元職場の友人達にゴルフの組み立てを依頼して、早朝に姶良を出発し熊本迄2時間弱、9時前には到着した。たまにはメンバーコース以外でのプレーも良いのではと、年金暮らしのリタイアー組には打って付けの「ファミリーコース」でする事になったらしい。グリーンは二つあるが、一つのティーグラウンドで場所を変えて打って行く9ホールのコースである。食事もクラブハウスではとらず、手作りの弁当やコンビニで買ったお握り・サンドイッチをスタート待機小屋か芝生の上でとる。僕らのゴルフはこの程度で十分だ。

当日は高温であったが、爽やかな風が吹いており実に快適であった。会話も弾み1ラウンドも2時過ぎには終了し、父母が眠る墓地へ急いだ。最近の出来事を報告し花を手向け、飲み会会場へ。

「3人会」は結成後入会者が増えて8名程度になり、まだ増えそうであるが名称は変えていない。「今日は幹部会だから3人で飲むぞ」との連絡を受けていたので、何年ぶりかで結成時の3人での飲み会を始めた。「卒業後50年、何とか生きてきたなー」、節目の年だけに過ぎ去った昔を偲ぶ言葉が出たりもしたが、声だけには自信のある3人は、2次会では点数が表示されるカラオケセットに向かい競って歌い、気勢を上げた。僕はそこで別れ、食いたかった熊本ラーメンを食べたが、彼等二人はさらに行きつけの店で飲んだ事が、翌日届いたメールで判った。夜の繁華街は不景気を如実に反映して、客待ちのタクシーだけが矢鱈に多く、狭い道を占拠していた。

翌日は、先日キャンピングカーで2泊して初乗りを経験させてくれたMさん宅を訪ねた。熊本市から南東に7,8キロの彼の家は多分400坪くらいはあるだろう。大きな樹木もあるが花好きの夫人の趣味で、一面花、花である。

地植えの花と鉢植えの花。

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僕が彼らにびっくりグミの話をした時、「家にも生っているから見に来ないか」と言われ、それが目的で行ったのである。

僕のグミとは比較にならない程の大きく茂ったグミで、実の数は余りに多く、赤く熟れた実は少し渋みもあるが甘かった。僕の小さなグミの木も、來年こそ何とか多くの実を付けるように育てたい。

グミの木

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鹿児島の友人Hさんから貰って移植した「タラの木」は、僕の知識不足で枯らしてしまったが、Mさんの庭にも大きなタラの木が何本も植わっていた。「来年2月ごろ欲しいだけ持っていけ」と言ってくれたので、その移植に適した2月頃を楽しみに待ちたい。

昼食を戴いた後、時間はたっぷりあるので3号線をゆっくり南下し、水俣から大口市を経由して姶良へ向かった。途中の西回り自動車道の無料通行区間も、日奈久から佐敷(芦北町)まで延びており、ここ2年以内に全面開通することで、3号線を4時間以上掛っていた鹿児島、熊本間が半分以下に短縮されるであろう。隔世の感ありである。

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2009年5月11日 (月)

最高の釣果で大満足!

前回から一転、楽しい話題を。この日記に何度も出てくるHさんは、もはや釣りキチと呼んでも過言ではない。あれほど好きだったゴルフを完全に断ち切り、釣りにのめり込んでいるのだから。

その彼から船によるアジ釣りの誘いがあった。同行者は彼の高校時代の同級生2人で、僕より3歳年長者である。長幼の序を重んじる僕としては気を遣わねばならないので、正直気が少々重かったが他ならぬH先輩の誘いであるから、有難く受ける事にした。

ただ、一つだけ注文をつけた。友人の殆どの人が知っている事であるが、僕は朝が弱い、いわゆる夜型人間である。午前4時頃でも未だ真夜中であると感じる程だから、早くとも6時半に港集合にして下さいと頼んだ。Hさんも十分その事を弁えてくれているので、了承して呉れた。

天気は快晴、海は凪、潮も大潮であるらしい。4人を乗せた船は6時35分頃、加治木港から桜島に近い燃島へ向かった。H船長の操縦で約20分近くかけて釣り場に到着した。距離にすると10キロ程であろうか。

釣り場に着いた頃、桜島が爆発した。

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好天と休日で既に20隻以上のプレジャーボート、漁船、遊漁船が集まっていた。H船長は魚探で慎重に棚を探っていたが、何とか群れを見つけ碇を下ろすように指示した。

近くにいた遊漁船(救命胴衣を着けている)

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釣り船の群れ

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約60メーターの深さである。何時もは僕が船首にいてアンカーの投入と引き上げを行うのであるが、当日は年長のTさんと共同ですることになった。ウインチが船には付いているが、5,60メーターを何度も上げ下げすると結構両手が疲れる。幸い今回は1回きりであったので手が痛む事は無かった。

僕は電動リールを持たない。鹿児島に転居するまで、こんな深場で釣りをするのは稀であったから。何時も両軸受けリールの手動を使う僕に、当日はHさんが予備の電動リールを貸してくれる事になった。加え彼手作りの「サビキ」まで与えて呉れた。その親切には頭が下がる。市販のサビキは長く使用するとエダスが捻じれて食いが落ちるが、彼の作ったサビキは最後まで活躍した。

狙いはアジとサバである。錘は60~70号を使い、鹿児島に来て初めて見た三角形の袋に、オキアミ、パン粉、米ぬかを混ぜた撒き餌を入れて、サビキの針に付け餌のオキアミを刺し海中に落とす。

直ぐ全員にアタリが来た。僕の竿も大きく撓みアタリを確認してゆっくり電動リールを巻き上げた。実に楽な釣り方だ。なんと6個の針に4尾のアジ。多分全員が大漁を予想しただろう。

まさに入れ食いであった。かつてこれほどの入れ食いを経験した事はない。たまには小型の鯛も釣れるが、殆どサバは釣れない。皆はサバを釣りたかったらしいが一人2~3尾しか釣れなかった。アジの大きさは約25,6センチでさほど大型ではない。船尾で釣っている物静かなMさんも、時たま興奮の声を上げる。理論家のTさんは僕に竿の選び方、餌の付け方、投入速度などを指導してくれ、今後の参考になった。

ダブルで釣り上げて喜ぶH船長

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余裕を見せるTさん。

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僕のクーラーは大きくない。かつて大型の魚を沢山釣った経験もないので、30年前に買ったクーラーを今でも使っている。そのクーラーに獲物がいっぱいになり、中蓋を外して入れ込んだ。

小さなクーラーにいっぱいのアジ

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僕にとって釣りはあくまでリクレーションである。適当に釣って、釣に飽いたら海を眺め、それに飽いたら早めに引き上げたい。ビールは忘れず持参し、海から周りの景色を眺めながら飲む。僕は一人、皆が釣りに夢中になっている時、飲みながら早めの昼飯(コンビニの納豆巻き)をとった。車はH船長が運転するので安心して飲める。

実を言うとクーラーいっぱいになる前に、もう釣りに飽いていた。だが2人に遠慮して「引き上げようか」と中々言い出せない。Hさんとは何度も釣りをするので、僕が飽きっぽく、諦めが早く、欲がないのを知っている。後刻「今日は飽いたと言わないので、不思議に思っていた」とHさん。「もうそろそろ」と彼が言ったときは救われた気持ちになった。

かくして、全員大満足で港へ帰ってきた。沢山釣れた時は帰港してからの船の掃除は大して辛いとは思わない。又の釣行を約して港で別れた。

釣果の殆どは配布先が決まっている。食べるばかりにして差し上げるので、家内の作業も大変であろうが、僕は全く手伝う気持ちにならない。道具の後始末等も加わった疲れのため、一風呂浴びてゆっくりしたい。数えなかったので正確な数字は判らないが多分35尾くらいの釣果であったろう。他の3人は50尾以上の釣果であった事は間違いない。僕にとっては滅多に味わう事のない大漁の日であった。

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2009年5月10日 (日)

病気をしない事が即ち稼ぎだ!

二日前は2箇所の医院を受診した。最初は内科・胃腸科。この医院でコレステロールの投薬を受けた。処方箋料等として医院の窓口で1,290円を、調剤薬局で1,250円を支払い薬を受け取った。

その後耳鼻咽喉科医院では喉の腫れを治療するために、処置料等として1,150円と薬代970円を支払った。1時間半位の間に4,660円を支払った事になる。スーパーマンではないから、小さな病気は当然するが、幸運な事に今まで大病の経験がないので、年1回の定期的な検診以外、病院へ支払う金額に注目をしたことが無かった。

それが昨年の11,12月頃から、いくつか病気をしてすっかり自分の体に自信をなくした。当然受診回数が増え、其の都度支払う医療費が気になり始めた。

70歳未満であるから3割負担である。来週は十二指腸潰瘍の投薬を受けなければならないので、結局医療費として7,000円近くを使う事になる。これまで考えた事もなかった医療費に、今後は注目せざるを得ないであろう。

そこで思い出したのが、自営業のSさんが鹿児島弁でいった言葉である。「年取っと(取ると)、病気せんこっ(しないこと)が銭とい(取り)じゃっど(だよ)なー」。つまり年を取ると、病気をしない事で医療費を払わずに済むので、即ちお金を稼ぐ事と同じ意味であるという事だ。

けだし名言である。痛かったり、苦しかったりした上に、高い医療費を支払わされる何とも割に合わぬ病気から逃れる術はないのなら、可能な限り病気しないように、厳しく自分を律する事が重要であろうが、口で言うほど簡単な事ではない。

後日談がある。同じ自営業の友人Kさんを尋ねた折の会話であるが、彼は現在糖尿病の治療中である。その友人にある人が言ったそうだ。「捨てる事も治療の一つだよ」と。

特に食事療法をしている人達はカロリーに限らず、食べる量も制限される事がある。作りすぎたり、器に多く盛りすぎたりした場合は、もったいないと言う気持ちから捨てる事が出来ず、つい食べてしまう。だから思い切って捨てる事も一つの治療になるとの意味である。ある年齢以上の人達は、食べ物に限らず全てのものを捨てる行為が中々出来ない。其の年齢にある僕は十分其の気持ちが理解できる。

ものの本に次の文を見つけた。「高血圧、高コレステロール、高血糖症など高のつく症状に悩む人はすべて食べすぎ病と言い換えても良い」。さらに「ストレス」「運動不足」「食べすぎ」などが体を冷やす。「冷え」を正し体を温めれば殆どの病気は治ると。著名な医者の論である。

たまたま医療についての、なるほどと思われる言葉を友人二人から聞いたが、何より病気をしない事が一番肝心であるが、誰も好きで病気になってる訳ではない。年を経たら「運命である」と諦め、其の掛る費用も必要経費として家計の予算に計上すべきなのではと思うが如何?

今回は、なんともはや楽しくもない題で日記を書く事になったが、高額な医療費を払う病気については真剣に考えるべきだと、改めて感じた。

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2009年5月 8日 (金)

4個実をつけたよ、びっくりグミが!

緑色の実を発見したのは、4月29日である。たった1個の実を発見して小躍りした。5年間待っていたのだから。

5年前、孫が生まれた記念に、当日の新聞やJR熊本駅の入場券を買い集めた。確か新聞は夕刊で、刑死したイラクのフセイン大統領が逮捕されたことを、殆ど1面を割いて伝えていた。手伝いの為に神戸の娘宅へ行った家内への、娘からの感謝の手紙等と一緒に袋へ詰めた。

孫が生まれて2ヵ月後に、恒例の熊本市春の植木市が始まった。当時住んでいた自宅から歩いて3分の、白川の河川敷で開かれるので、この準備が始まると「いよいよ春だ」と心も温かになる。国内でも規模では大きいほうに属するらしい。

出生記念に樹木を植えたいと思っていたので、早速買いに行った。木市だから候補の樹木は沢山ある。折角植えるのだから実のなる木が良いと考え、「びっくりグミ」を選んだ。

「実がなるかなー?」と問えば「必ず成ります」と答えるので、プロの返事だから間違いないと思い買った。暫くして、現在住んでいる姶良町の自宅へ持って行き、門扉の近くへ移植した。それまでに幾つかの樹木や草花を植えているので、今回も失敗するなど考えもしなかった。でも、根着いたと確信するまで結構な日時を要したと思う。今回は絶対失敗したくなかったので安堵した。

一昨年、姶良町へ引っ越したが、昨年までとうとう実を結ばなかった。何故結実しないのか素人へ聞いても的確な答えは返ってこない。ネットや本で調べれば判るのであるが、そこまで熱心ではなかったのは、「アー騙されたのか」と殆ど諦め、「木だけでも育てば孫も順調に育つ」とゲンを担いでいた為である。

育て方、特に剪定や肥料についての知識は全くない。茂りすぎて邪魔だと、時期を選ばず切ってしまう始末である。ただ、今年は例年になかった現象、白い花がわずかな数であるが咲いたのである。それでも実がなるとは確信が持てなかった。

それがである、4月29日に何気なく茂った部分をふと覗いたら、たった1個であるが緑色のグミの実を発見したのだ。そりゃーもう嬉しくて大声で家内を呼んだ。何か素晴らしいことが起きる予兆なのではと、心が弾んだ。

5年も待って1個だけでも実が着いたのである。それから1週間後、その実が赤く熟れ出した。ひょっとすると後ろ側にも実が生っているのではと、通路側に回ってみると、なんと3個も発見した。そのうち一つは赤く熟れ出している。

遅まきながら、ネットでびっくりグミの育て方を検索しその要領をプリントアウト。剪定時期や、花の時期にジベレリン処理をすれば実を多く出来る事、収穫時期が6月頃である事、木に棘がない事等を知った。

ブログでも度々取り上げているが、最近草花に興味を持ち始めた。でも悲しいかな僕の家は狭く、庭と呼べるような土地がない。仕方なくプランターや、鉢で育て始めたが、育て方の知識がない。水と肥料は時々やるが、それも思いついてである。

昨日は近くのDIYショップに行ったら、母の日のための花コーナーに所狭しとバラを初め、種々の草花が並べてある。実に綺麗で30分余り観て回った。

友人のHさんは冗談で言う、「草花に異常に興味が沸いたら、もうあんたは余り先が長くないよ」と。異常はオーバーであるが、確かに草花に愛おしさを感じ始めたのは事実である。願わくば少々長生きして、花に囲まれた生活をしたいと思う此の頃である。「色々、遊びはやるが将棋と盆栽は興味がないよ」と言っていた若い頃からの、この変わり様は自分でも不思議である。

熟れ始めたびっくりグミ

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未だ熟れていないグミ  後方にも小さなそれが・・・。

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2009年5月 5日 (火)

キャンピングカー、同乗初体験  (2)

予報は曇りのち時々雨であったが、朝食を採る時は未だ好天であった。通路を10台近くの自転車に乗った人々が、挨拶しながら通り過ぎる。あちこち、炊飯の湯気や煙も見える。

ベッドの収納は要領を掴めばさほど時間が掛らない。それより持ってきた食材や飲料水、ゴミ入れ、コンロなどのキャンプ用品の収納が大変である。キャンピーを牽引車両に連結するにも幾つかの確認が必要で、特に電気周りのケーブルを繋ぎ忘れると事故に直結する。安全を確認した後、キャンプ場を後にした。

女性達は色々買い物をしたいのであろうが、なにせ年金生活者の身分、砂丘らっきょとか、筍とかの安売り小屋を見つけなければならない。そんな時間も考慮して8時半に、次の宿泊地である都城市に近い財部町に向かった。

来るときは承知の上で遠回りをした。薩摩半島を南下して、西部の南さつま市へ向かったのである。急坂を避けるつもりだったが、やはり坂は急であった。帰りは薩摩半島南西部から北東部の鹿児島市へ、ほぼ斜めに北上を続けた

鹿児島市からは錦江湾沿いに10号線を進むが、鹿児島へ向かう下り車線は渋滞である。上下1車線はもう何十年もそのままだ。僕は不思議でならない。鹿児島県民はあの狭さを何故に我慢しているのだろうか。僕が住む姶良町を通過する頃は少しずつ雲が厚みを増してきた。

急ブレーキのとき若干、後部車両の衝撃を感じるが、走行中は牽引していることを感じることはない。霧島市(旧国分市)の垂水と都城との分岐点は渋滞であった。多分、鹿屋市のバラ園に行く車が多いのであろう。

10号線から結構入り込んだ財部町へ到着したのは12時頃。殆ど名所がない田舎町の中、唯一光っていたのは道の駅だった。

何故この町を選んだのか、それはMさんのようなキャンピングカー所有者が入会している団体と契約している駐車可能な施設が、鹿児島県ではこの町だけにある為で、ここでは無料で駐車できるし、温泉や食堂を備えた施設がそばにある。

たからべ温泉健康センターに駐車して、キャンピーを切り離したあと、食事の為に道の駅へ行った。評判であるとミニコミ誌に書かれたラーメンを食することにしたが、ラーメンの本場熊本から来たのに、金を捨てるようなもんだと、道を教えてくれた住民が言った。でも、まあまあの味であった。

財部町のキャンピングカー駐車場

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同上

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僕は店頭で売っている花が気になって、すぐさま外に出て花コーナーを物色する。僕など比較にもならないほど草花に造詣が深くて、花が好きな M夫人も出てきて、直ぐに欲しい花をレジへ持って行った。僕はアデニュ-ムという幹のでかい、可憐な花を見つけ、合計4つの花を買った。

「夕食はどうする」と、昼飯を食ったあと直ぐ問題になった。温泉センターは美味くなさそうだし、「スーパーで買うか」と言うことで一致。刺身、寿司、その他それぞれが好きなものを買い込んだ。

温泉は良い泉質らしくサウナも備えた立派な施設で、十分疲れを取った後、4時前には飲み会が始まった。夕方までは到底待てなかった。計画では併設されたグラウンドでグラウンドゴルフをするつもりであったのだが・・・・。雨になりそうであることを理由に、止めにした。

寛ぐMさんとキャンピー内部

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7時頃には皆が「眠くなったなー」。とは言ってもベッドを作らねばならない。気分が良くなってそのまま寝たいのに、この作業は辛かった。寝巻きに着替えもせず、歯も磨かず、バタンキューであった。小心者の僕は多分、車では眠れないであろうと覚悟していたが、アルコールは有難い。トイレに立った3時過ぎまで熟睡であった。夕方から雨になり、夜中には本降りとなった。トイレまで10歩の距離は有難かった。

早寝早起きで全員7時には目が覚めたようだ。相変わらず雨はしとしと降り続くが、寝袋の収納も、車の連結作業もしなければならない。寝袋の収納も要領を得るまでは結構時間が掛る。上手く畳めないと袋に入らないのである。

食堂は、この町ではこの時間どこも開いていないだろうと、霧島市のファミレスでとる事にして8時過ぎに出発した。2泊3日のキャンピングカーでの旅行初体験を終え、十分な満足感に浸っているMさんの運転も軽快であった。

早朝の為に交通量も多くない。ファミレスで朝食をとり我が家に着いたが、先を急ぎたいと言うMさん夫婦をそのまま見送った。数時間後彼等から電話があった。

数十年ぶりに国道3号線を、道の駅などに寄ったりしてゆっくり楽しみながら鹿児島市から北上しているとの事、水俣市のバラ園で自分の好きなバラを、主人がプレゼントしてくれたと喜ぶM夫人の声も幸せに弾んでいた。トラブルもハプニングも起きなかった今回の旅行に、誘ってくれたMさん夫婦にお礼を申し上げたい。

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キャンピングカー、同乗初体験  (1)

昨年10月5日のブログ「キャンピングカー展示会へ行ってきた」で記した如く、友人Mさんが予約した、牽引タイプのキャンピングカー「キャンピー」が彼の手元に届いて5ヶ月過ぎた。僕等は宿泊するときに必要な「寝袋」を既に買っていたが、そろそろ試乗時期かなと思っていた矢先、彼からの電話。南さつま市で開かれる「砂の祭典」にキャンピングカーで行きたいので、一緒に行こうとの誘いである。勿論二つ返事で彼等夫婦の到着を待った。

「SAND&FLOWERフェスタin南さつま」と銘打った今年の「吹上浜砂の祭典」は5月2日から6日までの日程で行われる。場所は鹿児島県南さつま市(旧加世田市一帯)県立吹上浜海浜公園の、かせだドーム周辺がメイン会場である。

その初日に行くことに決めたらしく、熊本から高速を使い姶良の僕の自宅まで来ることになった。普通車と軽自動車はETCを使えば1,000円で来れる特典があるのに、牽引車両は適用されないらしい。理屈的には2台分2,000円を支払えば良い様に思われるが、確か3,800円払ったとの由。少し合点がいかない。

昼前、やがて到着予定との電話。長距離を慣れない牽引車両の運転で、しかも連休のラッシュを無事に到着できるのか正直心配していたので、駐車場に安定した形で駐車したときは安堵した。

荷物を積み込んで4人で会場へと向かった。出来るだけ広い道を通るように気遣ったが、それほど心配することはなかった。僕が考えている程、運転は難しくないらしい。そう言えば、牽引免許が不要だとの由。それでも僕に運転しろと言われても、悔しいが僕には直ぐには出来ない。それでも今後何度か一緒に旅行するつもりだから、何時の日か運転する日が来るであろう。大胆さと器用さでは到底彼に及ばないのが悔しい。

あまり多く走っていない車なので、信号停車では隣の車から好奇の目で見られていることが判る。心配していた鹿児島市内を無事通過したので少し気が楽になったが、今度は峠の上りと下りが待っている。女性達の話題の中心は車ではない。食べることとそれに伴う体重増加の不安みたいだ。

無事会場に到着したが、2台分の長さが必要なために駐車スペースが見つからず、走り回るガードマンに恐縮しながら駐車した。

会場に到着した「キャンピー」

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「砂の祭典」ゲート

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花で描かれた文字と砂像

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入門したのは午後5時に近かったが、空は未だ明るく車も人間も増えていく。入場料800円を支払い入場する。昔、テレビや新聞で、製作した砂像は見たことはあるが、本物は今日が始めてである。著名な彫刻家の作品が多いので当たり前かもしれないが、実に精巧でリアルに出来ている。よほどの雨と強風でない限り、像が崩れることはないのだそうで、チョッと手で触ったらコーティング処理がされているようだった。

会場には沢山の売店があり、特に花を売る店が多く、僕は砂像も見たいが、最近興味が出てきた花も見たかった。約1時間観賞したが、後刻ライトアップされた砂像を見るための再入場に必要な、入場券にスタンプを押してもらい会場を出た。

砂像をいくつか。

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会場内の売店

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今晩一泊するキャンピングカーの駐車場を探さねばならなかった。近くにキャンプ場があることを知ったので、Mさんが管理事務所へ出向き、予約無しで停められるか交渉する事になった。実に幸運な事に交渉中にキャンセルの電話があり、オートキャンプ場を利用できることになったのである。色々な場面で幸運に恵まれる事が多いMさんであるが、ここでも又幸運を掴んだようだ。

40台の駐車、バンガロー9棟、常設テント40張り、フリーテント20張りのほか炊事・トイレ棟、シャワー・洗濯室などもあり、殆ど空きは無かったらしい。多くの家族連れが野外の生活を楽しんでいた。僕等もすき焼きにワイン、ビール、焼酎と大いに開放感を味わった。それでも8時半には一人で祭典会場に再入場し、ライトアップされた砂像をカメラに収め、流石に客が疎らになった会場を出た。

ライトアップされた砂像。

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女性達は食器を洗いに炊事棟に行ったが、我々は「キャンピー」の寝床を作る作業に取り掛かった。この車の標準仕様は2人用のベッドであるが、Mさんの注文で4人用に改造したらしい。特注品の第1号機なので、メーカーも知恵を絞ったに違いない。上下段の空間の狭さを少し我慢すれば、172センチの僕も全く窮屈を感じない。ただ、トイレの回数が多い人は、下段を選ばないと上段から降りる際に苦労することになる。ベッドとして使わないときはテーブルをはめ込み、当然飲食用として使える。疲れとアルコールの為に、慣れない車のベッドでも夜明けまで熟睡できた。

上段に寝たためか、夜明けに暑さを覚え目が覚め、ふと心配になった。密室状態なので4人が寝ると、酸欠になるのではと。でも今も生きているので大丈夫だろうと思ったし、天井についているファンのノブを廻したら、どうも空気が入って来た様に思われ、安心して又眠ってしまった。

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2009年5月 1日 (金)

「かのやバラ園」でバラを堪能。

鹿児島県ではこの時期、結構話題に上がる「かのやバラ園」には未だ行ったことが無い。話が纏まり、Hさん夫婦と我々夫婦4人で行くことになった。多分同所までは90キロ近くあり、高速道路が利用できないので約2時間掛るであろうと思った。

鹿屋市が近くなると随所に「バラ園」の標識が目立つ。訪れる人達が多いのであろう。予測通り2時間で着いた。

入場料600円也を払い入園する。見渡せば一面バラ一色、バラの前で記念撮影するベンチも用意されている。場内の説明版によると敷地は8ヘクタ-ル(24,000坪)で、4,000種のバラが50,000株植えられている由。

これだけ増やすためには、かなりの時間と労力を要しただろうし、株の多さから管理も大変であることは想像に難くない。場内を回るに従い、その評判に勝るとも劣らぬ規模や、見事な美しさに感嘆の声を上げる。真紅や、2,3の色のバラ以外に知らない僕は、余りに多くの色があることに驚きの声を上げる。

その筆舌に尽くせぬ見事さは、多くを語るより写真を見ていただきたい。昼食を取るために付設のレストランに入った。バラ色のカレーが美味いとは思えないがそれが意外と評判で、食べている人が結構いた。

評判のバラをどうぞ!

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バラ色のカレー

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2時間余り、園内のバラの見事さを十分堪能した。昼食後、当然売られているであろうバラの鉢植えを探し、今年はあと2回は花を付けるとの説明があった、黄色がかった小振りのバラを買い、満ち足りた気持ちで鹿屋市を後にした。

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