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2011年10月

2011年10月30日 (日)

錦江湾”あいら浜まつり”で車えびのつかみ取り

姶良市の広報誌で、10月30日に錦江湾”あいら浜まつり”が行われることを知った。時間は午前11時から午後4時まで、会場は錦江湾の一番奥まった場所にある重富海水浴場である。予報は雨であったが、珍しく予報が当たって朝からシトシト、嫌な雨であった。

午前11時半頃、チョッと様子を見ようかと、家人と覗いて見た。自宅から車で10分程度の重富海水浴場である。綺麗な砂浜と松林の中に、幾つかのテントが張られ、客も20人程度が雨にも関わらず来ていた。鹿児島名物のお菓子や食べ物、ホットドッグ、野菜、飲料水などが販売されていたが、客が少なく手持ち無沙汰であった。それでも市の職員と思しき人達や、観光協会の人達が姶良市の観光地のPRをしていたし、NPO法人の担当者が錦江湾の干潟に住む生き物等を説明していた。

”あいら浜まつり”の立看板

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特産品や物品販売のテント

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重富干潟小さな博物館

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メインイベントは、車えびのつかみ取りであるが、これは午後3時からである。折角だから参加しようと決めて一旦帰宅し、小雨の中を午後2時過ぎ、会場へ向かった。「雨だから多分参加者は少ないよ」など勝手に決め付けていたら、会場に着いて驚いた。駐車場は何箇所かを借りていたらしいが、次々やってくる車に追いつかず、車は周辺をグルグル廻っていた。僕等はそこでの駐車を諦め、300m先のコンビニへ駐車して、小雨の中を徒歩で会場へ向かった。

会場に着いて又驚いた。人、人、人である。雨だからこの程度だろうが、好天ならこれ以上だったろう。勘であるが多分500人はいるであろう。浜に入る入場料は一人100円。多分、保険料として徴収するらしい。

僕も家人もゴム製の手袋にサンダル履き、スポーツウエアのズボンを捲くり、「せめて2匹は掴もう」と、気の弱い目標。

引き潮であったが水深は30~40cm。海の中には奥に50~60m、浜に平行に100m程度に網が張られ、生きた車えびを入れた籠を持った職員6~7名が等間隔で並び、放流する時間を計っていた。午前中来たときに、「本日は約6,000匹放流予定です」と聞いていた。人数が500人程度なら、平均10匹程度は掴める計算だ。

開始15分前

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掴み取りに熱中する人々

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まず小さな子供を連れた親達が海に入り、かっきり3時に他の人達も海に入った。雨は幸いに殆ど止んでいた。近くにいた、昨年18匹掴んだというおじさんが「1匹いたらその近くを探りなさい、固まって数匹いることがある」とコツを教えてくれた。まさに童心に返っての遊びに心も弾んだが、せめて2匹はとの目標も気になっていた。

少し諦め顔の僕

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わいわい言いながら、ザブザブと急ぎ足で進み、皆はしゃがんで砂に指を入れて、掬い始めた。僕はごく浅い砂の中から1匹掴んだあと、その近くで又1匹掴んだ。やはりおじさんが言ったとおりだ。目標達成に少々安堵したが、もう数匹は掴みたくなった。でも中々見つけることが出来ない。潜んでいれば簡単に掴めるから、腰の辛さを我慢して砂に手を突っ込んで浚った。

この頃になると腰が疲れ、立ち上がっている人が多い

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結局5匹の獲物であった。家人は海に入ったものの、僕の依頼で写真撮影に徹し、とうとう手で探りを入れることもしなかった。僕は飽きっぽいし、諦めは早い方だから、未だほとんどの人が海で探っていたのに、引き上げることにした。まあ、不器用な僕が5匹も獲れば満足であり、晩酌のつまみになったのは当然である。雨の日の楽しい遊びであった。

掴み取った5匹の車えび・・・・体調12~13cm

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2011年10月27日 (木)

高齢者講習(自動車運転免許)を受講

自動車の免許更新に当たって、更新時期に70際以上の人は、事前に最寄の自動車学校にて講習を受けることが義務付けられた。このことは前回更新時に伝えられていたので「決まりなら仕方ない」と思っていた。

その受講日が前日であった。受講日の予約をした際に「この日を逃すと、受講する日時が少ない為、そんなに余裕がありませんよ」といわれていたので、かなりの人が受講するものと思っていた。

が、受講場所の”鹿児島県自動車学校”についてみると、受講者はたった9名であった。8名が男性、1名が女性である。その人数の少なさに驚いた。受講時間は約3時間。これを受けないと免許更新が出来ないのであるから、否応もなしである。

講習内容は座学と適性検査と実地検査(運転)に大別され、まず高齢者の視力・視野の低下、反射神経の低下等が重大事故を惹起するなど、当たり前のことをいまさらと思いながら、ビデオを観ながらの学習からスタートした。

ビデオを観ながら安全運転について

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次は動体視力、視野検査、アクセルとハンドルを使って判断操作の速さ・判断の正確さや認知判断の速さ・反応ムラなどを測定した。これによって万一適正検査で不適正と判断される数字が出ても、免許更新が拒否されることはないといわれた。

動体視力、判断の正確さ・速さなど

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特段焦ることもなく、平常心でことに当たれたと思っているが、それでも確かに心身機能の低下を認めざるを得ないと感じたのは、偽らざる感想であった。「こんなはずではなかった」と、渡された結果を見て、慌てたアクセル踏み込みや、ブレーキ操作ならびに信号確認等を振り返った。

最後は実際に車で構内を運転して、車庫入れやクランク前進、障害物を避ける技術、信号機に従って運転できるかなどを検査された。初めての運転免許試験から48年ぶりの実地試験を受けたことになる。

実地運転試験・・・受講者が二人後部座席に座り、試験官は助手席に

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殆ど毎日運転しているから、特段慌てることなくスムーズに運転できたと思っているが、それでも横に座った試験官が用紙に何かしらチェックを入れていたから、気をつけるところがあったのであろうが、全員にそれについての指摘はなかった。

最近鹿児島県では死亡事故が増大していて、警戒警報を出し続けている。決して他人事とは思っていないが、果たして本日みたいな講習だけで、高齢者に適した指導であるのか僕には判らないが、身体機能の衰え・記憶力や判断力の低下は否めない事実として受けとめる必要があると痛感した。特に午後4時から8時までが事故の集中した時間帯であることをビデオで教えられ、肝に銘じて運転したいと思った。

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2011年10月23日 (日)

往生際の悪い佐賀県知事と、九電社長と会長

最近どうにも我慢できないことが多すぎる。”喉もと過ぎれば熱さ忘れる”は人口に膾炙された諺であるが、これは特に日本人の特質のように思われて仕方ない。

遡ること7~8日前頃はさかんに”やらせメール”を廻って、佐賀県知事と九電の社長ならびに会長の責任を追及していた報道も、ここ暫くは鳴りを潜めている。僕は九州の人達、なかんずく佐賀県民の意見を知りたくて新聞の投稿欄を気をつけてみているが、余り見たことがない。

ただ、地元紙には多くの意見が述べられているかもしれないし、今週にも再提出されると云われる最終報告書の内容が、明らかになっていないので、それを待って投稿されるかもしれない。

概して日本人は怒りを忘れてしまったようだ。特に地位や名誉のある一部の人間の、”やらせ”に対しても、更に自己弁護に必死になった不埒千万な言い訳を聞いてさえ、怒りをあらわにしない佐賀県民が不思議でならない。最近はデモなどの示威運動なども聞いたことがない。今回の不祥事以外の出来事に対しても、学生も含めた多くの人たちは何故モノを云わないのであろうか。絶望感に覆われ、諦観が浸透してしまったのか?

九電の両者に対する辞任要求を含んだと思われる「自発的な対応を求めたい」と言う枝野経産大臣の発言にも、その意図する所は十分解っている筈なのに解らぬ振りを続け、いかにも空気を読めぬ偽装態度に僕は我慢ならい。「辞めて欲しい」と明言しないと、彼らには理解できないのであろうか。

佐賀県知事は7月に第三者委員会の郷原委員長との電話において、辞任を勧める郷原氏の言葉にすら、「私が辞めると明言したとは思っていないが、そう言う流れになれば辞任と言うこともあるんでしょうか、と言うことは申しあげた」など、意味不明な言葉で濁し、いかにも地位に恋々として潔さを感じない。

ひょっとすると、彼は辞任を考えていたが、九電側の知事擁護の動きで、考えを変更せざるを得なかったのかもしれない。今後も知事の政治力を利用しようと目論んでいるとしか理解できない、九電側の庇い様ではないか。

たちが悪いのは九電側である。国に提出した最終報告書に、問題の核心である第三者委員会が指摘した佐賀県知事の関与には一切触れていなかったのである。枝野大臣は「理解不能」と怒ったらしいが、もう少し厳しい口調で言わなければ、世間の常識が通用しない九電側には、蚤に喰われた程度にしか感じなかったのではないか。

加え、05年の佐賀県主催の討論会で、九電が仕組んだ”やらせ質問”の県側の関与にも言及していなかったのである。第三者委員会こそいい面の皮である。何の為の委員会であったのだろうか。

多分24日の週に再提出するであろうといわれる報告書で、否定していた佐賀県知事の”やらせ”への関与を認めるだろうと新聞は伝えている。それでも古川知事はそれによって「自分の進退は左右されない」と辞任を否定したそうだ。

報道によると、報告書の再提出後は、辞任を翻した九電の真部社長の続投は厳しい情勢になったと述べているが、当然のことであろう。九州を代表する企業のトップが、”やらせ”を「恥」として受け取めていないことが僕には不思議である。

この社長、一旦は引責辞任をほのめかしていたが、それを撤回して僅か3ヶ月の減俸処分で切り抜けようとしたのである。ただ、枝野大臣は原発の再稼動に前向きだあるという。地元の同意を取り付けるにも、経営トップ二人をを交代させたが良いと判断すれば、強力に辞任を迫るかもしれない。僕はそれを待っている。

聞くところによると、古川知事の父親は元九州電力に務めていたらしいし、玄海町長の親族が経営する建設会社は、九電の仕事の多くを受注していたと聞く。世の中は慨してこのような”持ちつ持たれつ”で動いているのかなと思わせた事件でもある。

競争原理の働かない地域独占大企業の体質が、このような世間常識とかけ離れたことをしたとしても、他の電力会社を選べない我々は、何処に怒りをぶっつければよいのだろう。

今朝(23日)のテレビニュースでは、松尾会長は「社長は真部以外に適任者はいない」と言い切ったそうだ。「やんぬるかな!」。枝野大臣の出方を注視しながら、彼の発言に期待したい。

断っておくが僕は九電に恨みを持つものでもないし、高校のクラスメート二人が同社の管理職以上の地位で退社したので、特に関心を持って成り行きを見守っているのである。許せないのは独占企業に胡坐をかき、大きければ何でも許せるという尊大な経営手法である。知事も会長も社長も潔く身を引き、新たな知事が県政を担い、新たなトップ経営者達で企業の信頼獲得に努力すべきである。

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2011年10月20日 (木)

元職場の懇親会、ゴルフコンペに参加。

年に2会開催を決めている会合であるが、今年は東日本大震災での自粛ムードで、この会も春の会合を中止した。従って皆とは約1年ぶりの再会である。飲み会とゴルフをセットで開いている。

この中でHさんとは殆ど毎日、O君とは”南国暮らしの会”で年に数度顔を合わせているので、7名が1年ぶりに会う人達だ。冠にO君の名前の一字を使っている名称の会なので、彼が全ての手配をすることになるが、参加者が多くても少なくても幹事の仕事は大変である。

会合は阿蘇の”白雲山荘”である。高齢者は覚えておいでだろうか?”ザ・ガードマン”というテレビ映画のロケによく使われたホテルである。僕も数十年ぶりで訪れるホテルで、Hさんと10時半に姶良市を出発して、午後4時頃到着した。

今年8月に亡くなったMSさんを追悼することも大きな目的なので、会食では黙祷の後、参加者10人全員が彼との思い出を話した。穏やかな人柄だったので多くの人から好かれた人であった。僕とは出向した子会社で4年ほど一緒に仕事をした。翌日のゴルフは、亡くなるひと月前に彼を見舞った際に、彼が呉れた帽子を被ってプレーすることに決めていた。

当然暫くは幾らか湿っぽい雰囲気が漂ったが、やがて和やかな笑いに覆われてきた。全員リタイアしているので、健康の有り難さを噛み締め生活している会話が、あちこちで聞かれた。

やはり話題の華は若い頃の男女の恋愛話。この話題になると一気に華やいだ雰囲気になり、過ぎし時代の女性の姓名がドンドン出てくる。結婚までの腰掛程度に在職した女性の名前を、皆良く覚えているものだ。標的にされたTさんなどは、酒で赤くなった上に皆から責められ、ますます赤みを帯びてきたが、満更でもない顔でにやけていた。

ホテル南東方向に見える阿蘇の山・・・手前に米塚があり、往生岳と杵島岳らしいと教えられた

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翌日はホテルから車で10分程度にある、”阿蘇ハイランドゴルフコース”でゴルフコンペを開くので、8時前には同所へ到着した。鹿児島へ転居する前に良く通ったゴルフ場で、近くに位置する自分のメンバーコースより多く通った。4年半ぶりのコースはやはり懐かしさで一杯だった。レギュラーティーで6,180ヤードの左程長いコースではないが、202ヤードのショートホールは、中々ワンオンは難しい。ひところ流行った豪華なクラブハウスこそ持たないが、目の前に阿蘇の外輪山も見えるホールもあり、環境の良いコースである。

バッテリーで動くカートには、スタート室と結ぶ無線機が取り付けられ便利になっていて、早速それを使わされる羽目になった。僕がスコアカードやロッカーのキーが付いたケースを紛失したのである。早速呼び出してその旨を伝えた。結局、ホールアウト後に、トイレでズボンから落としていたのを、僕自身が見つけ事なきを得たのであるが。

さらにカートには薄型のディスプレーも取り付けられ、コースの案内(ティーグラウンドからホールまでの距離、自分が打ったボールからの距離・・・・詳しく見なかったので間違いなくそうであるかのか自信は無いが・・・が図面で示されていた)。このような画面は初めて見るものであったが、結局使い方が解らないまま、プレーを終えた。

快晴で、高地にある阿蘇地方も気温が高く、汗かきの僕はスタートして暫くしたら下着は汗で濡れてきたが、プレーに夢中で気持ち悪いなど気にする余裕もなかった。

Hさんには10回目と言ったが、日記を調べたら今年11回目のプレーであった。いつもどおり、準備体操で身体をほぐし記念撮影をして3組がスタートした。2組目でスタートした僕は1番ミドルホールでパーオンして、今日はいけると喜んだが3パットしてボギー、2,3番もボギー、次の202ヤードの打ち下ろしショートは悪夢のホールになった。頭を叩いたボールは、80ヤードの修理地へ。すっかり慌てた僕は次々ショートを繰り返し、パットも噛み合わず、上がってみたら8打であった。インでは2ホールで8打を叩いたり、何年ぶりかの空振りなど、もう悲惨なゴルフであった。

こうなったら頭は真っ白、それでも「元気でゴルフを楽しめる幸せを噛み締めなければ」と思い直し、その言葉にパーティーの彼ら二人も同調して、にこやかに、時にはバカを言いながらプレーを終えた。

幹事のO君が95打で優勝、Hさんが96打で準優勝、僕は104打でニアピンも取れなかったが、懐かしいゴルフ場で楽しい時間を持てた。勝負に拘っているわけではないが、負けるとは思っていなかったHさんに負けたのだ。「年1回しかプレーしない僕に、11回のあんたが負けるんだもんねー」と茶化されるのが目に見えているのが、冗談でも悔しい。

熊本空港近くの高速道路インターから乗り、加治木インターに到着したのは5時20分で、運よく20分経過での割り引き料金が適用されたようである。今月3回目の旅行であったが、人との係わり合いの楽しさを十分に味わった。

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2011年10月17日 (月)

従兄妹会と”西都原古墳群”の見学

5回目を迎える従兄妹会に参加するため、15日家人と共に宮崎市へ向かった。最初30名近くで始めた会であったが、死去したり病の為に参加者が減り、今回は20名の参加であった。本家に挨拶と墓参をしたあと、従兄弟の一人と会場へ向かった。

それでも20名の従兄妹会は、多い人数らしい。平均年齢は優に70歳を越していて、僕は若い方に属しているみたいである。昨年までと違い、今年はかくし芸やカラオケが少なく、話し込む人達が多い。同じ宮崎市に住んでいる人達も、この会でしか顔を合わせる機会が無いと言う人達が多くなったと言っていた。高齢になり車の運転が出来なくなったり、訪ねて行く体力が衰えたことも一因らしい。会う機会が少なくなり、近況を伝え合う時間が多くなった事が、演芸の時間を少なくしたようだ。

それでも最後は昔の歌が中心の歌謡ショウが始まり、僕も弟と並んで裕次郎の歌を、家人とデュエットをして役目を果たし、3時間に及ぶ従兄妹会を終了した。

歴史好きの従兄弟の家に泊まり、彼の勧めもあって翌日は西都市にある”西都原古墳群”を訪ねることした。このブログでも何度か触れたように、近年僕は考古学に興味を持ち出した。以前からこの古墳群については知っていたが、訪れたことはなかった。是非古墳群を見たいと思い、従兄弟から資料を貰って宮崎市を抜けて、55分後には同所に到着した。

西都市街地から緩やかな勾配を上ってゆくと、そこは広大な台地になっていて、大きな古墳が一つ、二つ見え始めた。緑の草原と表しても良い様な見渡す限りの緑に混じり、未だ満開を迎えていない広いコスモス畑もあった。

この広大な面積と古墳の規模に適している規模だと言えば言えそうだが、これだけ立派な建物が、地方都市に本当に必要なのかと思わせる規模の建物が”西都原考古博物館”であった。霧島市の上野原遺跡も立派な建物であるが、展示品は物量的に比較できないほど多かった。

西都原考古博物館入り口

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上野原でも同じように感じたが、ここでは大袈裟に言えば更に数日通わないと全てを見終われないと感じた。事実、館内の展示物は半分程度しか見ることが出来なかったので、後ろ髪引かれる思いで帰らざるを得なかった。

規模の大きさを列挙すると、古墳群全体の広さは東西2・6キロ、南北4・2キロ。古墳群全体での総数は311基で、内訳は前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基である。標高は約60メーター程度であり、広大な広さと古墳の多さが想像できるであろう。

展示物を見ていくうちに、どうにも来館者に対するサービスが欠けている事が気になりだした。数多くの展示物をガラスケースに入れて展示しているのは、上野原遺跡も同じであるが、展示品に対する説明書が全くと言ってよいほど無いのである。上野原遺跡のそれは、確実にガラスケースのどこかに貼ってあり、それを読むことで理解出来た。

展示物は多岐に亘っており、縄文時代以降の土器や刀剣類、馬具の装飾品などなど。フラッシュ禁止であったが、無しでも結構綺麗に撮れたのでかなりの枚数を撮った。

土器類

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磨製石斧と石包丁

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舟形石棺・・・・蓋欠損の状態で1・5トンの重さがあり、高鍋町で出土した

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ガラス製、ヒスイ製の勾玉

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刀剣と馬具

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何と呼ぶ品物なのか・何の為に使うのか・何時の時代なのか・何処で発掘されたのか等々知りたいのであるが、説明が無い。たまにはケースの横に大きな説明板があり、それを読んだ後展示物を見るような仕組みになっているコーナーもあったが、急いでいる人には、その膨大な説明を読む時間の余裕が無い。せめて要点だけでもまとめて記述されていれば、それを読むことで理解を深められるのだ。

僕は受付の女性にその旨を伝えた。聞いてみるとそのような要望は結構あるそうだ。「あれば何故改善しないのだ」と畳み掛けたら、まず「ここを作った当時のコンセプトが、考古学の素人でなく、幾らか知識を持った人を対象にした」と、聞くに及んで怒りがこみ上げてきた。女性は決して横柄でなく、物静かでにこやかな人であったから、人柄からして推して正直に答えたのであろうが。

その後に「そのような声が多いので、最近徐々に説明文をつけるようにしています」と答えた。又来てみたいと思っているので”今後の為”と思って苦言を呈したのだが、「今度お出でになるときは、多分変わっていると思いますので、是非お出でください」と言われ、期待が持てそうであった。結局半分程度を見ただけで、2時間近い見学を終え、今度は古墳群を見学するべく、ガイダンスセンターへ向かった。

車で移動しセンターへ着いたが、この時間は家族連れの人達で賑わっていた。貰ったリーフレットに見学できる古墳が示されていたので、センターで場所を聞いてそこへ向かった。好天のため汗が出て気持ち悪かったが、出来るだけ多くを見たかったので、急ぎ足になるのは仕方ない。4箇所が見学可能だあったが、そのうち3箇所を見学することにした。

台地に広がる草原とコスモス畑

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一つ目は、”鬼の窟(いわや)”と呼ばれる206号墳で、6世紀後半に造られた円墳である。周囲に土塁を廻らせた国内唯一の特色ある古墳だそうだ。開口した横穴式石室内部を見学した。見学者は少なく、僕等のほかに若いアベックが1組いて、若いのに似ず向こうから話かけてきた。案内書によると、西都原古墳群で唯一横穴式石室を有する古墳で、最後の首長墓とされている。

鬼の窟

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鬼の窟の石室

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次に見たのは”酒元ノ上横穴墓群”と称される、7世紀全般に造られた6基の地下式横穴墓が、天井に土を盛り、その上に草を植えたドーム状の建屋で覆われていて、発掘された状態で墓を見学できるものであった。

酒本ノ上横穴墓群・・・・7世紀前半に造られた

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ここでもさっきの若いアベックに会った。余程関心があるのだろう、熱心に見学していた。見学者は他にもう一人いただけで、多くの人たちは多分、この台地の広場で遊んだり、物産を買うためにきているのであろうか?

そこから2~300メーターの距離に13号墳はあった。ここには誰一人見学はいなかった。近づいたら、そこかしこ大小の古墳がある。これほど多くの古墳を見たことは当然無い。僕は何度もシャッターを切った。誰もいないことが、かえって神秘的な気持ちにさせて、暫しロマンに浸ることが出来た。4~6世紀に生きた人がここに眠っていることを想像すると、厳かな気持ちになるのは当然であろう。

13号墳

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古墳群

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同上

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リーフレットには見学可能であると書かれていたが、僕は入り口さえ発見できず、周囲200メーター程度の古墳を1周したが、何も見つけることが出来なかった。運が良ければ案内のボランティアがいて、彼らが案内してくれるらしいが、運悪くその日はいなかったのであろう。案内書には、13号墳は前長79・4m、高さ8・9mの柄鏡(えかがみ)式前方後円墳で、主体部から国産の三角縁三神三獣鏡(さんかくぶちさんしんさんじゅうきょう)や勾玉、武器が出土したと書かれていた。

汗をかきかき周囲を歩き、古墳を見ながら写真に収めた。チャンスを作って再度来たいと思う気持ちは強いが、可能性としては次回の従兄妹会を利用することになりそうだ。消化不良気味の見学ではあったが、来て良かった。宮崎の空は青く、明るい。熊本に住んでいた子供のころ、一家で父の故郷である宮崎に来たことが何度かあった。宮崎駅からバスに乗り父の出身地である高岡へ向かうとき、子供心に「宮崎の空は綺麗だ」と思ったことを思い出しながら、当日も晴れて明るい空を見ながらハンドルを握り、自宅へ向かったのである。

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2011年10月13日 (木)

えびの高原は人と車でいっぱい、器用な犬とも出合った。

熊本から帰った翌日、家人と共に友人のS夫妻と約束していた”えびの高原”のウオーキングに出掛けた。爽やかな気候で、半袖でも良いかなと思ったが、高地だからと考え直し、薄い長袖にベストを着用した。10時半頃姶良市を出発、1時間後に高千穂に着いた頃は車が目立ち始め、新燃岳噴火以来始めてここに来た僕は、車と人の多さにビックリした。噴火以来観光客が遠のき、寂しくなったと聞いていたので。

三日連休と好天だからと、ある程度は人出があるだろうと思ってはいたが、想像以上の車と人であった。報道で知っていたとおり、えびの高原へ向かう道から南東の高千穂河原へ向かう道は通行止めであった。大浪の池への登山口も、出入りが出来ないようにバリケードが張られていた。

現在幾らか収まっている新燃岳も、報道によるとマグマが溜まり、大きな爆発も起こり得るらしい。韓国岳が真近に見えるえびの高原に着いた時は、道路に駐車した車の多さに驚いたが、有料駐車場も満車であった。噴火以来2,3度ここへ来たことがある家人の話では、これだけ多くの人出は初めてだそうだ。

賑わったえびの高原駐車場付近

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ウイークデイには見られない満車の駐車場

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12時も近かったので、国民宿舎”えびの高原荘”で昼食を取り、付近をウオーキングというより、散策と言ったほうが適当な速さで、1時間以上かけて歩いた。

”えびの高原”立て札付近から韓国岳(左)を望む

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ゆっくりした歩幅で道路横に広がる松林を抜け、道路を横切り、溶岩が流れ落ちた地域を抜け、やがて韓国岳登山口へ着いた。途中数名の人たちと出会い、登山と同じ作法で挨拶を交わす。

一面、溶岩と見られる地帯があった。

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韓国岳登山口付近から”池廻りコース”出発地付近の道路には、数多くの車が駐車していて、人達は近くを散策したりしてるのであろうか。韓国岳への登山道路は進入禁止の立て札があり、防柵で登れないようにしてあった。

韓国岳登山口(人が写っている付近、手前の苞に登って行く)

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菜の花マラソンでは先輩格のSさんが、「この程度の坂道は走ったほうが練習になるよ」と言うので、直ぐに乗せられた僕は走り出した。広い駐車可能な場所で彼らを待っていた時、バイクに乗った人が僕の近くに停めた。

何と彼はバイクの後ろに犬を乗せているのだ。その犬は帽子を被りサングラスを掛けていたのである。余りにも奇抜で可愛かったので、彼に話しかけた。

帽子を被り、サングラスを掛けた犬(サルに非ず)

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バイクは時速80キロ程度で走行するが、そのあいだ犬は主人の肩に手(四足と言うが、前に付いているので手と呼ぶのだろうか)をかけて、落ちないのだそうだ。確かに犬には紐も、落ちないように固定する道具もなかった。

暫くすると何名かが近寄ってきて、カメラやケイタイで写真を撮りだした。僕も静止画でその犬を撮った。暫くすると、彼は「生駒高原へコスモスを見に行きたい」と言って、出発していった。僕は動画に切り替え、その出発のサマを撮ったが、犬は出発直後地面に落ちた。が、直ぐ飛び乗り遠ざかって行った。

帰りは海抜7~800mの高台にあるホテルに寄り、湯の花が湧く温泉に浸かり、湯上りに一杯のビールを飲み、年金生活者にふさわしい安上がりリクレーションを終えたのである。なお、ここに埋め込んだ静止画は、動画から切り出したものなので、粗くなっている点をご容赦いただきたい。動画はくどいようですが2回ご覧下さい!

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2011年10月10日 (月)

栗拾いやゴルフ・・・この和やかさが魅力で脱会できない。

所属する南国暮らしの会の”栗拾いサロン会”と称する会合が、昨年に続き熊本の甲佐町と美里町で行われた。Mさん所有の栗林には沢山の栗の木が植わっている。昨年も女性会員を中心に童心に返り、拾ったり木から落として沢山持ち帰った。

来年も是非との希望で、今年も計画された。問題は二つ。一つは予定した時期に栗が落ちてくれるか、もう一つは当日天気が良いかである。どちらも人間の力では如何ともし難いから、運を天に任せ早めに日時が決定された。

週間予報は雨の心配は無かった。僕は予報は全く当てにしないから最後まで気を揉んだが、2,3日前には7,8名でスカイプ会議を開き、集合時間等細部が決定された。

一番気苦労したのは所有者のMさんと夫人である。3,4日前から連日栗林へ通い、落ちている栗は拾ってコンテナーへ貯めたと僕に電話があった。そのほか作業台や腰掛台の設置、栗のイガ取り道具を揃えたり、昼食の世話まで実に大変だったであろう。会の纏め役である九州支部長のT夫妻も、何時もながらの名リーダーぶりを発揮してくれ、宿泊所手配や予算等を彼ら二人に委託した僕等は、安心してその日を迎えたのである。

会全体の参加予定者は18名で、栗拾い組に10名、ゴルフ組に8名の参加である。栗拾いは女性が8名、男性が2名、集合は午前10時にMさん宅、ゴルフ組は9時にゴルフ場集合で決定した。福岡と大分から各2名、鹿児島から7名が、残り7名が熊本からの参加者である。

僕と家人は同じ会員のI 夫妻と2台の車で午前6時に姶良市を出発、8時にはMさん宅に着いた。女性は全員栗拾いに参加するので、僕等はMさん、I さん、O君とゴルフ場へ向かった。

”熊本南カントリークラブ”はユニークな企画をやっており、9時までは朝食バイキングが無料で、昼食バイキングは特定の日だけ100円でサービスしていた。運良く、たまたまその日はその特定日であった。タダみたいな価格であるから、お客を得した気分にさせる上手いサービスであろう。

他の3人は既に着いていたが、人気者のAさんが日時を勘違いして翌日と思い込み、高速道を文字通り高速でぶっ飛ばし、滑り込みセーフでスタートに間に合った椿事も。

このメンバーが揃うと何時もの和やかな雰囲気が直ぐ出来上がり、大きなな笑い声が発生する。彼らとは前回8月5日に玉名市でプレーしたので、約2ヶ月ぶりの再会である。

僕には比較的相性が良いコースなので、内心100を打つことはあるまいと思っていた。が、それは甘かった。パーも幾つか取れたが7打、8打、9打も打てば、それ以内で収まるはずはない。結果104であったが、終始和やかな雰囲気でのプレーに大満足。下馬評どおり最小スコアは、ここのメンバーで飛ばし屋のMさんであった。

宿泊所はゴルフ場から車で20分程度の距離にある”佐俣の湯”という、天然温泉が自慢の宿泊施設である。栗拾いを終えた人たちは3時過ぎには到着して、食事の用意を行っていた。今年も栗は豊作で参加者全員で十分に楽しんだらしい。一人5キロ以上の収穫だったそうだ。

付属している焼肉施設で女性たちは甲斐甲斐しく料理を作り、賑やかな慰労会が始まった。かっての現役時代、上司に気を遣いながらの宴会などと、比較できないほどの開放感に浸りながらの飲み会だから、何の気兼ねも要らないのは当たり前であるが、やはりと言うか、当然と言うか、話題はやがて”南の国”への旅行の話になる。

鹿児島県で民宿を経営しているMSさんと、最近入会のMGさんはベトナム、ラオス、タイの1ヶ月の旅行に出掛ける。このブログで何回か紹介した元高校の地理教師MSさんは、新聞に投稿したり、あるいは海外の日本語教師として取材を受けたりしていて経験豊富な人である。大分のKさん夫妻、玉名市のAさん、福岡のAMさん夫妻はチェンマイへ、I さんはカリブ海のクルージングへ出掛ける予定だそうだ。話は尽きない様であったが、いよいよアトラクションの時間へ移ることになった。

一棟4部屋を全て借り切っていたので、大きなフロアも自由に使えた。この広さを利用して、先ずTさんが”肥後のチョンカケゴマ”の演技を披露した。彼は長崎県出身者ながら、ボランティアで熊本城の案内で忙しい日々を送っている。次にO君が正装して、まさに古武士然とした姿で現われ、凛とした掛け声で居合い抜きの演技を見せてくれた。

次に現れたのは、全くアルコールを飲まないAMさんで、どのような見世物なのか奥方以外は知らなかったので、その姿格好を見て全員驚いた。何と、”ドジョウ掬い”であった。”ドジョウ”総理の誕生で時宜に叶った出し物に拍手喝采であった。

最後はこれもMさんが持参したセットでカラオケに移った。Kさんの歌で盛り上がり、とうとう途中でダンスが始まったのである。腕に覚えの人達が踊っている最中、ワルツの曲に合わせて出てきたのはI さん。何とパートナーは折りたたみの出来る小型の座椅子であった。それを抱いて踊る彼に全員大爆笑。宴も最高潮に達していた。

翌日は用がある数名を除いて、緑川の河川敷に作られた立派なグラウンドゴルフコースで、2時間以上のプレーを楽しんだ。

かくして2日間に亘るサロン会は大盛会裏に終了した。この会に親しみ以上の何かを感じたのか、Kさん夫妻は朝食後、大分へ帰る予定であったが「別れが辛い」と言ってグラウンドゴルフに参加した程で、何かしらこの会のメンバーが持つ連帯感には不思議な力が働いているように感じる。

僕は少し以前から幾つかの個人的理由で、そんなに遅くない時期にこの会を脱会しようと考えていた。もう少し頻繁にタイ国を含む東南アジアに行きたいし、可能なら長期に滞在したいと希望しているが、余裕がなくなった経済面や他の理由で、断念せざるを得なくなった。しかし、会員同士の結びつきの強さや、各会員の気質・人柄が好きで、何と言っても南国で過ごしたいという共通目的を持ち続けたいために、もう少しこの会に在籍させていただこうと、今回のサロン会を機に考え直したのである。

ゴルフ、飲み会、かくし芸を動画でどうぞ。

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2011年10月 6日 (木)

作り物に見えますか?

今回は昨年に続き”山田のかかしまつり”を書くつもりであったが、当地を訪ねたら一日遅れで終了していた。従って書く内要が殆ど無い。

そのため今回は今までのブログの中で、多分一番短い文章になるであろう。

今年も部落の大人や小・中学生達がが工夫を凝らし、あるいは風刺を込めて作った多くの案山子が、道路沿いに飾られて、道行く人を楽しませてくれたはずである。

昨年は期日を確認したうえで訪れたので、道路脇に車を停め、ゆっくりとそれらの案山子を眺め、カメラにおさめることが出来た。

今年はジムで水泳中にその祭を思い出し、早めに水泳を止め現地に向かった。姶良市のはずれに山田という集落がある。僕が思うに、そこは田園地帯であるし、正確な題名は忘れたが”やまだのかかし”なる歌詞が含まれる童謡の、その山田に引っ掛け始まったのではないだろうか。残念ながら前述のとおり、まつりは前日で終了し、作り物の案山子は撤去され、今年は見ることができなかった。

姶良市から薩摩川内市へ通じる幹線道路から逸れて、黄緑色から黄金色に染まりつつある一面の田圃に沿って、道路が山田集落へ続く。その集落へ到着する間に、驚くほど精巧に作られた等身大の人形が、道路わきに設置されている。最初そこを通ったときは、本当に人間がそこにいるのではと勘違いした位よく出来ていた。

今回はそれらの何枚かをカメラにおさめたので、ここに添付する。次回のブログのアップは、熊本での行事に参加するため、来週日曜日頃に行う予定である。

実際農作業をしている人に見える

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正面から見ると

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3枚目

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4枚目

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5枚目

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6枚目

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7枚目

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2011年10月 3日 (月)

グラウンドゴルフもまた楽し・・予想外の優勝者

話題として何度か取り上げたこのグラウンドゴルフ、動画を埋め込んでいなかった(と、記憶しているが・・・)ので、週3回の練習の成果を発揮する、年4回の大会のうちの1回の様子を動画でアップしようと、前日行われた第20回大会の撮影を行った。

自他共に認める運動音痴の家人は、女性たちの何名かが優勝したり2・3位になり、ハンディーが与えられても、自分には縁の無い話だと諦め、特に気にしている様子など全くなかったが、”ダイアモンド”と呼ぶ、1ラウンドでホールインワンを3回する”まぐれ”を出したことから、少しは自信が出てきたのか、最近は二人の間でこのグラウンドゴルフの話題が多くなった。

日曜日、第20回の大会は22名の参加者で行なわれ、優勝カップを全員秘かに狙っているようであった。ただ本音を言うと、この会の面白さや楽しさは、プレーもさることながら、通常夜に行われる成績発表を行う飲み会にある。だが今回は他の会合の先約があって、公民館の使用が出来ず、大きな栴檀の木の下にブルーシートを敷いて、昼食をするように決められていた。従って”てこしゃんせん”と呼ばれる太鼓や三味線を使っての賑やかな踊りなどは出来ず、芸達者な人たちにとっては出番がなく、物足りない昼食だったであったかもしれない。

練習日と同様、会員の多くは朝早くからグラウンドの掃除に余念がなかった。家から100メートルも無い会場であるが、朝に弱い僕は何時も遅れ、小さくなって彼らの前を通り、自転車置き場に着く。掃除が終わると準備体操を行う。元高校体育教諭I さんの号令で行うそれは、全員が年齢と体力を十分自覚しているので決して遊び半分ではない。

会長の挨拶に続き、前回優勝者のカップ返還、選手宣誓が行われ、今回は特にI さんと会長Sさんによる、ルール及びマナーの説明が行われた。グラウンドゴルフといえどもやはりスポーツである。ゴルフに比べ緩やかではあるが、結構厳しいルールが設けられている。日ごろ疑問に思っていた質問も出された。

いつもどおり、3組に別れそれぞれのホールから、SSさんが吹く笛でスタートした。当初「ゴルフに比べ何の事やある」と少し舐めて掛かったグラウンドゴルフであるが、以外に簡単ではないのだ。年間140回程度行っても、そんなに良い結果は出ない。この参加回数により、僕等は地区自治会の皆さんと仲良くなり、溶け込めたのである。

何時も通り、あちこちで大声や笑いが起こりながらも、皆は真剣に試合を続ける。時折「今日の奥さんは結構良いよ」と言う人が何名かいた。試合前日「3位でも入れたら嬉しいな」と言う家人の声を聞いたものの、本気で狙っているとは思ってもいなかったが、ひょっとすると本音だったのかもしれない。

8ホールを4回行い、1ホールごとに休憩する。水を補給したり差し入れの茶菓子を食べたり、実に和気藹々の時間が過ぎる。家人と声を交わしたが、特に調子が良いなんてことも言わない。家人とは4回とも同じパーティーにはならなかったので、彼女のプレーの様子も判らないまま試合が終わり、食事の準備も整い、いよいよ成績発表である。

ここでも「どうも優勝は奥さんらしいよ」と言う人がいる。何回か言われると、ひょっとすると、2位か3位くらいならあるかもしれないとも思った。

I さんが「本日の優勝者は・・・・」と、何と家人の名前が呼ばれたのである。本人が一番そう思ったであろうが、僕をはじめ大半の人が「まさか」と思ったに違いない。

「嬉しい」と素直に表現して、カップを受け取る家人は発言どおり、嬉しそうな顔であった。これで彼女のグラウンドゴルフへの傾斜が強まるに違いない。暫く飲食が続いたが、皆が帰っていっても僕を含め4人は、5時を過ぎるまで焼酎を飲み続け、最後は囲碁談義が高じ、実際に碁盤と碁石を取りに行き、肌餅の良い気温のもと、栴檀の木の下で4局の対局を行い、素人同士のへぼ碁を久しぶりに楽しんだのである。

決して家人の優勝を予想したわけではなく、ブログの題材にと思いデジカメを持参して動画を撮影したのであるが、まさに瓢箪から駒。冗談が本当になったのである。プレーの様子や会食の一部を動画でどうぞ。

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