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2011年12月

2011年12月30日 (金)

今年最後のブログは・・・

今年も残り1日になった。学生時代の級友や元職場の同僚が数名も亡くなり、いよいよ”死”を身近に感じる年齢になったが、幸運にも大した病気もせずに何とか元気に1年を過ごせた。親が生きているときは思いもしなかったが、何とか健康な身体でいられるのは両親のお陰であることに感謝したい。

繰り返し報道される東日本大震災で、肉親の死亡や行方不明に嗚咽するシーンに辛くなり、目をそむけた事もあったが、最近見る映像の多くで、立ち直りつつある人々の「いつまでもメソメソしてはいられない、もう一度挑戦するのだ」などの決意表明を聞くに及んで、「立派な人達だ、僕だったらこんなに早く立ち直れるだろうか」と自分の弱く、優柔不断な性格に疑問符をつけることも。何の手助けも出来ないが、心から彼らの成功を望み将来に幸せあれと祈りたい。

僕は持って生まれた性格とはいえ、遠い昔に脱サラを決意するも、勇気の無さと努力不足からそれさえも果たせず、とうとう地場企業の一サラリーマンで終えた。転職のチャンスもあったのに、これも決断力の欠如で熱心な誘いを断り、先方に多大の迷惑をかけた。その後はいわゆる”小過は数多くあったが大過なく”過ごした、平々凡々の日々であった。

会った事はないが、いわゆるメル友に名古屋市のYKさんがいる。多分60歳の女性である。タイ国チェンマイのマッサージ情報を検索していて、僕のブログに行き着いたらしい。一昨年だったか、チェンマイに2週間程度滞在した折、チェンマイの日常を書いた僕のブログを見られた事が縁になり、何度かメールの交換をした。宮崎市のご出身で、奇しくも僕の父の出身町で何年かを過ごされた時代もあったそうだ。

過ぎた昔は変えられないが、将来は変えられるとの意気込みだったのではと思う。名古屋市においてご夫婦共稼ぎで、ご主人は個人商店を経営、奥さんはパートで働いておられたが、今回一念発起してチェンマイに単身渡り、マッサージ学校に入学しその資格を取得して今月帰国、やがて年明けに開店の運びだという。

一家でフィリッピンにおいて2年半生活されたこともあり、ご主人はそのご名古屋市でタクシードライバーを経て、現在会社経営をされているとの事であった。彼女は子供に頼らない自活の道を歩むための、タイ式マッサージ技術の習得だったようだ。

メールからはこじんまりとした生活に飽き足らず、何歳になっても何にでも挑戦してやろうとの心意気が現れている生き方が見えてくる。翻って僕の60歳は、会社定年の年であった。決して十分な生活費を担保していたわけではなく、むしろ3年程度は働くべき経済状況にあったのに、殆ど働く意欲は消えうせて、与えられた環境でこじんまり生きてゆこうとの消極的な気持ちが支配して、結局年金暮らしを選択したのである。

女性ながらも働く意欲に満ち、自分達の将来を切り開こうとするYKさん。僕との違いは勇気や決断力もさることながら、苦しさを我慢する忍耐力にもあったようだ。安きに流された過去は戻らないが、残された日時を無駄に使わず、自分の好きなように生きるぞと決心する次第である。今、一番欲しいのは当然健康だし、次が時間、最後にお金であろうか。

彼女のメールには、タイ国の女性達との会話から「お金が無いほうが幸せを感じ取れるようだ」との一文もあった。意見の分かれるところであるが、ある程度の金銭は必要だと思うし、沢山あってもこの年になって特別欲しいものも無いが、あれば行ったことのない国に行く費用が欲しいものである。

欲の皮は決して突っ張っているほうでは無いと思っているが、それでも年二回の宝くじはグループ買いしている。西郷南洲には随分遠く及ばないから、子孫に美田を残したい気持ちは強くある。願わくば明日の年末宝くじで高額が当たり、娘のマンション代金の一部でも充て、残りは東日本大震災の義援金に・・・・。と、叶わぬ夢を見続けるのもあと一日だ。

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2011年12月27日 (火)

節操のない政治家、往生際の悪い経営者など

わが意を得たりと書くことにした。今朝(26日)の”天声人語”を読んでからである。

もともと僕は、政治家など全員ではないにしろ、節操ある人種と思っていないから、この程度の事は平気でやると思っていた。言い換えればこの程度の感覚で無いと政治家などやれないのであろう。

事は大阪市長に当選した橋下 徹氏へ擦り寄る自民ならびに民主党の幹部連中である。彼らは市長選で橋下氏を攻撃したではないか。人気抜群の氏であるから心中、当選すると思っていたのではないだろうか。それでも攻撃した。でも彼は圧勝した。

「自分達の考えを無視するならば、大阪維新の会から国政へ候補者を立てる」の一言が、いかにも恐かったのであろうか、挨拶に来た橋下氏へ恥ずかしげも無く握手を求めたのである。民主も自民も、党の要に座る政治家が。

”天声人語”は述べる。「同じ握手でも、幾らか恥ずかしそうに出来ないものか」と。僕はその”両者ニコニコ顔で握手するテレビを見たとき、「こいつ等、男か?」と思ったものである。”太っ腹”と思い違いした人もいるかも知れないが、”無定見”そのものだ。この文を読んで拍手した。

”天声人語”は更に述べ、結論付けた。「そんなものさと諦めるなかれ。国の危機にこそ、政治家の節操が厳に問われるべきであろう。ぶれないのは誰か、自分達の選挙より、顧客である有権者の事を考える本物のプロは誰かを覚えておきたい。党名と氏名の両方で」

幾つか腹の立つ事件の中で、九州の大企業である九州電力の問題がある。かなり関心があるので”オリンパス”事件、”大王製紙”事件と共に、これらについての記事は、ほとんど漏らさずスクラップとして保管している。

九電の社長の往生際の悪さには辟易だ。問題発生から本日までスクラップの全ての記事を読み返してはいないが、ほぼその過程は頭に入っている。僕がここで詳しく述べなくとも、大方の人はご存知であろう。

枝野経産大臣が「今のままのガバナンスでは原発の再稼動は認められない」と発言し続けていても、それが社長の交代を求めていることと解っていながら、とうとう年を越しそうになった本日(26日)まで、前言を翻したあと頑として辞任を口にしていなかった。

ところが、今日が最適のタイミングと計算したのか、たまたま見たテレビ番組で「社長が辞任を口にした」と言うのである。もう一度詳しく調べた上で、思うところを書きたいのであるが、テレビ内容で記憶しているのは、辞任はするが、その時期は今すぐなのか、来年6月頃の任期終了時なのか明言してないそうだ。

それにしても功成り名遂げた企業のトップも、その規模の大小に限らず一度権力を握ると放したくないのだろう。それほどトップになると、経営の苦労よりうま味や快感が多く・強いということか。勿論、自尊心も満足させられるだろうし、名誉を失いたくない気持ちも解らぬでもない。

この人も、一度辞任を口にしながら取り消した人である。まあ、大金持ちの元総理が同じ事をしたのだから、自分が前言を翻したからと言って、そんなに責任を感じることはないと思ってでもいるのだろうか?「綸言汗の如し」というではないか。、特に国のトップや企業のトップは、一旦口から出した言葉は引っ込めてはならない。武士の時代ではないが、現在でも「武士に二言は無い」というセリフは使われるのだ。

何故もこんなに往生際が悪いのか?理解に苦しむところである。その点、大王製紙の前会長は、人を小バカにしたような薄ら笑いをうかべながらも事実を認めたのであるから、苦労を知らない生まれながらの三代目経営者としての育ちの良さであろうか。

この項とあまり関係が無い物言いであるが、70年の生を振り返ってみて思うに、人間と言う生き物の世界は何時の世も、割を食うのは善良な金も力も無い弱者であり、表と裏を上手く使い分けの出来る、ある程度厚顔無恥な人間ほど、サバイバルゲームに生き残れるように出来ている。その弱い人間が大多数だから、「ご同輩」として、横並びに僕らも生きて行けるのであって、これが反対なら悔しく、劣等感に苛まれて、まともな生活など出来やしないのだ。

問題になったトップの人間に「いさぎよさ」が見られない最近、名を惜しむ武士然とした人間にお目にかかりたいと心から願うものである。

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2011年12月23日 (金)

こんなことでも大きな省エネになるのでは・・・・?

最初に断っておくが、この案は友人宅で見たものを真似したもので、決して自分の独創ではなく、あるいはもう既に多くの人が実行しているかもしれないが、非常に効果のある省エネだと感じたので、ここに提案するものである。

昨年冬、熊本のMさん宅に泊めていただいたとき、初めて目にしたもので、熱風を引き込んだ先が大きな掘りごたつだったので、「結構温かくなるなー」程度の感想であったが、先日泊めてもらった時もやはり同じ方法を目にしたのである。今回は「これは省エネ時代にマッチする方法だ、うちでも真似をしよう」と思い、帰宅して早速使う材料を買うため建材店へ行った。

ところが同じもの(パイプ)は売っていなかった。やはり特殊な用途に用いるからだろうと、代替品を探した。まあ、何とか使えるようだと思える品物があったのでそれを買った。

理屈を述べれば、簡単なことである。要するに多くの家庭で使っているファンヒーターの熱風を、適当な大きさと長さの管(パイプ)を前に置き、それを通じてコタツへ引き込むのである。Mさん宅で使っているそのパイプは、周囲を鉄線かアルミ線で巻いた軽量のもので、フレキシブルなものかもしれない。実際試してみないと、話を聞いただけではその効果を理解してくれないであろう。

僕は結局”ヒシパイプ”という直径10.5センチの塩ビ配管1mを買い、その半部を利用した。Mさん宅のと同じく、それだけでも熱風を集めることが出来るかもしれないが、僕は集熱効果を高める為に、ロート状になっている直径16.5センチの、細い部分が10.5センチにぴったり被せることが出来る物も併せ買った。それを塩ビ配管に繋ぎ、それをファンヒーター前に置いたのである。ファンヒーターのブレードは下向きになっているので、その高さに合わせパイプを乗せる台を置いた。

結果は想像以上で、長く集熱しているとコタツが熱くなりすぎ、途中でパイプを除かねばならないくらいであった。熱過ぎる時にはファンヒーターをずらせば良い。ただ、不都合なことも起こった。それはあまりの高温の為、パイプが変形してしまったのである。だが物質が違うのかロート状の集熱パイプは何等影響を受けなかった。パイプは変形しても燃える危険性は無いと見て、使い続けている。

使っているパイプとファンヒーター

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変形したパイプ

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コタツに使う電気料金は多分バカにならないであろう。そしてファンヒーターを部屋を暖めるだけに使わず、コタツに使えば一挙両得、一石二鳥である。

今まで僕はコタツは持っていたが、一度も使ったことは無い。当然コタツ毛布も被せたことも無い。寒がりではないので、暖を取るのはエアコンかファンヒーターとホットカーペットの組み合わせで十分で、コタツを使おうと考えたことも無かったのである。

でも今度使ってみたら、気分的にくつろぐ事も出来るので、落ち着いた時間を過ごす事が出来る事を再確認した。別に電気エネルギーを使う恐れが無いから、今後コタツを使い続けても問題ない。世の”省エネ”時代に合致する良い方法だと思うので、もしこのことを初めて知った人は、是非テストして欲しものである。

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2011年12月19日 (月)

垂水市へ無料バスで

良くある家人の早とちりであった。友人から聞いたのであろう。「鹿児島中央駅から、鹿屋方面へ無料バスが出ているらしいよ」と僕は家人から誘われたのである。

とっさに思いついたのは、数ヶ月前九州新幹線の全線開業に合わせ、姶良市のPRの為に鹿児島中央駅から姶良市の名所旧跡を廻る”あいらビュー”号なる中型バスを運行した事があり、まだ続いていることである。その二日目にHさん夫妻と一緒に乗車して、合併後の姶良市内の名所を廻ったことがある。確か一人500円を払ったように記憶している。

今度も同じ趣旨で新幹線客を対象に大隅半島のPRをするのだと直感した。結果的に僕の推測は当たっていたが、ただ幾つかの点で予想と違った。が、それは偏に家人の思い違いと聞き違いであった。

募集要綱を確認しないまま今回もH夫妻を誘い、4人で集合場所の鹿児島中央駅の西口へ向かった。10時出発だと聞いていたので9時半には集合場所へ着いた。確かに中型バスが待っていたが、集まった人はいかにも少ない。あとで聞いたところによると、このバスの目玉は垂水市にある”千本イチョウ”と呼ばれる、そのイチョウの植わっている場所を見学出来ることにあったらしい。ところがそのイチョウ見学は、前々日の15日にに終わっていて、目玉が無くなったことで乗客が少なくなったようだ。更にボランティアガイドが添乗しない日もあるらしい。

運悪くこの日もガイドが添乗しない事が判った。集まった客は大人10名と子供4名の計14名で、車内はガラガラであった。それでも10時10分にバスは出発した。運転手が説明を加えてくれるので、単なる移動だけではない。ドライバーの後ろ座席に座ったので、運転に差し支えない程度に質問をした。

僕らを運んだバス

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「対象は新幹線客でしょうが、客の何割が県外客ですか?」「いや、ほとんどが県内客で鹿児島市のお客が多いです」。僕が予想したとおりであった。出発時間が遅かったので「鹿屋市まで行くのですか?」と聞いたら、「いや、このバスは垂水市のPRの為なので、垂水市内しか廻りません」。案の定、家人の聞き違いであった。詳しく聞いたところ次のような答えが返ってきた。

垂水市役所は県の後押しで、この観光バスを今年10月1日から来年3月31日まで毎日運行すること。利用条件は垂水市の観光を目的にする人で、垂水市の宿泊施設を利用する人が最優先であること。但し、日帰り客も利用できること。料金は無料であるが、昼食は当然各自負担で、垂水市の道の駅で食べて欲しいことなど。

桜島までのフェリー代金は当然だと思っていたが、復路も出発地点まで送ってくれることを疑いも無く信じていたので、見学を終え帰途についた車中で、「バスが送れるのは垂水港までです」と聞いたときには驚いた。能天気で早合点常習犯の家人が計画したのだから、「さもありなん」である。垂水港から鹿児島市鴨池港まで45分のフェリー代と、鴨池港から鹿児島中央駅までのバス代は各人が負担して帰らなければならなかった。

出発したバスはフェリーで桜島へ渡った。15分程度で到着、寒かったが晴れた日で桜島の噴煙も少なく、実に綺麗に桜島をまじかで見ることが出来た。年間数回は桜島を訪れるがバスで廻る事は少ない。説明で知ったことであるが、以前に歌手長渕 剛が多額の寄付をしたそうで、桜島に彼のモニュメントが建てられている場所をこの目で確認した。屋外コンサートを開き、万を超える若者が集まったことは、僕も聞いたことがある。3、000万円も寄付すれば貢献者であり、それはそれで立派な行為であろう。そこを見た後黒髪地区へ進み、大正3年の爆発で埋まった埋没鳥居を見学した。爆発の凄まじさが想像できる場所である。

黒髪地区(鹿児島市内から見た桜島の東方裏側)から見た桜島(昭和火口)

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埋没鳥居(黒髪地区)

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その後、霧島市福山方面へ向かい、”道の駅たるみず”で昼食をとることになった。新鮮な魚を使った丼が美味かった。土曜日であったが、風が冷たかったので駐車場横の”足湯”は殆ど利用していなかった。桜島の噴火の動画を撮ろうと、かなりの時間デジカメを持ってチャンスを待ったが、頻繁に噴火する桜島は皮肉にもこの日はこの時間まで噴火しなかった。

”道の駅たるみず”から見た桜島

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道の駅の足湯

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1時間以上そこで休憩した後、今度は大隅半島を南下して、高倉健が主演した映画”ホタル”の撮影場所である海潟漁港を車中から眺め、最後の見学場所である”猿ケ城渓谷森の駅たるみず”へ向かった。途中前述したの黄色く色づいた”千本イチョウ”を遠くの山中に眺めながら、目的地へ向かったが、そこは何の変哲も無い数棟のコテージが小川の近くに建っているだけであった。が、垂水市としては、そこで宿泊する人数十名でも同市に来て貰いたい気持ちであろう。一棟以外はこの寒い冬の日にも関わらず、予約客で埋まっているとの事であった。これ等もこのようなPRの結果かもしれない。

”森の駅たるみず”

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小川に沿って建つコテージ

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「さーこれで今日の見学は終わりです、今から垂水港まで送ります」と、ドライバー。僕等は「えー?」。多分ほかの人たちは知っていたであろうが、僕等4人はこのとき初めて、日帰り客は垂水港から鹿児島市まで、各人で帰らなければならないことを知ったのである。僕等は風で白波が立った海や、少し煙をたなびかせる桜島を見ながら、45分のフェリーを楽しみ、鴨池港からバスを利用して中央駅に帰ってきたのである。

色々下調べもせずに出掛けた日帰り見学旅行であったが、ちょっとしたハプニングも楽しく思えた今回の遊び旅であったが、Hさんご夫妻は満足してくれたであろうか、気になるところである。

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2011年12月14日 (水)

盛り上がった周防大島での”南の会”忘年会

”南国暮らしの会”の忘年会を12日に周防大島で行うとの通知は、先月には受け取っていた。鹿児島からかなりの距離であるが、とても盛り上がる飲み会であることは過去のそれを経験して解かっているので、即座に参加の意思を伝えた。

墓参などの用事を済ませるため、同じ姶良市の I夫妻とは熊本までは別々に行くことにして、11日(日曜)夕方、家人と熊本へ向かった。 その夜は何時もの如く、同じ会員のMさん宅に泊めていただき、翌12日I 夫妻を松橋インターで待ち、Mさんの車に3組の夫婦が乗り、高速道を10時にスタートして周防大島へ向かった。

熊本インターから乗る予定の別の4人と「一緒に行こう」と、その中の一人であるT支部長へ電話を入れたら、全ての面で夫を補佐する彼の夫人が、突然の高血圧症状で病院に担ぎ込まれたことを知った。殆どの企画運営を彼ら夫妻がリーダーとして引っ張っていたし、今回も参加を楽しみにしていたはずで、残念であったろうが大事を取って自宅療養することになったそうだ。

玉名サービスエリアで彼らの到着を待ち、AさんMHさんと共に9名で山陽道玖珂インターを目指した。気の合う仲間との車中は会話も弾み、380キロの行程もMさん一人が運転したが、そんなに疲れた様子でもなかった。

玖珂インターを降りて柳井市を通り、会場である周防大島の”グリーンステイながうら”に到着した午後4時には、殆どの会員は到着していた。”ログハウス棟”と呼ばれる1階がロビー、2階が寝室になっている棟に落ち着いて、温泉で疲れを取った後、参加者全員29名(男性16名、女性13名)は和やかな雰囲気で夕食をとった。

宿泊したログハウス棟

Roguhausu

メインの行事は忘年会であるが飲み会に移る前に、平成14年に(多分50才の頃)登山仲間5人とタンザニアのキリマンジャロに登った女性NMさんの体験発表を聞くことになった。彼女はプロジェクターを使い、面白おかしく話を進め、全員質問を交えながら真剣に聞き入ったのである。彼女は小さい頃は虚弱体質であったらしいが、生来男性顔負けの冒険家で、インカ道を歩いた経験も持っている。人づてであるが、英語も喋れないのに孫達を連れてアイルランド(?)の長期旅行もしたらしい。一見何処にでもいる普通のおばさんだが、興味に駆られ僕は翌朝彼女にインタビューした。「人が行っていないところを、人よりも早く体験したい」との言にその性格が現れていた。

キリマンジャロ登山中に高山病で意識を失い死を覚悟した時、登山中のドイツの医者と看護師から助けてもらった等、小説もどきの話に興味が湧いて、彼女が書いた”アフリカ体験記”の40ページあまりの小冊子を借りて帰った。ゆっくり読ませて貰おうと思っている。「あなたも登りますか」と逆質問されて「とんでもない、そんな度胸が僕にはありません」と即座に返答した。

いよいよ、楽しみの忘年飲み会。ホールを借りきり飲めや歌えの宴会が始まり、大爆笑と拍手の渦がホールを包んだ。世の中には芸達者がかくもいるものかと、驚嘆するほどの一大演芸会であった。歌うくらいしか能の無い僕は、彼らが羨ましかったが、これも努力する才能が欠如した僕の運命と諦めた。支部長Tさんは夫人の容態が気になっていたであろうが、ギターを持参して弾き語りを、ダンスを最近始めた会員夫婦は正装でタンゴを踊り、ある会員夫婦は高千穂の踊りが源になったという踊りで、真っ赤な衣装と精巧に作られたヒョットコ面を被り会場を廻り、Aさんのドジョウ掬いに抱腹絶倒、O君は小さなハーモニカで唱歌を吹き、彼の指揮で全員で輪唱した。

Mさんは長年練習した相撲甚句を披露、それぞれ喉に自慢の会員達は演歌から軍歌まで歌い、僕も勧められてトリを務めた。前回の飲み会で椅子を抱いてタンゴを踊った芸達者なI さんは適当な椅子がなかったのか、愉快なキャラを発揮できず残念であったが終始ご機嫌であった。クリスマス時によく使う三角形のポンポンも鳴らされ、このような賑わった飲み会は近年久しぶりであった。

特筆すべきはSZさんの司会進行で、軽妙な語り口で皆を引き付け、更にカラオケ教室を開いて指導していると噂されている、プロと遜色ない歌唱で皆を唸らせた。「あんたの後には歌えないな」と言いながら、それでも相変わらず歌い続けた多くの会員。そこには南の国に憧れる共通した思いを持つ、会員同士の連帯感があった。

あっという間の2時間の宴会は終わったが、この程度の時間帯では満足しない全員は部屋を変え、自己紹介を皮切りに経験した海外ステイなどの話に中心が移った。近々チェンマイへ、ニュージランドへ、ハワイへと計画している人達もいたが、過ぎ去った旅行を懐かしんで入る人達もいた。若者ならいざ知らず、何と女性を含めた半数が12時過ぎまで飲み、話し、ギターにあわせフォークを歌ったのである。

翌日は全員で記念撮影した後、山口県の会員が柳井市の”白壁の町並み”を案内してくれ、10数名は白壁の町並みを散策し、18世紀に建てられた”国森家住宅”や柳井の特産品”甘露醤油”の醤油蔵、柳井地名の発祥地である誓光寺などを見学し、ここで解散となった。

白壁の町並み

Photo

晴れて師走とは思えない暖かい気候のもと帰途に着き、4時頃松橋インターへ到着した。無事到着に安堵したが、駐車場に停めていたI さんの車が、長さ2メートルあまり釘か何かで引っかかれ、楽しい旅行に水を差した格好になった。車が氾濫する今の時代でも、このようないたずらをする輩がいることに驚いたが、Iさんには気の毒であった。I さんご夫婦はそこから姶良へ向かったが、僕らはMさん宅に寄ったあと熊本市で墓参を済ませ、帰宅したのは午後9時であった。思い出に残る笑い通しの飲み会だったので、楽しい思い出として長く記憶に残るであろうが疲れは全く残らなかった。

宴会の動画を編集しました。

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2011年12月10日 (土)

12月10日はボーナス支給日だったなー・・・・。

もう何年も忘れていたが、僕が勤めていた会社では10日がボーナスの支給日だった。先日、知人とボーナスが話題になり、「そうだったなー」と、もう二度とそのような嬉しい目にあうことは無い、過ぎ去った現役時代のボーナス受取日のことを思い出した。

若い頃から計画性の無い刹那的人生を歩んできたので貯蓄など殆ど無いが、「これも生き方の違いだ」と諦め、いまさら悔やんでも如何ともし難い。年金だけを頼りの生活が死ぬまで続くことになるが、覚悟を決め何とか耐乏生活が出来るだけ幸せだと思うようにしている。

巷間問題になっている、支給年齢引き上げなどの”年金絶望”論的な世代の人たちに比べ、恵まれた環境にある僕らの世代は良い時代に生まれたと幸運に思わねばなるまい。

新聞の切抜きから見つけた数字であるが、民間企業で働く人が、昨年(平成22年)1年間に受け取った給与の平均は412万円で、前年より約6万円増えた。増加は3年ぶりだが、それでも1989年(平成元年)の水準だそうだ。

1年を通じて働いた給与所得者が4、552万人で、そのうち女性は1、823万人で統計を取り始めた1978年以来最多である。男女の平均給与は男性507万円、女性が269万円で、給与額の人数分布は300万円超400万円以下が823万人でもっとも多かったそうだ。業種別の平均給与は何と「電気・ガス・熱供給・水道業」の696万円がトップだった。ここでは東電など電力会社が平均を押し上げていると邪推したくなるが、如何?

今年は10日が土曜日なので、ボーナスは9日に支給されたようだ。10日の新聞は鹿児島県職員のボーナスについて次のように、報道していた。

県の一般職員(平均43・8歳)の平均支給額は75万5988円で、前年に比べ1・31%(9740円)増えた。夏の分を抑えたので、通年ででは前年と同じ3・92ヶ月分だという。

同じ新聞に、別面で国家公務員のそれについても報道していた。

管理職を除く一般行政職(平均35・8歳)で平均61万7100円を支給された。

皆さん知ってのとおり、政府は0・23%引き下げを求めた人事院勧告を採用せず、大幅な給与引き下げ臨時特例法案(成立2ヵ月後から2013年度末まで平均7・8%引き下げ)を出したが、今国会で成立せず満額支給になったのです

新聞の解説では、総務省の試算では特例法が成立していれば平均55万5400円になり、人事院勧告を実施するだけでも61万5200円に下がるはずだったが、逆に平均年齢が上がった為に平均支給額が昨年同期より4・1%(2万4200円)増えたそうだ。

お役人達の話はこれまでにして、問責決議が可決された一川、山岡の資質ゼロの大臣達は法的拘束力が無いのを幸いにして居座るようだ。全ての面で期待を裏切った民主党には政治を担う能力は無しと見たが、かといって自民党も政権奪還だけを狙って、国民の幸せなどは到底期待できない。”どじょう”だけは違うようだと、最初に過剰な期待感を持ったがやはりこの人も強力なリーダーではないように見える。

当選させる為には能力・資質も見極めず、知名度を優先させる党のリーダー達。谷 亮子とか、子の七光りで当選し良からぬ話題の多い横峰 某などのセンセイ達、どんな仕事をしているのだろう?出るほうも出るほうだが、選ぶほうも選ぶほうだ。     もうこの辺で止めとこう。

これら国会議員のボーナスは291万円で、昨年より9万円も多いらしい。震災後、月50万円減らしていた歳費は半年で元に戻った。

今国会で成立せず継続審議となった国民年金改正法案は、正当な理由と考えられる故にいずれ成立し、わずかばかりの年金も減らされる可能性大である。何時の世もしわ寄せは弱者であるが、嘆いてばかりではいけない。悩み多きこの世で、簡単なことではないが「与えられた環境の中で工夫して、楽しく愉快に生活する」前向きな考え方をしてゆこうではないか。それが、僕等高齢庶民に求められる生き方と思う。

ある、哲学者の言葉です。「お金に余裕のある人は、色々な経験を金で買えるので、”人生の幅”を広げる事ができ、お金で苦労した人は、不運な環境の中で自己実現できずに辛い思いをしている人に心から共感することができ、”人間性の幅”を広げる事が出来る」・・・大王製紙のバカボンボン前会長など”人間性の幅”など持ち合わせも無いであろう。ボーナスの話から脱線してしまったが、政治面で最近ふつふつとした気分になっていたので、言わずもがなのことを書いてしまった。

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2011年12月 6日 (火)

突然の胃痛で、楽しめなかったグラウンドゴルフ一泊旅行

結成以来加入者は増えても脱会者ゼロを誇る、我等がグラウンドゴルフ同好会”寿栄広会”は平均年齢75~76歳であるが、その結束力は皆の誇りとなっている。

とにかく笑いが絶えないのは、笑いを提供する人気者が多く存在することも理由の一つであるが、健康で楽しく残りの人生を送りたいと願う気持ちを、多くの会員が共有しているところにある。老人のスポーツだからと加入に気が進まなかった僕も、家人と共に加入して年間140日以上の日を彼らと共に午前中の時間を楽しんでいる。その代わり、お金を使うゴルフは年間11~12回程度に半減した。

その皆が楽しみにしている年1回の旅行が去年と同じく12月に、去年と同じホテルの付属のグラウンドゴルフ場でプレーする目的で行われた。何時か触れたと思うが、1回のホールインワンに50円の拠出を行い、それが何と11万円以上貯まるのである。一人3,000円を負担してくれるので大いに助かる。

去年のホテル側の厚遇に気を良くした会長が、「来年も是非」と約束していたので今年も熊本市植木町のホテルに行くことになった。確かに驚くほど気を遣ってくれるので僕も否やは無いが、3年も続けてとは思わない。果たして来年はどうなるであろうか。多分9割以上の客がグラウンドゴルフ目的の宿泊であろう。この町で48ホールも持っているホテルはここ以外ないであろうし、客扱いに馴れた社長夫妻の言動に”上手く丸め込まれた”と思いながらも、決して悪い気がしないので、ついつい「来年も」と思ってしまうのであろう。

マイクロバスで熊本から送迎してくれるので、移動についての経費負担は無い。欠席者5名を除いた参加者19名を乗せたバスは、快晴の早朝9時に地区の公民館を出発した。幹事長のI さんが出すクイズなど和やかな時間の後、これも楽しみの一つである車内の飲食も早速始まり、尚一層の和やかに拍車を掛け、11時半にはホテルに到着した。昼食後早速試合を始めた。九州各地から愛好家グループが来ているので、会場は多くの人たちで賑わっている。

何時も練習する地面むき出しのグラウンドと違い、芝生が生えているので全く勝手が違う。何時もは全員で15以上のホールインワンが出るのに、当日はその半分以下であった。

試合の途中、僕はかつて経験したことが無い胃の痛みに襲われた。不快感はあっても痛みなど殆ど経験が無いので、正直気になり始めた。折角宴会の場で飲み食いするのに、これでは全く飲食できないのではと、勿体無い気持ちにもなり、暫く我慢すれば何とかなるだろうと思っても、和らぐことは無かった。

皆に判らないようにと、ひと言も発しなかったが、当然プレーには集中できなかった。試合を終えると直ぐ、持参していた壜入りの液状の胃腸薬を飲んだが、中々収まらない。温泉に浸かって暖めても改善しなかったので、今夜の宴会では一切飲み食いをしない事に決めた。

試合の表彰式が始まり、昨年同様ホテルの社長が表彰状と賞金、副賞の黄色ポロシャツを提供してくれた。ここあたりが、この社長の上手いところで、「又来年も」という気持ちにさせるのであろう。賞金と商品は2位、3位にも提供され、更に7位までの人とホールインワン達成者にも、お茶とか特製の靴下を呉れた。

優勝者は何と85歳のTさんで、思いもかけない幸運に喜んでいた。表彰式の後宴会が始まった。当然腹が減っているし、好きな日本酒もホテルからサービスされ目の前にある。が、不快感と幾らかの痛みは依然として残っているので、グッと我慢して手をつけなかった。だが、少し食べないと眠れないのではと、自分に言い訳をしつつ刺身を少々つまみ、日本酒を燗壜1本飲んで止めた。皆にもその旨を伝えたので、無理強いする人はいなかったが、折角のご馳走を前に残念であった。宴会は何時ものとおり大賑わい、制限時間に出番が回らず芸の披露が出来無かった人もいたが、部屋に帰り遅くまで飲み会は続いた。ただ、僕は淋しくしらふのまま、聞き役に回らずを得なかったが。

摂生が効いたのか、胃の痛みはほぼ無くなっていたので、朝食は美味かった。プレーは8時過ぎから始めた。冷え込むとの予報であったが、相変わらず予報が当たらず、大した冷え込みではなかった。前日同様多くの客がプレーを楽しんでいた。この日も試合であるから各人真剣である。前日は全く試合にならない位スコアも悪かったが、当日はホールインワンも1回出て、家人が6位、僕は7位で表彰された。今までの成績でハンディーキャップが多く付いているので、余程スコアが良くないと優勝は無理であるが、何とか表彰受けて笑顔になった。

1時に前日のマイクロバスで帰途についたが、優勝から3位までの好成績者の弁や歌やおしゃべりに、涙を流さんばかりに賑わった雰囲気で、到着までの3時間弱があっという間であった。

加入間際の飲み会で僕が感じた「このグループは良く笑う」との弁が何度か引き合いに出されるが、プレーの最中でも間違いなく良く笑う。SSさん、Iさんの頓知の効いた話術が面白く、「この笑いを聞きたいばかりにプレーするんだ」という人がいるほどだから間違いない。「俺もとうとうグラウンドゴルフ年齢か」と、一抹の寂しさを感じながらも、24名程度の少ないグループであるが、その仲間に加えて貰っている有り難さも併せ感じた今回の旅行であった。

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2011年12月 1日 (木)

簡単燻製、失敗の巻

スポーツジムは月末は休日である。思い立って久しぶりに燻製つくりをやることにした。正直言うと、本日鹿児島市内に住む家人の友人夫妻と、忘年会を行う約束が出来ていたので、”彼らに美味しい燻製でも土産に”と思って久しぶりにスモーカーを取り出したのである。

使ったスモーカー・・・下部は電熱器、上部に写っているのはブーゲンビリア

Imgp3404

燻煙材は3.4本ウッドを買い溜めしていたので、あとは食材を何にするかである。せめて燻煙時間は1時間以内で終えたいと考え、簡単に出来るベーコンとサーモン、そしてかまぼこと半熟玉子に決めた。

半熟玉子など到底僕は作れないので、家人に頼んだ。近くのスーパーへ行き、ベーコンとサーモンにかまぼこを買い求めた。余談であるが僕は寿司ネタも刺身もサーモンが大好きで、寿司を食べる際の半分近くはサーモンである。刺身用のサーモンは、燻製にするのは勿体ないと思ったが、思い切って少し高いものを買った。

以前、塩漬け用としてピックル液とソミール液を作って、冷蔵庫に保管していたのであるが、本日使うソミール液が見つからない。多分、家人が場所を取るからと捨てたらしい。それでは今作ろうと思い、黒コショウを探すがこれも見当たらない。これも捨てられた可能性がある。仕方なくホワイトペパーで代用とした。スタートから上手く行かない。加え燻材の助剤として使う”ザラメ”も切らしていた。

家人に頼んだ半熟玉子は、彼女が殻を割って剥き身にしていたが、薄皮が上手く剥けないのである。「何だ、主婦のくせに」と責めながら僕もやってみたが、半熟ゆえにプルプルと安定せず剥きにくい。初めて知ったが、玉子が新しいと中々剥けないのだそうだ。結果、殆ど原型を留めないほど、でこぼこな無残な形になってしまった。

半熟玉子を除いて燻煙時間は20分程度で、燻煙温度は80度~100度である。サーモンには刷毛でソミール液を塗った。市販のベーコンはそのもの自体が燻製であるが、全く煙のにおいは無い。教科書には塩漬けは必要ないと書いてあったが、僕は同じくソミール液を塗った。かまぼこは板から切り離し、塩をもみ込みキッチンペーパーでふき取った。

4つの食材

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参考書の綺麗に着色したかまぼこは、僕が中学生の頃、母が弁当のおかずに入れてくれた”いわしのかまぼこ”の真茶色と瓜二つで、遠い昔を懐かしく思い出した。が、結論から述べると、出来上がったそれは殆ど着色されていなかった。時間が不足していたのかもしれない。ただ、香りだけは十分付いていた。

もう一つの失敗は、4種類を同じ時間に済まそうと考えた末、上からの滴りを防ぐ為に、3枚の網にアルミホイールを敷いたことであった。こうすると燻煙の途中で裏と表をひっくり返さねばならない。当然温度は下がるし、煙も外へ出てゆく。

燻煙中のスモーカー・・・・霞んでいるのは燻煙

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更に燻煙時間が短い食材なので、適温(80~100度)になるまでかなりの時間が掛かる。その点を考えれば、電熱器でプレヒートしておくべきであった。更に決定的な失敗は、暫くの時間ではあったが、ウッドを燃やしてしまったことである。一番やってはいけないことで、まさに最悪の事態である。電熱器のコントロールが上手く出来ず、急激に温度を上げたためにウッドに火が着いたのだ。次回は十分気をつけなければならない。

失敗作であったが、まあまあ食べることは出来た。・・・かまぼこは薄く着色

Imgp3406

今回は色々失敗したが、若干燻煙時間を長くして何とか燻製らしきものが出来上がった。幾らか綺麗に出来上がったものは友人夫妻に差し上げることにして、残りを試食したが、煙の臭いも着いていて結構美味く出来上がっていた。年に2,3回では、まだまだ修行不足である。今度は十分準備をしたあと、もう少し低温にして燻煙時間は長くする”温燻”に挑戦したいと思う。

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