今年最後のブログは・・・
今年も残り1日になった。学生時代の級友や元職場の同僚が数名も亡くなり、いよいよ”死”を身近に感じる年齢になったが、幸運にも大した病気もせずに何とか元気に1年を過ごせた。親が生きているときは思いもしなかったが、何とか健康な身体でいられるのは両親のお陰であることに感謝したい。
繰り返し報道される東日本大震災で、肉親の死亡や行方不明に嗚咽するシーンに辛くなり、目をそむけた事もあったが、最近見る映像の多くで、立ち直りつつある人々の「いつまでもメソメソしてはいられない、もう一度挑戦するのだ」などの決意表明を聞くに及んで、「立派な人達だ、僕だったらこんなに早く立ち直れるだろうか」と自分の弱く、優柔不断な性格に疑問符をつけることも。何の手助けも出来ないが、心から彼らの成功を望み将来に幸せあれと祈りたい。
僕は持って生まれた性格とはいえ、遠い昔に脱サラを決意するも、勇気の無さと努力不足からそれさえも果たせず、とうとう地場企業の一サラリーマンで終えた。転職のチャンスもあったのに、これも決断力の欠如で熱心な誘いを断り、先方に多大の迷惑をかけた。その後はいわゆる”小過は数多くあったが大過なく”過ごした、平々凡々の日々であった。
会った事はないが、いわゆるメル友に名古屋市のYKさんがいる。多分60歳の女性である。タイ国チェンマイのマッサージ情報を検索していて、僕のブログに行き着いたらしい。一昨年だったか、チェンマイに2週間程度滞在した折、チェンマイの日常を書いた僕のブログを見られた事が縁になり、何度かメールの交換をした。宮崎市のご出身で、奇しくも僕の父の出身町で何年かを過ごされた時代もあったそうだ。
過ぎた昔は変えられないが、将来は変えられるとの意気込みだったのではと思う。名古屋市においてご夫婦共稼ぎで、ご主人は個人商店を経営、奥さんはパートで働いておられたが、今回一念発起してチェンマイに単身渡り、マッサージ学校に入学しその資格を取得して今月帰国、やがて年明けに開店の運びだという。
一家でフィリッピンにおいて2年半生活されたこともあり、ご主人はそのご名古屋市でタクシードライバーを経て、現在会社経営をされているとの事であった。彼女は子供に頼らない自活の道を歩むための、タイ式マッサージ技術の習得だったようだ。
メールからはこじんまりとした生活に飽き足らず、何歳になっても何にでも挑戦してやろうとの心意気が現れている生き方が見えてくる。翻って僕の60歳は、会社定年の年であった。決して十分な生活費を担保していたわけではなく、むしろ3年程度は働くべき経済状況にあったのに、殆ど働く意欲は消えうせて、与えられた環境でこじんまり生きてゆこうとの消極的な気持ちが支配して、結局年金暮らしを選択したのである。
女性ながらも働く意欲に満ち、自分達の将来を切り開こうとするYKさん。僕との違いは勇気や決断力もさることながら、苦しさを我慢する忍耐力にもあったようだ。安きに流された過去は戻らないが、残された日時を無駄に使わず、自分の好きなように生きるぞと決心する次第である。今、一番欲しいのは当然健康だし、次が時間、最後にお金であろうか。
彼女のメールには、タイ国の女性達との会話から「お金が無いほうが幸せを感じ取れるようだ」との一文もあった。意見の分かれるところであるが、ある程度の金銭は必要だと思うし、沢山あってもこの年になって特別欲しいものも無いが、あれば行ったことのない国に行く費用が欲しいものである。
欲の皮は決して突っ張っているほうでは無いと思っているが、それでも年二回の宝くじはグループ買いしている。西郷南洲には随分遠く及ばないから、子孫に美田を残したい気持ちは強くある。願わくば明日の年末宝くじで高額が当たり、娘のマンション代金の一部でも充て、残りは東日本大震災の義援金に・・・・。と、叶わぬ夢を見続けるのもあと一日だ。
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