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2012年2月

2012年2月29日 (水)

4ヶ月ぶりのゴルフは・・・・。

昨年の11月が最後のゴルフプレーだと思っていたが、確認のため日誌を見たところ、記憶違いで昨年10月19日に11回目のプレーを、阿蘇ハイランドゴルフコースで行っていた。すなわち4ヶ月もクラブを握っていなかったのである。年々回数が減っていくのは周りにプレーする人が少ないのと、「それならば」と、僕が仲間を探すほどの熱心さがないためである。

それまでは少なくとも月に1回以上はプレーしていたのに、これだけ間隔が開いてしまったのは初めてのことで、理由は前述のとおりメンバーが揃わないことである。良くぞこれまで我慢したものであるが、もう限界であった。熊本に行く以外プレー出来ないと思い、何時ものメンバーに声を掛けた。

鹿児島のゴルフ場からもダイレクトメールが来るが、むしろ熊本のゴルフ場からのそれが多い。当地へ引っ越してきた頃は、殆ど毎月熊本へ出掛けてプレーしていた。だが、高速料金など交通費がバカにならないし、第一、年金生活者の身分でそんな余裕があるはない。それゆえ回数も減っていったのである。

僕はゴルフは好きであるが、上手くない。生来器用で無いのに、そのうえ練習してまで上手くなりたいと思わないから、先ず練習場には行かない。ただプレー出来ればそれで満足なのだ。

友人Mさんがメンバーである熊本南カントリークラブ(パー72の、2グリーン山岳コース)からのダイレクトメールに、セルフプレー日の一覧が目に付いた。月曜は全てセルフ日である。昼食付きでビジターは5、500円とある。(高齢者割引で5,000円になった)風呂もあるので、僕が何時もプレーする様態のゴルフと何等変わり無い。退職以来キャディーつきのゴルフなど、全くと言っていいほどやった事がないから、これで十分すぎる。

ここはユニークな催しで人気を博しているゴルフ場で、「ここまでやるか」とビックリするほど思い切ったサービスを行っているので、客は何時も多いそうである。これだけの差別化を計らないと、この業界においては低迷する経済状況下の現在、生き残って行けないのであろう。経営者の頭の良さと度胸がもたらした勝利であろうか。コースの大幅な改善も行われていて、ユンボが忙しく動いていた。

「Mさん、TさんとAさんと4人でやりませんか?」。遊びの誘いはまず100%断らないMさんは、何時もの通り快諾であった。Tさん、Aさんも待ってましたと、気持ちよい返事が返ってきた。仲間のO君には夫人の突然の入院で、声を掛けることが憚られ、連絡しなかった。彼らと僕は”南国暮らしの会”の会員で、今回はゴルフ以外に彼らとの打ち合わせもあったし、墓参も兼ねて早朝7時、家人と共に熊本へ向かった。

予報を信じない僕も、この日の予報だけは信じたいと思った。この日以降は雨マークが付いていて、プレー出来るか怪しかったから、この日を逃すとまた暫くはチャンスがない。晴れた高速道は気持ちよかったが、深い霧で有名な人吉盆地は、この日は霧がかなり深くライトを点けての運転になった。

霧が深い高速道路

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9時半過ぎにMさん宅で美味しい朝食を頂いたあと、彼の家から車で5~6分にあるゴルフ場に着いた。セルフデーなのに駐車場には多くの車が並んでいた。既にTさん、Aさんとも到着していて、2ヶ月ぶりの再会を喜びあった。

予約どおり10時30分アウトスタートで、全員レギュラーティーから打ち出した。4ヶ月ぶりだから不安を通り越して、「どうにでもなれと」の開き直りが良かったのか、ティーショットは距離はそこそこ、先ず真っ直ぐ飛んだ。

スコアなんてどうでも良かった。好天のもと、芝は緑でなくても(芝の保護が目的なのか、数ヶ所のフェアウェイは茶色に着色してあった)、十分美味い空気を吸ってゴルフが出来ることを嬉しく感じた。

全員高齢者であるから、、若者と違い体力的に疲れは出てくる。しかし、気心知れた仲間だから軽口もポンポン出てくるが、その会話が疲れを癒やして呉れるし、天性の明るさを持つAさんの、純粋な熊本弁が周囲を和やかにする。ゴルフの内容は、埋め込んだ動画を見て察して貰いたいが、オフィシャルハンディー12のMさんがスタートからチョロを連続して2発打ったときは、全員驚きの声を発した。

僕はパー5のスタートからダボであったが、以後もダボが続き、ショットではOB3発、ロストボール2個、パットでは3パット4回、4パット1回の惨憺たる結果で、トータル113、まさに初心者と変わらぬスコアであった。言い訳になるが、クラブを長期間握っていない不安が心理的に作用し、もろにスコアに出たと思うし、特に寄せやパットで如実に顕れた。さすがMさんは2ホール目から持ち直し、好スコアで上がったが、あとの二人は僕と似たようなスコアに終わり、彼らには悪いが、正直のところ僕の心は安堵感で穏やかであった。

昼食時はゴルフの話題よりタイ国でのショートステイが中心になったが、時間が足りず、続きはMさん宅ですることにした。Aさんは業務都合で寄れなかったが、会の支部長であるTさんは夫人を連れて来て、いまや会のサロン会場になった感のあるMさん宅で、夫人手作りの美味しい”おでん”を囲み、南国暮らしの話題で賑わったのである。もう暫くはゴルフが出来ないかも知れないが、ストレス発散になった2日間であった。

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2012年2月26日 (日)

かごしま県民大学連携講座を受講して知ったこと

昨年受講してから丁度1年、今年も”かごしま県民大学連携講座”を受講した。1年に5回受講した考古学講座の締めくくりの感じで受講した。講師は昨年と同じ、考古学研究者で南九州縄文研究会代表の新東 晃一先生。南日本新聞のコラム欄の執筆者として活躍され著書もある、県考古学の第一人者である。

個人的な幾つかのご縁で、昨年から多くの資料をメールで頂いたりしたが、直接お話しするのは今回が初めてである。講義に先立ち挨拶をして、私的な話を5~6分交わした。

会場に着きエレベーターの乗ろうとして、後ろから声を掛けられた。振り向くとスポーツジムで親しくなったTさんである。夫人と一緒に同じ講座を受けると言う。この方は好奇心一杯の勉強家で、色々なジャンルにおいて博識である。

受講者は25名程度で、昨年に比べ少なく感じたが、定刻に始まった。数多くの会場で講演されているので、さすがに話し方も堂に入っていて受講者を飽かせない。1時間半の講義であったが、全く眠気を感じなかった。学会で解明されていない部分について、ご自分で調査研究された説を裏付けるため、現在でもたゆまぬ努力をされているという。

加え退職後の現在は、20万人を率いた豊臣 秀吉の薩摩侵攻の際の進路を研究されていて、郷土史などの文献資料と対比しながら、秀吉の足跡の探索をされているそうである。

講座名は「鹿児島の遺跡に学ぶ」で、副題「縄文はおもしろい」と題して始まった。強く興味を持ったところは、南九州の縄文文化が、日本列島の縄文文化と比較して特異な文化とされてきたこと。理由はこの時期、日本の多くで尖底(底の部分が尖っている)土器が使用されているのに、南九州では円筒形平底(底が平たくなっている)土器が使用されていることである。その理由を調べるのに、それら二つの土器の煮沸実験などを行い、円筒形平底土器は尖底土器に対し何等遜色なく、むしろ煮沸効果や保温効果は円筒形平底土器が優れていることを確認したそうである。

僕は今まで何の疑問も持たず、あちこちの資料館にある土器を眺めてきたが、縄文人がどのようにしてそれらを作ったのか、深く考えたこともなかった。現在は陶芸家の多くが”ろくろ”を使うが、当然当時は手作りである。縄文人は粘土を長く伸ばし、ぐるぐる巻きにして作っていたものだと思っていた。だから、”地面を壷状や甕状に穴を堀り(穴型)、その上に粘土を被せながら押さえ、乾いてから取り出して完成させる”方法も採っていたなど、まさに目からうろこの講義であった。

まだまだ書きたい講義内容もあるが、僕一人が悦に入っても興味の無い人には退屈至極だと思うので、この程度でやめることにする。ますます考古学に興味が湧いてきたので、何とか基礎から勉強したいが、年5回程度の講座では深く学べない。参考書を読む以外、なさそうである。

最後に先生から「どんな基礎的なことでも結構ですから、質問を受けます」との言葉に救われ、一つ質問した。要約すると「多くの土器、石器で用途が判らないものが多くあると聞いているが、推測さえされていないのであろうか。多くの学者が居られるのに結論が出ていないのか」という疑問であった。

「推測や仮説では駄目で、証明しなければならない」という学会の常識と言うか、決まりがあるのであろうか、そのような答えが返ってきた。時代が進めば、ますます当時から遠ざかる訳だから、解明はますます難しくなるであろうと思った。

聞きたいことは沢山あっても、知識が無いので気後れしてしまうが、先生のように「どんな基礎的な質問でも良いから」と前置きしてもらえば、質問し易くなるので質問者としては救われた気持ちになる。その気遣いが有り難かった。

何時も使うフレーズであるが、鈴木元アナウンサーが言った「知るは楽しみなり」を実感して、満足な気持ちで帰途についた。

ひょっとして、文中に学問的に間違った記述をした場所があるかもしれないが、考古学の素人が聞き間違えた所もあるかも知れないとして、何卒ご容赦頂きたい。

講義中の先生

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2012年2月22日 (水)

世の中、こんなにも変わるのだ。我が家のケータイ事情から知った事実。

PHSから始めて長年携帯電話を使ってきた。電子機器には特別興味を持っているので、ケータイ以外でも新しく開発された機器類は、事情の許す限り購入し使ってきた。ただケイタイ市場を席捲しつつある感の、スマートフォンにはあまり興味が湧かない。正直に言うならば、欲しいのであるが、高価であることに加え使用料金が高く、機能が多く内蔵されていても、電話とメールが使えればそれ以上の機能が必要でないのだ。

インターネットは家にパソコンがあるので、わざわざケータイを使う必要が無いし、外出先で使わなければならない必然性も全く無い。便利だと思っていたアプリの一つであるナビゲーションも、考えてみればさほど使用頻度は多くないし、車についているナビで十分である。心動かされ一時購入を考えていたが、「高齢の年金生活者に本当に必要なのか」と再考し、断念した。物欲の強い僕も、無い袖は振れぬし、大袈裟に言うと、背に腹はかえられないのだ。

ケータイは長年auを使ってきたが、料金が最も安くなりそうだとの勧めもあり、ソフトバンクに昨年3月に変更した。日中は同じソフトバンク同士だと、通話無料だという宣伝に踊らされ変えたのである。家人は長年持っていなかったが、神戸に住む娘が自分の名義で家人に買い与え、通話料も娘が払っている。娘に迷惑をかけないように、もっぱらメールを多用していた。娘と小2の孫は同じドコモであったが、ソフトバンクへ換えると言う。

娘から「お母さんのもソフトバンクに変えたいから、ケータイは2~3日使えないよ。そのうち新しいケータイが送られてくるから」と電話があった。これで娘一家と僕らは、決められた時間内は無料通話が可能になる。機械音痴の家人は、ようやくドコモケータイの操作に慣れていたのに、少々ガッカリしていたが仕方ない。操作に慣れるまでは、大変な苦労だったのだ。「俺が解らないところは教えてやるし、たまには取扱説明書を読んで、自分で勉強しろよ」と彼女に伝えたが、多分僕が教えることになるだろうと覚悟していた。

3日後に娘から電話機(ケータイ)が送られてきた。いやに小さい包みだなと思って開けたら、長方形の箱からプラケースに入ったケータイが出てきた。「え!書類が入ってない」。プラスチックケースのなかの電話機の下に折りたたんだ二冊の小冊子が出てきただけで、取扱説明書が無い。「何故?」。それがないと初めて使う人には、全く使い方が解からない。

3年位前auケータイの機種変更した際、これもどうかと思うが、かなり分厚い取扱説明書に加え、もう一冊、それの半分くらいの厚さの冊子が添付されてきた。見ただけでいささかうんざりしたが、この程度の説明書がないと解からない人もいるのだろうと、まあ納得したことを思い出した。

娘に電話を入れた。「このほかに何か貰わなかったか?」。「いや、送った分が全てだよ」と娘。「だって取説がないと始めての人は使い方が解からないだろう」。「でもこれだけしか呉れなかったから、解からなければそちらのソフトバンクの店で聞いて」と娘が答え、翌日家人と一緒に販売店を訪ねたのである。

実を言うと、僕のケータイも同じソフトバンクだから、機種が違っても使い方には大きな違いは無いはずで、取説がなければそれでも構わない思っていたが、充電する際に使うホルダーと呼ぶのだろうか、電話機を載せる台も併せ買おうと販売店に行ったのである。

「これには取説がついていないが、ここにありますか?」。ところが帰ってきた返事にビックリ。「いや、これには取説はついておりません」。「何故?始めて使う人はどうするの?」「有料でお売りしています。1,050円です」。冗談だろうと疑ったくらい驚いた。「ソフトバンクのホームページから、無料でダウンロードできますからそれをご利用下さい」と澄ました顔で言ったのである。パソコンを持ってなかったり、詳しく無い人はどうするのだろう。この業界では、取扱説明書は買わねばなら無い世になったのである。

取説の無い物品など初めての経験である。従来どんな製品でも取り扱いに関する説明書が付いているのが普通である。ケータイ市場ではスマートフォンの占める割合が急上昇し、従来のケータイは急激に減少しているらしい。それであれば無駄を省く意味で、減少するそれの取説を廃止する意味も幾らか理解できる。

ケータイの所有率は96%で、スマートフォンの所有率は42%に達したとするデータもある。が、いくら所有率が高くとも、”この時代、ケータイの取り扱いくらい出来るのが当然である”と言うような、思い上がりが見え隠れするではないか。確認したわけではないが、多分スマートフォンの取説は全機種付いているのだろう。なんとなくケータイは時代遅れになったと感じたのは、持たざる者の僻みだろうか?

加え、ホルダーもその機種には付いていなかった。というより、もともとその機種用のホルダーは製造しなかったとの事である。売れる機種と売れない機種との差別化を計るのは仕方ないことだろうが、携帯電話市場はこんな所まで効率を求め、無駄を省く時代になったのである。

”無駄”でもう一つ経験した。「こんなの当たり前よ」と女性から言われそうだが、家人とショッピングモールで買い物をした時の事である。バッグに入るくらいの小物だったので、「包装紙は要りません、テープで印をして下さい」と言ったら、420円の定価から2円引いてくれたのである。家人が「2円バックしてくれたよ」と言う。僕は多分包装紙を不要と言ったので、その分負けてくれたのだろうと思ったが、後学の為と思い、わざわざ聞きに行かせた。その通りであった。

良い試みである。氾濫するビニールの袋類。娘が住む神戸では、生協のスーパーがビニール袋1枚に5円を客から貰っていた。客は殆どの人がマイバッグを持参して、籠からそれに移して自分で詰めていた。ようやく一部ではあろうが、鹿児島の地でもその試みが始まりつつある。マイ箸とかマイバッグとかペットボトルに替わる水筒など、一時のブームに終わらなければ良いが。

追伸

この文章は昨日書き終わっていた。ところが偶然にも本日の朝刊に次の記事が載っていたので、付記する。

携帯・PHS普及率、1人1台

携帯電話・PHSの普及率が1人1台を超えた。昨年末の契約台数は1億2986万台で、人口普及率は101.4%となった。スマートフォンの普及で1人で複数台持つ人が増えているようだ。内訳は携帯電話が1億2555万台、PHSが431万台で、携帯電話だけの人口普及率は98%だった。1988年度末には僅か0.2%だったのが、2000年には加入電話の契約者数を逆転し、52.6%まで伸びた。

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2012年2月20日 (月)

僕の本の読み方と映像の見方

最近の天候不順で外に出るのが億劫になって、映像の埋め込みが無い文章だけのブログになり、読んで頂く方に面白くない目にあわせている。今週も外に出ていないので文章だけになった。

前回少し触れたが、僕はいま五木 寛之著「下山の思想」を読んでいる。先ほどようやく読んでしまったので読後感は後に述べるが、本日の本題はタイトルにある僕の本の読み方とDVDやビデオの観方である。

僕は普通、一度に2~3冊程度を同時に読み始める。購入したり、ダビングしたDVD映画やビデオなども、二本か三本を二つの受像機と二つのプレーヤーを使って観る。(一セットは寝室に置いていて、床に入って観る)こんな変形と言うか、普通でない読み方・観かたを始めてかなりの年月が経つ。

根底には、散漫で飽きっぽく、何事にも中途半端で集中できない僕の性格がなせる業だと、自分では分析している。読みたい本や観たいDVDが複数あれば、それを同時に借りたり買ったりするのは何も可笑しくないが、普通の人は多分1冊あるいは1本を読み終えたり、見終わったりした後、次の本やDVDに掛かるであろう。何事にも一途な性格のHさんなど、絶対僕の真似などしないであろう。

僕は興味あるものは直ぐ読みたいし観たいので、待てずに両方を開き、数十ページを読んだら次の本を開き、数十ページを読むのである。前の本と次の本が入り混じり、内容を覚えていないだろうとの疑問があるかもしれないが、意外と覚えているから不思議である。DVDも同じように2作を別々のプレーヤーで観るのは、僕にとって普通のことであり、ストーリーは確実に覚えているから特段苦労ではない。ビデオとDVDがセットで付いているプレーヤーでは同日に3作品を小刻みに観る事もある。

「面白いので一気に読んでしまった」等と聞くことがあるが、僕は持続力がなく飽きっぽい性格そのまま、同じ行為を長く続けられない。一つの病気なのかもしれない。当日も昼過ぎまで前述した「下山の思想」と、電子書籍で井沢 元彦著「英傑の日本史」の二冊を読んでいた。何時もの如く各々1時間程度である。

五木 寛之さんは昔から尊敬する作家である。作家と言うより僕にとっては私淑していると言ったほうが適切な、神様にも匹敵するお方なのだ。全てではないが性格の一端が彼に似ている部分があると思っているので、彼の本を読んだり講演を聞いたりした後、その内容に共感を覚える部分があった時は、彼には迷惑であろうが、飛んで行って手を握りたい衝動に駆られることがある。

「下山の思想」(幻冬舎新書 740円)は今月のベストセラーだと思う。要約すると、「日本も世界も既に成長し終わり、下降にかかっている。そのことをマイナスと受け取る必要は全く無い。そしてその過程は人間の一生に似ているのではなかろうか。我々は実り多い、豊かな下山を続ける必要がある。途中で大震災と言う大惨事に襲われたが、起き上がって歩き続けなければならない。そして新しい社会を目指差なければならい。それには経済指数とは別のものさしを探す必要がある」と述べている。

口はばったい物言いであるが、特に高齢者には読んでいただきたいと僕は思っている。「なるほどそうだ」と共感することが多く述べられているからだ。

この本には一箇所だけ、五木先生より僕が先に口に出したと思う言葉がある。それは「努力というのは、一つのもって生まれた個性かもしれない。個性でぴったりこなければ才能と言い換えても良い」という下りである。僕の友人の中にも、僕が以前から「努力することは一つの才能だ」と良く言うことを知っているだろう。努力が苦手の僕が、現実から逃避する為に昔から言っていたことである。

この本の最終章は「ノスタルジーのすすめ」である。「高齢者に読んで欲しい」と述べたのは、この章の最後の数ページを特に読んで欲しいからである。僕が勤めた会社でも、右肩上がりに売り上げが上昇し、一時期「行け行けドンドン」の時代があった。この時期に、「たまには過去を振り返り懐かしむ云々」など、個人的な感情を述べてさえ、「ネガティブな発言をするんだな」と、過去を追想することすら蔑視された時期があった。僕は「過去を振り返り懐かしむことと、過去に拘泥することは別次元だ」と抵抗したが、「考え方が後ろ向きである」と言われたことにショックを受けたことがある。

この章の「郷愁世界に遊ぶ楽しみ」の項、まさに同感・同感。随分前から感じていたことを書いていただき、わが意を得たりであった。この年齢になったから強く感じているのかもしれない。

最後の最後を引用する。「人は現実生活のなかで傷つく。心が乾き、荒涼たる気分を覚える。そのガサガサした乾いた心を潤してくれるのが郷愁だ。砂に水がしみこむように、歳月が心にしみこんでくる。今は還らぬ季節。それは還らざる昨日であるからこそ、貴重なのである」

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2012年2月16日 (木)

コンピューター内臓機器の弱点

ここ三日くらい雨が続き、外へ出ることが出来なかった。雨のため幾らか寒さも和らいだが、それでも暖房無しでは過ごせない。

家人から「ファンヒーターが点かないから見てね」と言われ、「機械音痴が、点け方も解からんのか」と言いながら、何時ものとおりスウィッチボタンを押した。音は確かにするが、直ぐぷつんと切れて仕舞うのである。買ったのはかなり昔であるが、使った回数は多くない。本格的に使い始めたのは、鹿児島に転居してからだから、4年とチョッとしか経っていない。それまでは父が使っていた別のファンヒーターを使っていたのだから、月数で数えれば多くて18~20ヶ月だろう。

「うーんおかしい」と言いながら、取扱説明書を取り出した。デジタル表示部にはE-3なる文字が点灯していた。多分EというのはエラーのEだろうと思ったので、「異常のお知らせと処置の仕方」を読み始めた。

ところが文面にデジタル表示”3”という数字が載ってない。何度読み直しても無い。「こりゃー大きなトラブルになるな」と嫌な予感がした。最近は大抵の企業が設けている「お客様相談センター」に電話してみた。「お調べしますので暫くお待ち下さい」の後に帰ってきた返事は、「多分部品の交換が必要と思います。窓口までお持ちにならなければご自宅に伺いますが、その場合は出張になりますので、出張旅費を頂きます」と、非常に割り切った口調であった。

鹿児島地区サービスセンターの電話と住所を聞いたので、直ちに電話を入れた。映画を観るため鹿児島市へ出かけるので、そのついでにファンヒーターを持参する旨を伝えた。

「部品そのものは7~8,000円ですが、コンピューター基盤がやられていれば、それ以上掛かります。ただ、点検した結果、費用が高くつくからと修理しなければ、点検費用として1,500円頂きます」と言う。

まあ、掛かっても8,000円程度ならと思ったので、「うん、とにかく点検してよ」と頼むと、「最近寒さが続いているので、修理依頼が多く暫く時間が掛かります」という。幸い別に二つの中古ファンヒーターを持っているので困ることは無い。

故障したファンヒーターは三菱電機製で、拘ったのは給油タンクの容量である。9リッターも入るのだから、頻繁に給油の必要が無いところが気に入って、有名量販店で買ったのだ。

3日後に返事があった。「お客様、まことに申し訳ありません。コンピューターの基盤もやられているので、合計14,500円掛かります」。まさかそれほどの高額と思っていないので、絶句した。取説に5年間の保証書と、領収書を挟んでいたので、それを取り出した。平成14年2月に買っているので丁度10年使った計算であるが、前述したように実際に使用したのは多くて20ヶ月程度だ。購入金額を見て驚いた。16,590円である。

誰が考えても修理するはずが無い。普通の常識があれば新品を買うはずだ。怒りがこみ上げてきた。「何と言う見積もりだ、これで良く商売が出来るものだ」。「この程度の耐用年数しかない製品を、有名メーカーである三菱が作るのか?」と矢継ぎ早に悪態が口をついて出た。素直な「申し訳ありません」の返事に加え、「量販店以外ではもう少し高く売っていると思います、正規価格はもう少し高い筈です」と、またぞろ神経を逆撫でするような返事である。「俺が幾らで買おうとあんたには関係ないだろう」と、売り言葉に買い言葉。

ところが次に聞いた言葉に唖然とした。「三菱電機はファンヒーターから撤退しました」という。怒りと共に、妙に納得した気持ちになったのである。「だろう、この程度の製品しか作れなければ、撤退も当たり前だ」自然に口をついて出た。

なんとなく割り切れないが1,500円払うことになる。外観は実に綺麗で勿体無いが、使えないものを持ってきても仕方ないし、捨てる手間も省けるので先方に置いてくるつもりだ。最近の殆どの電気製品にはマイコンが使われている。表示もデジタルであり、いろいろな面で便利機能が使えるが、一旦トラブったら修理費用が高額になる。今年は昔流行ったストーブ形式のヒーターが多く売れたと聞いた。なるほど故障しても素人でも修理が出来る、アナログ式の製品が懐かしくもあり、便利な面もある。

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2012年2月13日 (月)

映画「ALWAYS 三丁目の夕日 ’64」 お薦め 

待ってた映画「ALWAYS 三丁目の夕日 ’64」を観に行った。シリーズ第三弾目だと思う。一作目は「ALWAYS 三丁目の夕日」、二作目は「ALWAYS 続 三丁目の夕日」で、両方観たがその年度ははっきり覚えていない。

映画を観た後、何としてでも保存版が欲しいと思い、一作目は僕にしては高い買い物であったが、数千円を投じて豪華版DVDを買った。二作目も買おうと思ったが、都合よくテレビで放映されたので、DVDに保存した。三作目は来年の今頃、テレビで放映されるだろうからダビングしたいと思っているが、出来なかった場合は、正規品DVDを買おうと思っている。

今回上映中の三作目は、「ALWAYS 三丁目の夕日 ’64」である。見逃せば悔いを残すので、忘れないように食卓の上にはその映画のリーフレットを置いていた。

今回の映画は従来の2Dに加え、3D版も選択できた。折角だからと300円を余分に払い3Dを観る事にした。(3Dは過去に数回観見ているが、前回観た時めがねは100円で持ち帰りが出来た)

’64は昭和39年であり、僕が社会人になった年である。日本悲願の東京オリンピックが開かれ新幹線が開通し、多くの日本人が将来の日本に夢を抱き、経済大国へと突っ走って行く時代にあった。前に向かって走り、上を目指すことが求められ、多くの日本人がそれを素直に受け入れ、時間を惜しんで働いていた時代なのだ。

一作目も二作目も泣いた。涙をボロボロこぼし、頬を落ちた涙が口にも入った。決して悲しくて泣いた涙ではない。所謂、ぎすぎすした現在の日本人に欠落していると思われる、人間同士の暖かい思いやりや触れ合いに泣いたのである。

一作目のDVD収納函の帯には「270万人が泣いた感動の大ヒット作」とある。多分今回の作品はもっと多くの人が涙を流すであろう。道路も舗装されていない路地裏の駄菓子屋、木材で作った塀、懐かしい商品の看板等々、よくぞここまで完全に近い時代考証が出来たものだと驚いた。当然、今流行のコンピューターグラフィックやミニチュアも使って完成させているが、当時の風景を懐かしく思い出させるには十分すぎる技法である。

第一作目のDVDに付属された冊子には、監督から原作者へ宛てた文書が書かれている。それには「戦後日本はひたすら前に向かって走ってきたが、その中で何か大事なものを失ったり、忘れ去ったのではないか。今の若者は夢を語ろうとせず、希望もなくしている。自分達は”未来”や”将来”といった言葉が確かな力を持っていた時代、すなわち昭和30年代を舞台とした映画を作ることによって、もう一度日本人に元気を取り戻してもらいたいと思いこの映画を作った」と述べている。

折りも折り、敬愛する五木 寛之さんが「下山の思想」と言う本を出された。3日前に買ったので未だ殆ど読んでいないが、まさに訴えられているところは、この映画と同じではないかと思っている。

物語の終わりごろ、三浦 友和扮する町医者が「幸せって何だろうなー」と独り言を言う場面がある。僕には印象に残った場面であり、各人で考えて見る必要がありそうだ。

あの時代にタイムトラベルしたい人は是非この映画を観られる様にお薦めするものである。そして多くの涙を流して欲しい。

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2012年2月10日 (金)

くどいようだが、”歴史資料館始末”最終編を書かせて!

既に3回に亘って”歴史資料館”の始末について述べたが、くどいようだが最終編を書きたい。

「今後絶対電話はしないので、ペンディングとした項目については、結論が出たら文書で報告を戴きたい」と伝え、電話を切って暫く経つ。これについての回答書が3.4日前に届いた。決してしつこい性格だと自分では思っていないが、一旦口にした約束だけは、自分でも破らないが破られたくも無いと思っているので、この件については忘れてはいなかった。

正確には”鹿児島県歴史資料センター黎明館”から手紙が届いた。前文が無い、いかにも冷たい文書であった。先方の腹立ちが垣間見える文書で、僕の提案が相手にとって歓迎されていなかったことが見て取れた。

僕の提案は二つで、その一つは「休館日においては現在の無骨な男性ガードマンによる、休館である旨を伝える電話応対から、いわゆる留守番電話を使い、女性がその旨を伝え、なお且つ翌日からの来館をお待ちすると言うアナウンスを入れる事により、来館者を増やす努力とサービスが行政にとって必要なのでは?」と言うものであった。

これについては「休館日においては、留守番電話を設置する方向で進めている」ことが述べられ、複数回線を持っている当館では、一般家庭の留守電機能の付いた電話では対応できないので、新たな機材の設置が必要になり、現在見積もりを取っている段階である事が付け加えられていた。

もう一つの提案は「”撮影禁止”の理由についての表示が少ないので、必要な場所には取り付けた方が良いのでは」と言うもので、それについては「検討の結果、3階企画展前に加え、1階常設展示場入り口にも掲示することにし、現在その文案・意匠等を検討させていて、業者に発注して設置することにしている」との回答であった。

撮影禁止の理由が、フラッシュによる対象物への悪影響だけだと考えていた僕の知識不足が、結果的にこんな所へ飛び火したのである。結局これが訪れる人達にとって、幾らか役に立つと思われる改良に繋がったのは皮肉である。

このようにたった一人の見学者の提案で、改善すべきところは改善できるのである。多分、県を巻き込んでの検討が為されたと考えるのであるが、こんな常識的なことが今まで放って置かれたこと自体が、僕に言わせれば”官の論理”なのである。いかにして顧客を満足させ、売り上げや利益を生み出すか必死になっている民間企業との違いがこの辺にある。「モニターを使って現状の問題点を探る」試みを、電話では提案したのであるが、これは僕の押しも不足したのか結局取り上げられなかった。

以上を以って、今回のトラブルは全て終わった。顔までは覚えられていないと思うのだが、今しばらくは同館を訪れたいとの気持ちは起こらない。不毛の論争をした後のような、後悔と面映さを引きずっている現在である。

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2012年2月 7日 (火)

大賑わいだった、”川辺二日市”

県外の方は多分ご存じないと思うが、川辺の”二日市”は鹿児島県ではかなり有名で、南薩の風物詩にも例えられる”買い物市”である。今年は4日と5日の二日間行われた。

一昨年も行ったが、あの時の賑わう街のざわめきが忘れられず、今回も行くことに決めた。狙いの一つはバナナの叩き売りやチンドン行列である。前日(4日)は温暖で好天であったが、当日(5日)の予報は曇りのち午後から雨であった。グラウンドゴルフの例会を休んで、家人と二人8時前に家を出た。今にも泣き出しそうな空模様であったが、帰途に着く12時過ぎまで何とか降られずに済んだ。

帰る間際に商工会議所に立ち寄り、確かめたことを最初に書き付けておく。この市は1,780年代に始まり約230年続いているそうで、4日の立春の日は8・5万人の買い物客が繰り出し、5日と合わせると16万人を予想しているのだそうだ。

歩行者天国になった約1・3キロの通りには400軒もの露天が並び、南薩の農産物、日用品、食べ物などありとあらゆる品物が売られ、この田舎町に何処からこのような多くの人間が出掛けて来るのか、実に不思議であった。

従って駐車場の確保が難しいらしく、交通・イベント案内図によると、町の中の約20ケ所に駐車場が作られていた。9時半頃に着いた僕らは、小高い山の運動公園に駐車させられ、頻繁に往復しているシャトルバスに乗って、会場に行った。僕は情け無いほど、このような賑わいが好きで、あちこちのイベントに出掛けるのである。賑わいの中にいると、自然に気持ちが高揚するから困ったものである。タイ国のチェンマイでも、サタデーやサンデーマーケットに限らず、平日でもナイトバザールに出かけた。この年になっても、人の行き交うざわめきは異様に興奮する。

道の両側に並んだ露店の数と、行き来する買い物客は半端な人数ではない。僕が住んでいる姶良市でもこんな人出は見たことも無いし、あちこちの祭に顔を出した僕も、この賑わいには驚くばかりであった。やはり200年以上続く、伝統の強みというか重みが為せる業であろう。

一通り、露天通りを歩いてみようと歩き出した。写真でも判るとおりこの人出である。ぶつかるように歩かなければならない所もあり、呼び込みの声につい釣られて眺める店も数多くあった。「外出すれば、お金よねー」と言っていた家人も、この雰囲気に飲まれ、手に持ったビニールの買い物袋も増えていった。

賑わう露天街

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同上

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先に書いたように、今日のお目当ては第一に”バナナの叩き売り”で、前回来た時、その口上の面白さに、今回も是非その口上を聞きたく、それを動画に撮るつもりであった。この人のスカットした性格と顔つきが、同じような帽子を被った寅さんの姿にダブって印象的であった。

猿回し

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11時に始まるとのアナウンスで、急ぎ会場に向かった。やがて多くの人たちが集まってきた。不思議に僕は人の良さそうな、この人の顔を覚えていた。鹿児島弁と標準語を交えた口上は、聞く僕も拍子を取りたくなるほどリズミカルで、さすが年季の入った大道芸人だと感心しきりであった。童心に帰り、彼が投げるバナナを掴もうと、手を何度も揚げたがとうとう掴めなかった。このたたき売りの様子を文字で表すのは難しいので、動画を埋め込むことにする。

チンドン行列を見たり、猿回しに拍手を送ったりして十分楽しんだ。雨が降り出しそうな空模様に、本年10月に行われる”B-1グランプリ主催地である北九州から出張販売に来ていた、お勧めの”焼きうどん”で身体を暖めて帰途についたのである。

撮影した動画の一部を埋め込むことにする。音楽もキャプションも入れないので、バナナの叩き売り口上をじっくり聞いてもらいたい。撮影した半分の長さである。

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2012年2月 5日 (日)

考古学講座受講終了し、認定証を貰った。

何度かこのブログでいささか得意げに、また大仰に書いたこともあるが、ここ3年余り受け続けている”考古学講座”を、本年度は5回全ての講座を受講し、先日”南九州の縄文ナビゲーターの認定書”を頂いた。

毎回60~70名が受講するが、5回全ての講座を受講した人は12名であった。講義中に何度か睡魔に襲われたこともあったが、何とか終了することが出来てホッとしている。

かといって、予習も復習もしていないので、その場限りの勉強で全くと言っていいほど身に付いていない事を白状する。非常に興味のある学問であるが、いわゆる”付け焼刃”の域を逃れない。やはり本当に勉強するのなら、基礎から学び直し、系統だった授業を受けたい。

何度かその希望をアンケートで訴えたのであるが、予算不足と講義者を確保できないと言う理由で、前向きの答えを引出せなかった。この年になって初めて学びたい分野(学問)を発見したのは皮肉なことでもあるが、今後は参考書を頼りに勉強したいと考えている。やがて24年度の受講者募集が始まるが、来年度も全ての講座を受講する意気込みで頑張りたいと思っている。

最後に自慢たらしくなるが、貰った認定書を貼り付ける。なんの公的資格にもゼニにもならないのであるが、賞など終生縁が無いと思っていた僕にとって、小学校の皆勤賞(優良賞を貰ったことが無いので、これが僕にとっては名誉の賞なのだ・・・優秀賞なんてのもあったかいな?)に匹敵するくらい、ありがたい賞なのである。(おっと、会社の勤続30年の表彰も受けたゾ)

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2012年2月 3日 (金)

高校新年会で感じたこと

毎年1月に行う恒例の高校の新年会を、今年は2月1日に行うとの連絡を受け、墓参や友人の妻の病気見舞いを兼ねて、出席すべく熊本市に向かった。2年振りの出席である。数年前迄は、ほぼ毎年80名余が出席していたが、最近徐々に減っていることを友人から聞かされていたので、今年の出席数がどの程度なのか関心があった。

僕等9名の県外からの出席者を含め、総数68名が参加した。やはり徐々に減少しているようである。多くの高校では卒業年次で**会と呼んでいるが、僕らの会も”34会”と呼んでいる。

物故者を追悼する黙祷に先立ち、会長から昨年と卒業以来の物故者数が発表された。昨年が8名、累計67名が亡くなっているそうだ。卒業者数は506名だから、何と13%に当たる人が53年間で亡くなった計算になる。想像もしていなかった多くの物故者数に、出席者から驚きの声が上がった。「こんな年齢に達したんだなー」というのが、改めて感じた偽らざる心境であった。まだまだ若いと自分では思っていても、”何時どんな事が起きてもおかしくない”年齢になったのだ。

現役時代は、久しぶりに会う人たちとの名刺交換や活躍状況を聞くため、暫く飲み食いした後、あちこちのテーブルへ出掛け、殆ど自席に座ることなく校歌斉唱し、いつの間にかお開きになることが多かった。酒は飲んでも、満足に食べたような記憶が無い。

既に現役を退いた現在、会場内は昔みたいなざわついた席の移動が起きないのは不思議な現象だ。年を喰って、落ち着いてきたということであろうか、移動のテンポもゆっくりになったのか、或いは移動そのものが面倒になったのであろうか、同じテーブルで歓談しながら、自席で飲食する姿が多く見かけられた。何時もならあちこち顔を出しまくる僕も、例に漏れず殆ど移動せず飲食に精を出したのである。多くが現役引退をしていて、日常がほぼ似たような生活であると判っているので、近況を含めた情報入手に興味を持っていないのかも知れない。

開式に先立ち、同期生による祝い歌と舞の披露

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テーブルに来た公務員経験者3人、現役医者3人と暫く談笑する時間を持てた。なんと公務員経験者は3人とも、今でも働いているという。全員白状したわけではないが、いわば天下り的な職場であろう事は話しぶりから判った。本音を言うと、僕は何処かに”羨ましさ”を感じた。「この年齢になっても健康で稼いでいる」その幸運にである。

「おい、何時までも働いとると、遊ぶ暇が無いぞ」と僕。彼らは黙って笑みを・・・。医者達もいまだに現役で診察に当たっているらしい。彼らが大きく見えた。

大志を抱いて入学した者も多かったが、僕など義務感から入学したようなもので、何の目的も夢も持たず、ただ受験勉強に苦しんだ高校時代であった。でも劣等生であったが故に、相手が気軽に声を掛けやすい存在であったようで、今でもそれが幸いしている面もある。”努力する才能”が欠如したこのような僕にも、親しく付き合ってくれる高校時代の友人がいることは有り難い。

熊本高校校歌斉唱

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僅かな時間ではあったがこの夜は、二次会において親しい友2人と共に、名前も知らなかった4人を含め、声を枯らして歌い飲み、あの時代に戻ったのである。

だが正直にものを言うと、特定の友人を除いて、高校時代の同級生に会いたいという気持ちは余り起こらない。大学卒業後29年目の、最初に行った同期会の前夜、幹事としての立場は抜きにしても、再会する興奮に眠れなかったことと比べれば雲泥の差である。「高校3年生」の歌の様に、懐かしく思い出されないのだ。僕にとってはむしろ、長年の友人関係にある人たちや、現在住んでいる地区の人たちとの交流が大事である。熊本の土地に住み、今後交流が増えれば気持ちも変わるだろうが、僕はそれが出来る環境に無いし、第一友人関係は”歴史”である。一朝一夕に友情を育むことなど出来るはずは無いから、高校の同級生との会合は何年に一度のペースで良いと思っている。

翌日は阿蘇でゴルフの予定であったが、友人の妻の突然の手術入院で、取りやめ見舞いに行くことにした。この日は熊本市内にも雪が降り、阿蘇でのゴルフは勿論出来なかった。日本列島が寒波に見舞われ、Mさん宅を辞し自宅へ帰る頃、八代近辺はかなりの雪が降り出した。高速道が通行止めになったので3号線を南下した。不思議に日奈久の峠を一つ越したら日が差し始め、鹿児島県側は良い天気であった。

八代市内では前が見えないほど降った時間も

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今年は4月に大学の、5月に中学の同期会がある。どちらも2年ごとに行なう約束で、共に回数を重ねている。大学のそれは僕が万年幹事であるが、その煩わしさなど全く重荷に感じない程、心待ちしている会である。引き換え中学のそれがさほど待ち遠しく感じないのは、過ごした年数や時代背景の違いや、親の監督下にあったかどうか等の違いによるのであろうか。僕には、出来事をおぼろげにしか記憶していない、遠く過ぎ去った中学の仲間より、出来事を比較的思い出し易く、年齢的にも青春時代を送った大学同期の仲間達が、懐かしく感じるのではと思うが如何であろうか。今回の高校新年会は、残された人生の付き合い方を考え直す機会になった。

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