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2012年1月10日 (火)

菜の花マラソン、完走!

生涯2度目のフルマラソンは直前に風邪を引いたので、実際走れるのかそれだけが心配で、正月休みで病院には行けなかったものの、市販の薬を飲んだり玉子酒を飲んだり、マッサージ店へ行ったりして細心の注意を怠らなかった。風邪は殆ど引かないとの自惚れが、油断を招いたのかもしれない。

昨年のマラソンは知人がいなくて、誰とも話さず黙々と走ったり、歩いたりして寂しさを感じていたところ、中学時代のクラスメートが「出場したい」と連絡してきた。熊本の”パールラインマラソン”の常連で、ハーフマラソンを20数回連続で走っているベテランだが、フルマラソンは始めてらしい。「是非、是非」と、前々日は拙宅に泊まって貰い旧交を温めた。

第31回目を迎える”いぶすき菜の花マラソン”である。3年前と2年前は、フルマラソンに自信が無く、10キロに出場したが、昨年始めて出場を果たした。6時間50分で完走できたので、今年の目標を6時間30分に設定した。

受付は8日(日曜)当日でも可能であるが、何せ拙宅から遠い。おまけに車が混むので、昨年同様前日に受付を済ませるべく、家人と友人HG君と3人で姶良市から指宿市へ向かった。この大会は本年から10キロコースが廃止され、全てフルマラソンだけである。昨年はかなりの渋滞で、5時半の受付終了に辛うじて間にあった。

今年は昼食を済ませて1時には出発したので、若干の渋滞はあったものの、余裕を持って受付を終えることが出来た。何時もの如くTシャツとタオルが記念品として渡された。例年のぺらぺらのタオルが不評だったのか、今年は結構な厚さのタオルに変わっていた。4,500円の参加料ならこの程度は当たり前だろうと僕は思っているが。

僕は数ヶ月前に、全国一安いと自称している安宿を予約していた。HG君は、鹿児島市のホテルを予約したというので、指宿駅に彼を送りその足で4時過ぎ宿へ向かった。HG君は当日臨時電車で指宿市の会場へ来ることになっている。

興奮で眠れないのではと、寝る前に飲むべく酒を買い、宿の食堂でも飲んだが、9時頃床に就いたのに中々眠れず、11時過ぎ頃まで悶々としていたようだ。6時には目が覚めて朝食後、7時過ぎには宿を出た。車が混んで駐車場が確保できないので、「出来るだけ早めに」と言った警備員の言葉通り、早く出たのである。昨年まで3回は、マラソンスタート地点の真ん前にある”なのはな館”に宿泊出来たのに、昨年から休館していて泊まれず不便この上ない。

昨日とは打って変わって、曇り空でなんとなく寒々しい。HG君とは出発30分前に出会い、記念の撮影など行った後、ランナーで超満員となった列に入っていった。自己申告で7時間程度を申告していたので、HG君と一緒にその表示のプラカードの列に並んだのである。

スタート前に記念撮影(筆者右)

Img_0010

最初の時ほどでもないが、大勢のランナーの中にいると、高揚感は次第に湧いてくる。事務局から挨拶と発表があった。上空ではヘリが舞っていて、低空で接近するそれに、多くが歓声を上げ手を振った。僕も真似をして手を振った。

天候は曇り、気温6度、湿度75%、風速0m、参加選手18,300(?)人,、ボランティア2,000名等々の発表があった。

渡された冊子からのエントリー記録をここで記しておく。

出場者の年齢別では

30才未満         男子3,902  女子2,387

30~50才代       男子8,149  女子2,568

60才代           男子  921  女子  201

70才以上         男子  184  女子   22

合計       男子    13,156  女子5178  男女計 18,334名

外国人も数名走っていたが、今年は表に区分計上してなかった。実際走った人の数は、翌日の新聞で17,932人と発表された。更に今年から35キロ地点(JR山川駅前)で、午後5時までに通過できなかった人は、強制的にバスに収容されることになったらしい。

走る前に彼と約束事をした。10キロ地点までは出来るなら並走して、以降は自分のペースで走ろうと。ところが僕はデジカメで動画を撮るため、2キロ程度の地点から彼と離れてしまい、それ以降彼と一緒に走ることは無かったのである。

風邪が全快していない自覚から、手袋をはめタオルを首に巻き、ウインドブレーカーを着用した。弱点の膝をカバーするためサポーターを着け、靴下の上に更に膝を押さえる長めの靴下を履いた。さらに首から提げたポシェットには、ケイタイ、デジカメ、筆記用具、ティッシュ、ハンカチ、小銭そして大事なエアーサロンパスも入れた。これで万全である。

マラソンコース

Imgp3639

スタートは9時であったが僕らがスタートラインを超えたのは9時11分であった。最終ランナーは30分程度後になるだろうとのアナウンスがあった。マスクもしていたので息で眼鏡ガラスが曇り、途中で止めた。HG君と雑談しながら多分6,5キロ程度の速度で走り続けた。特段苦しくもなく皆に付いて行くのは容易であった。

前半は殆どの人は歩くことなく、走りが中心である。僕は要所要所で脇に避け動画を撮影するので、その都度多くの人から遅れることになる。多分20数ヶ所近くで撮影したから、随分多くの人から追い抜かれたと思うが、それは折込み済みの時間と順位である。

ただ尾篭な話で恐縮だが、風邪による鼻汁が流れ出て、口周辺をタオルで拭かねばならなかった。やはり風邪は完治してないようだ。トイレは3キロから5キロ程度に設置され、その他民間商店が開放してくれるので困らなかったが、何処も多くの人で混んでいた。我慢できない人たちは皆が見える所でもお構いなく放水(?)していたが、当然女性はいなかった。給水や簡単な食べ物を提供する所は、数え切れないくらい多く、このマラソン規模の大きさを物語っていた。バナナ、オレンジ、氷砂糖、チョコ、飴玉、汁粉、ぜんざい、豚汁、焼きソバ、焼き鳥、マンゴージュース、綿菓子、焼き魚、黒砂糖、ソラマメ、漬物その他諸々、数え切れない種類が提供された。僕はその殆どで立ち止まりお礼を言って頂いた。

10キロ地点を10時38分通過した。スタートして1時間27分経っていたから順調である。10キロランニングでは、ほぼ1時間で走る距離だから順当であろう。15キロで11時23分(記録は全てメモしていた)だから2時間12分、かなりペースが落ちた。それでも汗をかいているので、風により冷たさを感じる程度であり、この時点では足の痛みなどは全く感じなかった。

20キロ過ぎた頃から足の異常を感じ始めた。昔から左足の半月板を損傷をしているので、昨年はそこが心配で、走行中エアーの鎮静薬を噴射し続けた。今年も当然そこが痛くなるものと覚悟したが、不思議なことに膝の痛みは無く、くるぶしとふくらはぎ、それに太ももの内側が痛くなり出した。かって経験したことのない部位である。ここで始めて不安がよぎり、「完走できないのでは」と弱気になって、家人に電話を入れた。「ひょっとすると、歩くことも出来なくなり、収容車で帰ってくるかも」。

「でも半分近く来ているのに、ここでは帰れない」と思い直し、歩いたり走ったりして歩を進めた。沿道の応援も後押しした。エアー鎮痛薬を数百メーターごとに噴射して痛みを取り、黙々と歩きそして走った。この頃になると多くの人は走るより歩く人が多くなり、当然の如く僕もそのペースになった。一番辛い距離だと思った。

途中、HG君に電話を入れた。ほぼ同じところを走っているらしい。幾らか安心して歩を早めた。殆どの場所で給水し、バナナや豚汁、ぜんざいを食して元気を付けた。だが、ペースは落ちた。25キロで1時3分(3時間52分経過)、30キロで1時58分(4時間47分経過)とペースは落ちるばかりであった。

どこかでHG君を追い抜いたらしいが、その彼が長崎鼻近くのフラワーパーク近くで再度足早く僕を追い抜いて行き、しばらく前後で走ったが、いつの間にか見失ってしまった、というより僕が遅れ始めたのである。

完走もままならない足の痛みにも関わらず、何とか昨年の時間を更新したいとの気持ちも持ち続けたが、進むにつけそんな気持ちも薄らいで、ただ歩くのみであった。気持ちは走りたいのに、足が上がらないのである。このときほど年齢を意識したことは無かった。「俺がもっと若ければこいつらには負けないのに」と、道端で休んだり、柔軟体操をしている若者を見ながら僕は決して立ち止まらなかった。何故か今年は奇抜な格好をしたり、仮装をした人が少なかった。

時折、救急車がサイレンを鳴らし通過する。当然参加している急患の為である。この日4回ほどサイレンの音を聞いた。自分では大丈夫と思い参加するのであろうが、思わぬことも起こるマラソン距離である。10キロランニングでは、まずこんなことは起こらない。

山川港に近づく高台から錦江湾が見えてきた。何かホッとした気持ちになった。昨年もそうであった。殆どの人は喋ることなく黙々と歩く。多分疲労も極限であろう。急激な下り坂も足に堪えた。この町でも多くの場所で街の皆さんが、いろいろ接待してくれた。小さな子供さんたちも混じり、御茶や水、食べ物を提供してくれた。

最後の坂は山川駅から指宿市市街地へ続くダラダラ坂である。無言で歩いている人が殆どで、時に若い仲間達が喋りながら歩いてゆく。40キロ地点で3時56分(6時間45分経過)だったので、昨年を上回ることが決定的になった。残念であるが足が上がらないので仕方ない。暗くなりかけた温泉通りでも沿道の応援は続いたが、それに応えられない自分に腹が立った。

4時の交通規制が解かれて、全員歩道を走る(歩く)ことになった。昨年は4時以前にゴールしたので、車道を走れたのであるが。                   僕は大袈裟ながら、気息奄々、ウインドブレーカーを着けマスクをした姿で、何とかゴールしたのである。今回は確かに疲れたし、足の痛みが堪えた。

結局、完走証に書かれた数字は、走行時間7時間20分51秒、18、335人中12,786位、70才以上184人中125位であった。昨年より30分も遅くゴールし、順位も多分1,000位以上下回ったはずだ。僅か1%程度(180人余)の高齢出場者数であるから、「完走できただけでも良いや」と、自己満足するより他は無かった。

家人がゴールで大きな声で呼んだらしいが、それは全く聞こえなかった。それほど疲労困憊していたのかもしれない。それでもその後、自分で運転して自宅へ帰ったのだから、回復も幾らか早かったのだろう。

疲労困憊でゴールする筆者(マスク姿)

Img_0035

駐車場へ急ぐ僕達が歩く歩道を、まだまだ多くの人たちがゴールに向かっている。完走証の交付は午後6時迄である旨の放送を先ほど聞いた。何人が交付を受けられないのであろうか。折角参加しながら可哀相である。

指宿市で食事して帰る途中、HG君から電話があった。7時間17分程度でゴールしたらしく、僕より3分程度早かったそうだ。彼は経験が豊富であるが、初めてのフルマラソンはペース配分など、戸惑うことが多かったのかもしれない。無事二人共完走できたことに感謝しながら、8時過ぎても渋滞が続く国道を姶良市へ向かった。彼は今夜も鹿児島市内に宿泊し、明日熊本の自宅へ帰るそうだ。

翌日は数名の人から電話やメールを貰い、或いはジムの仲間から祝意を頂いたが、幸い風邪もぶり返さず、足の痛みも殆ど取れて通常の生活が出来るようになった。昨日は走りながら「もうこれで最後にしよう、こんなに苦しみながらもう走るものか」と思ったが、本年末に元気であれば「又、やってみるか」と考え直すかもしれない。

動画をご覧下さい。

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コメント

今年もやりましたね.
ブログアップがなかったので,どうされたのかな?と思っていました.
順位はどうあれ,完走することは大したものです.42.195Kmですよ.
熊本から八代までの距離ですよ,それはそれは苦しく,辛いと思います.
それに比べると,我々の山登りは大したことはありません.
毎年,挑戦するという気概にただただ恐れ入るばかりです.

投稿: Mountain Boy | 2012年1月10日 (火) 20時43分

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