スポーツ

2009年11月 9日 (月)

半年振りのマラソンに疲れたが、松野 明美さんとツーショット写真を。

本年4月26日が、湧水町で行われた本年前期のマラソン最終出場日であった。それから半年が経ち、申し込みの締め切り間際に知った競技が、昨日8日(日曜日)に行われた「西郷どん御狩場マラソン」である。

場所は薩摩川内市高城(たき)温泉郷で、行った事はないが鄙びた温泉で、「全国名湯百選」に選ばれる程の泉質らしい。半年も走っていないし、昔痛めた左足半月板の痛みが、再発したかに思えた頃であったので、大事を取って5キロ部門にエントリーした。コースは3キロ、5キロ、10キロであったが、今回は10キロを走る自信が全く無かった。

当日は6時50分に家人と共に家を出た。1時間半程度で指定駐車場に到着出来ると思われたが、行った事がない場所であったので、余裕を見て2時間前に出発した。日曜日の早朝なので、1時間ちょっとで薩摩川内市へ着いた。ファミレスで朝食を採り、案内図を頼りに指定の第2駐車場に着いたのは、8時半過ぎであったが、既に駐車場はほぼ埋まっていた。

会場までシャトルバスが運行されていて、幹線の国道3号線から逸れて、田舎道を走ること15分程度で、会場の小学校の運動場に着いた。掲示板には、参加者は700人で締め切った旨の張り紙がしてあった。この狭い道ではそんなに多くが走れないのかも知れない。

何処の大会でも受付時に貰うのが、紙バッグに入った大会用冊子、バスタオルかフェースタオル(当然大会名などが印刷されている)、お土産(今回は紅白の餅)等で、冊子には食事、飲み物、温泉入浴券等が同封されている。

受付用のテント

Img_0005

何回か出場するうちに、大会の雰囲気には何とか慣れた。9時から開会式があるとのアナウンスがあり、体育館に入った。市長、商工会長、実行委員長など、お決まりの人達の挨拶に続き、今回が20回の記念大会であるからであろうか、ゲストランナーとして、同郷の松野 明美さんが紹介された。

彼女が未だ有名でなかった頃、熊本市のビッグウエーという会社で働く彼女と話したことがある。もう20数年も前の事であろうか。お客と店員という立場であったが、その頃少しずつ名前が売れ始めていたので、マラソンについても話したのだろうか、全く内容は覚えていない。

同郷の縁とは不思議なもので、これが熊本県内で会ったのであれば、彼女に声を掛ける事はまずないのであろうが、県外で会った事でなんとなく親しみが湧き、式終了後彼女に話しかけた。現在もTVに出ているらしいが、僕は観た事がない。

嘗てビッグウェーで話したこと、住居の事など話したあと、ツーショット写真を撮った。小柄で少々甲高い声であったが、同郷の誼なのか、ニコニコ顔で話して呉れた。一見華やかで、結構有名人であるらしいが、私生活では障害児を抱え、苦労をしている事を家人から聞いた。しかしそのような暗さは微塵も感じさせなかった。

松野 明美さんと暫し談笑

Img_0012

彼女とのツーショット

Img_0013

5キロコースは、スタートから一旦ゴールとは反対方向に走り、折り返したあとゴールに向かう変則的なコースで、スタート地点から折り返し地点までは下り坂、再度通るスタート地点からゴール迄の3キロは、延々緩やかな登りの連続であった。

131人がエントリーしている5キロコースは、10時20分にスタートした。後で判った事であるが、50歳以上の部では僕より年長者は6人であった。中間くらいに位置してスタートしたが、折り返しまでの下り坂でも、直ぐ疲れを感じ始めた。室内のランニングマシーンとはペース配分が違うからかもしれない。ついつい前の人を追い越そうと早足になるようだ。全身の疲れでは無く、息苦しいのである。多分大半の人も同じように感じているハズと言い聞かせ、ほぼ毎日マシーンで練習していることを拠り所に、マイペースを守る事で完走を目指した。

スタートする僕

Img_0023

折り返し地点で僕を撮影しようと待っていた家人に、笑顔で手を上げたが、実はそのポーズとは裏腹に、息が上がりかけていた。ずっと緩やかな上り坂が続く。遅い10人程度は抜いたが、僕も数名から追い越された。実に情けなくなった。日頃の練習(と言っても30分程度)は何だったんだと自分に言い聞かせるが、足は速くならない。

農村なので人家は疎らである。それでも家の前で、頑張れの声と共に拍手したり、中には鍋蓋を二つ合わせ、それを敲いて応援してくれるおばさんもいた。僕はにっこり会釈を返すが、心臓はパクパクだった。来年の「菜の花マラソン」は大丈夫だろうかと、不安がよぎる一瞬もあったが、何とか沿道の応援や、スタッフの声に励まされゴールした。全くと言ってよいほど平坦や、下り坂が無かったのが堪えた。

折り返し、スタート地点からゴールへ向かう

Photo

何故こんなに苦しい思いをして走るのだと思う道中であったが、心臓の鼓動が正常になり落ち着いてくると、その達成感、爽快感に「走ってよかった」と思うのである。何と落差のある思いであることか。

結果、タイムは29分13秒で30分を何とか切れた。順位は全体で62位で、50歳以上では男女合計52人中27位であった。アトラクションの太鼓演奏に続き、成績発表、表彰、万歳三唱が行われ、地元の有名焼酎「村尾」などが当たる抽選会が行われた。ひょっとすると僕にもと、期待をこめて待ったが残念ながら・・・・であった。

アトラクションほか抽選会などが行われた閉会式会場

Img_0041

ここでも、松野 明美さんは主役であった。3キロを走った後、10キロも走ったそうである。毎日15キロを走って維持しているそうだから、アマチュアの僕などが4キロ程度を走ることで満足するなど、努力不足としか言い様がないだろう。

山間には不似合いといえるような、大きなホテルの温泉はランナー達でいっぱいであった。ヌルヌルした温泉水で1時間余り身体をほぐし、明日から「菜の花マラソン」に向け練習しようと決意しながら、来た道を引き返した。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2009年10月31日 (土)

ロングで13打も・・・遊びとはいえ舞い上がって

Img_2750_4 年に2回春と秋、元職場の仲良し仲間が集まり、ゴルフと飲み会を楽しむ。今回は人吉市の球磨カントリークラブが、会場に指定された。嘗て、日本プロの会場になったこともあるチャンピオンコースであると聞いている、27ホールを持つ当地では名門クラブである。

僕は20年前くらいに2回プレーした経験がるが、昔の事とてコース内容も、地理さえも覚えていない。10名が熊本市から、僕とHさんと2人が鹿児島から同クラブへ集まった。霧の深さで有名な街であるが、当日も深い霧に包まれ、高速道路もライトを点灯して走った。

高齢者のコンペであるから、僕の提案でスタート前で記念写真を撮ったあと、準備体操を行った。過去の経験から、柔軟体操をする事は、足腰の突然のトラブルに効果的である。

コンペと言ってもプライベートであるから、オール6インチを適応、難しいルールは使わない。組み合わせについては、既に幹事長から通達されていた。既に霧は晴れていて、実に爽やかな快晴である。僕は第一組で、オナーを引き当てた。

僕は全員を呼び寄せ、「第一打目を打つから見ていてくれ」と頼んだ。場の雰囲気を盛り上げるためにでもあったが、意外に自分も落ち着くのである。

「ナイスショット」の声は発せられなかったが、それでも180ヤード前の左のラフに止まった。僕にとっては上出来である。2打目はラフに食われた上に、大ダフリで80ヤード。それでも慌てなかったのは、自分の実力がその程度であることを知っているからである。年に1回程度の練習に加え、月1回のプレーではそれが当たり前、すっかりグラウンドゴルフにシフトしてしまっている現状だから。

130ヤードが残った。「ダボでいいや」と言い聞かせて、朝一でもありラフなので7番アイアンを握った。朝日を受けて前が全く見えなかったが、突然「ナイスオン」の声。嬉しくないわけはない。「ひょっとするとボギーで上がれるかも!」

グリーンに行って驚いた。なんとピン手前40センチに、ついていたのである。こんな奇跡もあるのだ。当たり前にパーである。これは幸先良しと内心喜んだ。そして次の142ヤードのショートも1オンでパー。だがここまで来ると、完全に出来過ぎである。練習に裏打ちされていない僕のゴルフは「運」意外に頼れるものは無いのである。そんなに「運」が続くハズはないのだ。

やはりそうであった。次のパー4の初打はスライスで林の中。打てないので、フェアウェイへ出したが、3打目をあろう事か、空振り。左右をキョロキョロ。何年振りであろうか。初心者でさえ余りやらないプレーである。ディポットにあるボールを6インチ動かせば良かったものを。後悔したが時既に遅し。ダブルパーであった。

それでも何とか、そこそこプレーを続けていたが、たまには女神も微笑んでくれるもので、330ヤードのミドルで久しぶりのバーディーが来た。よし、これで何とかなると気持ちを持ち直した。

問題のロングがやってきた。ロングと言っても439ヤードの比較的短いロングである。ただ打ち下ろしていく80ヤード位前に、クリークがある。高いティーグランドからみれば、クリークの前にある幅5メートル位のラフは全く見えない。クリークを越す程度の距離なら、ドライバーを持つ必要もないのであるが、短いといってもロングであるから、皆ドライバーを持つ。僕も躊躇なくそれを選んだ。

頭を打ったときの予防にと、ティーペグの高さを少し高くしようと思ったが、何時もの高さに設定した。これがいけなかった。前にあるクリークに打ち込めばOBであるが、クリークを強く意識しなければ、全員軽々越せる距離である。

クリークの右側はクリークに続く小川になっているようで、こんもりとした森を作っていて、「そこに打ち込んでもOBである」と誰かが言った。打つ前から頭の中では、クリークを越さねばならぬ事、スライスを打ってはいけない事等を考えてはいたが、まさかクリークを越せないとは考えてもいないし、むしろ右のOBだけは避けたかった。

「あっ」と声を発したときは、ボールの頭を叩き、ボールはクリークに向かって転がって行く様に見えた。行方を気にする余り、ボールを見て打たなかったからであろう。前進4打を覚悟した。念のためとクリークへ向かって走った。

なんと、前述したように、ティーグラウンドから5メーター近く低い所にあるクリークの前には、幅5メーター程度のラフがあったのである。運の悪いことに、ボールはラフまで降りることなく、法面に引っかかっていたのだ。それも並みの傾斜ではない。

極端な左足下がりだから、まず打てないし、良く考えればそのまま打つことはしないであろう。1打損しても、打ちやすい平地に出して打つのが当たり前なのに、頭は悔しさでいっぱい。ただ、窮地を早く脱したいのみである。

何も考えず、幅3メーター位のクリークを越そうと、サンドウェッジで試みたのである。20ヤードも飛べば、次のショットが出来るのだが、クラブはVの字に振らないといけないような急勾配であった。身体を右側に向け、幾らか横振りできるようにスタンスを取って打った。が、残念ながらボールは少し上がったが、クリークへ。もうどうにでもなれという気持ちであった。

落ち着きと思考力をなくした僕は、又しても同じ愚をやったのだ。もう一度同じクラブで、同じ動作を繰り返した。又してもボールはクリークを超えずOB.。見かねたMさんが近寄ってきた。失礼と思ったのか、僕にアドバイスはせずに、「頭に血が上っているだろうから、打数を僕が数えてあげる」。親友であり、ユーモアのあるMさんの言ではあるが、親切と取るべきか?

落ち着いて考えれば、せめて最初の失敗のあとでも、法面から平地に出して打てば、OBは防げたのに。平常心を失わない人は、最初から平地に出して、OBを防いだであろう。ドライバーショットが傾斜ラフに残らず、直接クリークに入っておれば前進4打で済んだのであるが、今回は残ったのが災いしたのである。

結局8打目でクリークを超えたのであるが、恥かしさと悔しさで声も出せなかった。後のプレーは推して知るべしである。こんなときはパットも旨くい行かない。結局13打という、新記録を作ってしまった。過去にも10打を打った記憶はあるが、13打は初めての経験であった。如何に有利にコースを攻めるかを、考える事の重要さを思い知らされたホールであった。

僕は悔しくても、他の皆には格好の冷やかしと、飲み会の時の笑いのネタになる。憫笑や冷笑でなく、陽気な笑いであるから「バーディーの後が13打か!」の言にも腹は立たない。結局アウトは55打であった。それでもあの舞い上がり、落ち着きのない心境で、グロス103は良しとすべきか。気の置けない仲間とのコンペであったから、笑いで済んだ、忘れ得ないコンペになった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月22日 (木)

晴天のもとで、グラウンドゴルフと焼肉を。

色々な約束や行事を繰り下げて来たので、秋から年末にかけてはその実行で忙しい。久しぶりのゴルフを楽しんだ2日後、18日は宮崎市での従兄妹会に出席、翌日は宮崎県綾町を弟夫婦と観光して夕方に帰宅。その2日後の今日は霧島で、グラウンドゴルフを約束していた。大いに遊ぶ事で健康を維持しているのだと、都合の良い理由を付けて家を空けているが、幸い今のところ疲れは感じない。グラウンドゴルフは町内の愛好会で、週2日はプレーしているが、今日のそれは霧島の広々とした本格的コースで行うので、楽しみでもあった。

熊本のMさん夫婦と、霧島のコースで待ち合わせた。昨日の電話ではプレー終了後、拙宅で一泊する予定であったが、都合で日帰りしなければならなくなった。姶良町からHさん夫婦と僕等夫婦4人は、9時頃霧島に向け出発した。今回はプレー終了後、本年2回目の焼肉をするために、何時もは食えない高級肉を2キロ買って行くとかで、肉が大の好物というHさんは満面の笑みである。主目的はどちらかと言うと、焼肉のように思える。

好天ではあったが、高地にある会場なのでジャンパーを用意したが、プレー中に汗が出始めて、爽やかさより暑さを感じる程であった。3組とも自前のクラブとボールを持っているので、それなりの興味を持っているハズである。

ただ、実戦となると僕等夫婦が、多分回数的には多い。負けるわけにはいかず、何時もより真剣にプレーしたが、慣れない深い芝に梃子摺った。僕は何とか面目を保ったが、負けなかったという程度であった。

広いグラウンドで、のびのびとクラブを振れて、6人は和気藹々、大きな声での笑い声が響く。ここら一帯は「霧島高原 国民休養地」と呼ばれ、ゴルフ場、キャンプ広場、乗馬クラブ、テニス、プール等もあり、コテージ9棟、温泉も付属している。

広々としたグラウンドゴルフImg_2672Img_2678場。 G・ゴルフと言えど入念な素振り。

3ゲーム終了後、焼肉をするため場所を変え、バーベキュセットで炭を熾し、肉を焼きだした。流石に長年主婦を務めた女性群。てきぱきと野菜などを添えて、焼き上げていく。亭主達は食べる役に徹して、ビールを片手に、特にHさんは実に美味そうに口に運んでいく。

にんにく、玉葱、ナスも、幸せそうなこの笑顔

Img_2686

本日が誕生日というM夫人に、全員で祝意を込めて乾杯をするが、亭主のMさんは帰りの運転があるので飲めない。人並み以上に酒好きのMさんは、美味そうに飲む僕等を見て、苦しかったに違いない。用事で早めの帰宅をするMさん夫婦と、4時半頃に別れ、僕等は近くの関平温泉で汗を流し、H夫人の運転する車の中で、ウツラウツラしながら帰宅した。明日は又8時から、町内愛好会のグラウンドゴルフに、参加しなければならない。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2009年9月10日 (木)

まぐれだったのか優勝は?

所属する会の名前は「寿栄広会」(すえひろかい)と言う。僕等夫婦が参加している自治会のグラウンドゴルフの名称である。

男女ほぼ半数ずつの26名が登録しているが、そのうちの17~18名がほぼ毎回試合に出てくる。週3回、日曜、火曜、木曜が試合の日であるが、僕は普通2回程度参加する。夏は8時から、冬は8時半からの試合開始で、朝に弱いことも大きな理由であるが、3回も拘束されることは辛いから。

毎試合のデータは、会の長老がパソコンに保存して、年4回の大会時にプリントアウトして全員に渡してくれる。試合回数、スコア、平均スコア、ホールインワン回数等を。加えホールインワン1回に50円を貯金箱に入れる決まりなので、貯金総額なども知ることが出来る。多い日は合計10回程度出るので500円貯金できる計算だ。

今月6日は今年3回目の大会日であった。マイクロバスで7時半に出発し、北上すること50分で、薩摩町観音滝公園に付属する公認グラウンドゴルフ場に到着した。公認されているだけに実に立派なゴルフ場である。

観音滝グラウンドゴルフ場

Img_2298

難コースと思えたのか、多くの人は「ホールインワンは余り出ないいであろう」と言っていたが、結果4ゲームで21名が22個のホールインワンを量産したのである。何時ものごとく和気藹々、あちこちから笑い声や嘆きの声が聞こえてくる。老人のスポーツと思い込んでいたので、「とうとう俺も年寄りの仲間か」と寂しく感じる時期があったが、思い切り笑える雰囲気に溶け込んだ現在は、入会して良かったと真実思える様になった。

試合風景

Img_2299

温泉に入るのも、高齢者の楽しみである。僕は皆と一緒でなければ、1時間半程度は入浴するのが普通であるが、今回はそうは行かない。成績発表を兼ねた食事会、というより宴会が待っているのだ。焼酎を除き料理とビールの代金は、ホールインワンで積み立てた金額で賄えるらしい。焼酎は会員の差し入れで十分だし、料理はそれなりに美味い。

成績発表に先立ち優勝カップの返還が行われたが、実は前回の優勝者は僕であった。言うところの「ビギナーズラック」で、僕は転居直後に行われた部落の大会で準優勝、前回の「寿栄広会」大会で優勝してしまったのだ。全くの幸運としか言いようが無いのである。

その証拠に今回はホールインワンも出せず、成績も惨憺たる結果であった。成績が発表され、優勝者の弁など一連の儀式が終了し、いよいよ飲み会が始まった。

職場の飲み会や、同級生達との飲み会以外に、特別な繋がりの無い人たち、なかんずく男女高齢者達との飲み会は、退職後当地へ引っ越してから初めて経験するものであった。

宴たけなわになると、歌、踊りが始まる。今回は昼間の宴会であり、プレーがメインであるから、三味線の用意は無いが、太鼓だけは宴会場に常備されていた。夜に行われた前回は太鼓、三味線(当地の言い方ではテコシャンセンと言う)に仮装が飛び出し、余りのおかしさに涙が止まらなかった。ちゃんと自前で衣装を買い揃え、隣の部屋でそれらに着替えて、自分の番に備えているのである。何処にも役者がいるものだ。一見そんな事をするように見えない人が、真面目顔でするから余計可笑しい。

役者揃いの寿栄広会

Img_2307

カラオケも二人で

Img_2315

おはら節を全員で

Img_2323

実に楽しそうに踊る男女

Img_2332

歌以外に芸を持たない僕などは羨ましくて仕方ない。カラオケで歌うくらいでは、皆に受けない。三味線でも習っておけば良かったと思っても、後の祭り。ひょっとすると太鼓くらいは叩けるかもしれないが。宴も終盤になると、有名な鹿児島民謡「小原節」が必ず始まる。先ず女性の殆どが自然に皆が立ち上がり、踊りの輪を作っていく。まさに見事である。若い頃から踊りつけているのであろう。僕も習いたいと思った、と言うより習わねば仲間になれないのではと、焦りさえ感じた。

かくして、予定時間の2時間を軽くオーバーして宴会も終了。帰りの車中も笑いの渦の中、次回12月の大会を楽しみに帰途についたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 9日 (木)

指宿市なのはな館予約した!

今年1月、僕の68歳の誕生日に初マラソンに挑戦した等と、感激と興奮の余り大げさな表現でブログに記したが、その菜の花マラソンは来年は1月10日に行われるらしい。今年も前日に宿泊したが来年も前泊したいので、今年宿泊した「なのはな館」の予約を取るべく姶良町から指宿市へ向かった。

県の社会福祉協議会が管理運営している「なのはな館」は12室の部屋があり、60歳以上の人が優先利用できる。温水プール、芝生の広場、工芸室、視聴覚室、体育館、音楽室などを備え、一人2,100円程度で宿泊できるので有難い。

立派な建物と部屋なのにかなりの低料金である事から、昨年は篤姫ブームにも後押しされて結構多くの人が利用したと聞いている。僕も他県からの友人等を誘って6泊か7泊した。

低料金の魅力が一番であるが、マラソンのスタートがその建物の前(フルマラソン)とその近く(10キロマラソン)から行われる事も魅力である。そのために是非予約が欲しかった。

半年前から予約受付をする事を知っていたので、昨年は予約前日に宿泊して、翌朝事務所へ一番乗りして予約できたのである。今年もその手を使おうと宿泊を頼んだが満室であった。

そうなると当日事務所へ出向き予約するしか方法がないので、60キロ以上離れた「なのはな館」がある指宿市まで出かける事にした。当然電話での予約も可能ではあるが、先ず電話は話中の連続で繋がる事はない。それだけ人気の宿泊施設なのだ。

早朝6時朝食も採らず家人と二人、高速道路を使い鹿児島市まで出て、途中まで指宿スカイラインを、そのあと国道を南下して指宿市へ2時間弱で着いた。開館時間9時前には僕と同じように、何名かが事務所前で開館を待っていた。

有難い事に担当者が昨年の数回の宿泊で僕の名前を覚えてくれていて、それでなくとも早朝から待っていた事を知って、9時ジャストに受付をしてくれ予約を完了した。予想通り9時前から電話のベルが鳴っていた。これで来年は遠路早朝から出てくる必要もないので、ゆっくりスタートの準備が出来る事になる。

あとは今年同様完走して、望むらくは1時間の壁を切るように毎日30分の走り込みを続けたい。特筆するような出来事ではなかったが、予約が取れたことで気が楽になり、途中の道の駅で鮮やかな赤色の「ニューギニア インパチェンス」と山野草の「高隈ほととぎす」を買って帰る途中、突然降ってきた雨に驚きながら家路を急いだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月 6日 (月)

パークゴルフを初めて経験!

昨日の釣りについて概要だけを、本題については少し詳しく記す事にする。元同僚のK君と昨日朝5時に重富港を出て10分、僕は初めて行く釣り場であったが国道10号線から200メーター沖に投錨した。水深は約90メーターで、かなりのうねりと時折降る小雨に祟られ、正午までに25,6センチのアジ10匹余、アラカブ(カサゴ)4匹(大型1匹含む)、K君はさすがベテランでアジはほぼ同数であったが、1キロ弱のヒラメを釣り上げ僕をびっくりさせた。そこでは他にタイ、カンパチ、コチが上がるらしい。

彼から借りた電動リールが無ければ、到底90メーターを手動では不可能であった。23フィートのボートが終始横揺れして不安定な状態での釣りであったが、周囲にはもっと小型のボートやゴムボート等が5,6艘出ていた。

先日熊本の友人O君宅に寄った際、「グラウンドゴルフも面白いが、パークゴルフも今全国に普及しているらしい。僕も小林市で何度か経験したが、芝生の上で思い切りクラブを振れて、ボールがカップに入った時の音が心地良い」と盛んにプレーを勧められ、情報誌を貰って帰った。

Mさんも興味を示したので近いうちにプレーしようとの約束が成った。プレー内容は凡そ想像は出来るが実際やってみようと思い立ち、思い立ったが吉日とばかり、朝食後O君から貰った情報誌に掲載されていた霧島市福山町の福山パークゴルフ場に予約を入れたのである。

姶良町から東へ30キロ程度あろうか、家人と二人10時頃には同所へ着いた。青々とした芝生の上で10数名の人達が、予報どおり晴れた青空の下で楽しげにプレーしていた。事務所に行き、初めてであることを断り説明を受ける。

福山パークゴルフ場

Img_2000

9ホール(グラウンドゴルフは8ホール)を2回廻り、その打球数を競うもので、ルールもエチケットも殆どゴルフと同じで、バンカーもありOB杭も設けられていた。クラブもボールも無料で貸してくれるが、プレー料金は9ホール2回、すなわち1ラウンド300円であるが、2ラウンド以上終日プレーしても600円であるとの由。

クラブとボール

Img_2006_2

僕等は終日券を自販機で買い、早速プレーを始めた。二人ともグラウンドゴルフに週1回以上参加しているので特段難しいとは思わなかったが、グラウンドゴルフでは距離が50メートル程度が最長であるのに、パークゴルフでは70~90メーターもあり、距離感に加え腕の力も必要となる。

バンカー

Img_2014

グラウンドゴルフと違いゴルフと同じように穴(カップ)があるので、カップインしたときの音が心地良い。尤もゴルフに比べると超大きい穴であるが。クラブの形もグラウンドゴルフのそれとはかなり違った形状で、ボールはさほど変わりないように思えた。

平日で且つ予約客が少なかった事から、スムースに3ラウンドを100分程度で廻れた。距離が長い事とラフが粗い事で、中々ホールインワンは出難いと思われる。面白みに大差はないが、距離が長くパー数がホール毎に違う点は魅力かもしれない。整備された土地が必要になるため、グラウンドゴルフみたいに、狭い土地で簡単に始められない事が難点で、プレー料金が必要なのはゴルフと変わりない。

プレーする人達

Img_2016

広い土地と設備にかなりの費用が掛る事からゴルフ場が多くないので、グラウンドゴルフ程プレー人口は多くなく、加え急速にゴルフ場が増えていくことも考え難いが、愛好者は徐々に広がって行くであろうことは予想できる。初めての経験であったが、二人ともまあまあのスコアでプレー出来たので気分良く同所をあとにした。明日も朝8時からグラウンドゴルフの例会だ。何とか元気でプレーできることは実に幸せな事であり、両親や周りの多くの人達へ感謝である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月26日 (日)

4度目のマラソン、なんとか完走。

4度目のマラソン、10キロコースは2度目である。風邪が完全に治っていないので、正直なとこ自信が無かった。何とか体力に自信を付けようと考え、23日のゴルフコンペでは今日を意識して、一度もカートに乗らず全ホール駆け足で廻った。

本日の会場は鹿児島県湧水町(旧栗野町)の栗野工業高校付近である。僕が住む姶良町から高速道で約20分、7時40分に自宅を出た。一緒に行く予定であった家内は自治会の資源物収集立会いの為に、前回に続いて今回も一人で出掛けることになった。

既にかなりの車があちこちの駐車場に駐車していたが、それにもまして多かったのは小中学校の生徒達で、揃いのウインドブレーカーを身に纏い、いっぱしのランナーである。将来有望な選手この中から出るかも知れない。

今日は寒かった。曇り日和に加え風が強く、多くは長袖を身に纏っていたが、さすがスタートする時は殆どが半袖かランニングシャツ姿に変身。

撮影を頼む人がいないので、記録するチャンスが限られる。周囲の状景は撮影したが、自分の姿格好は係りの人に頼んで撮って貰った。それでもスタート時とゴール時の撮影は出来なかった。

1.5キロ、3キロに続いて10時26分に10キロコースがスタートした。(5キロコースは我々の5分後にスタート)男女350名であった。前列に並んだので暫く走ったが、皆のスピードが速い。いや速過ぎる。100メーターも走らないうちに、息が乱れ呼吸が苦しくなった。一瞬これは何時もと勝手が違う、今日は完走出来ないのではとの弱音が頭をよぎった。どんどん追い越される、こんなはずでは無いと自分に言い聞かせても、息が弾んで喉が痛くなる。

女性ランナーに越されるのは実に辛い。後ろに続くランナーの数が気になって後ろを振り向いた。かなり少ない。先輩ランナーがある時アドバイスしてくれた。「順位を気にせず、回りの景色を見たり、鳥の声を聞くようにすれば楽になるよ。マイペースが一番だよ」と。でも、僕にはそんな余裕は無かった。

気持ちを完走に切り替えた。気持ちの何処かに、時間より順位を気にしていたのは事実である。その気持ちを断ち切ったとき少し楽になった。それでも3ヶ月ぶりの10キロ走である、前途を考えると何故5キロにエントリーしなかったのか後悔もした。それでも3キロ位走った頃には、呼吸も楽になっていた。

何とか完走出来た。しかし急坂の2箇所で、余りの勾配に足が上がらず歩いた。歩く人が結構いたので、気持ちは楽であった。残り1キロで時計を見た。前回は5分超過したので、今回は60分を切りたかった。が、残念なるかな50秒オーバーして、タイムは60分50秒であった。順位には満足できなかったが、タイム的には5分ほど短縮できたので良しとすべきであろうか。

湧水町のこのイベントに掛ける熱意には頭が下がる。ボランティアも多数参加しており、係員の親切は身に沁みた。記念品や抽選で全員が貰える賞品、温泉入浴券の配布等に掛る費用は、到底参加費では賄えないはずである。アンケートを取り次回のマラソンに活かす等、他の会場ではやっていない積極的な試みは素晴らしい。

温泉で疲れを取り、清清しい気分で自宅へ向かった。なお、350人中の順位は完走証に記録されていなかったが、60歳以上の順位は37人中32位で、いかに完走を目標にしたとしても満足できない順位であった。

賑わう受付会場

Img_1536

開会式

Img_1545

ファミリーコースのスタート

Img_1547

格好だけは一人前の筆者

Img_1548

ゴールするランナー

Img_1550

湯煙は栗野岳

Photo

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年2月23日 (月)

マラソン2回目の挑戦・・・前回の反省生かせず。

聞いたところによると、本日の桜島マラソン(正式名はランニング桜島)は指宿市の菜の花マラソンに次いで参加者が多い大会らしい。会場は鹿児島市桜島横山町の桜島多目的広場で、種目はハーフマラソン、10キロと5キロである。菜の花マラソンもそうであったが、今回も遠くは北海道、宮城県をはじめ28都道府県から480人が参加していた。参加者総数は4、249人との発表があった。

前回は10キロに参加したが、今回の5キロと10キロコースは結構高低差があってハードであると聞かされていた。たまたまジムで一緒に汗を流している男性から、5キロを走りましょうよと誘われて、自分の意思を決定する前に、彼に承諾の返事をしてしまった。前回のマラソンを一緒に走った友人は今回も10キロにエントリーしていた。走行後、5キロコースを選定したことが一番大きな後悔として残った。

昨夜は9時過ぎに就寝、5時に目が覚めた。朝食を採った後、まだ夜が明けてない時間に車で友人宅へ向かった。何時もなら一緒に行動をとる家内と友人の奥方は、二人ともどうしても外せない用事で行けなくなった。このことで、大事な写真が撮れずに、スタートする場面や、ゴールの場面が載せられ無くなった。

待ち合わせた2人を乗せ、姶良町から鹿児島市の桜島桟橋へ向かった。早朝でもあり20分くらいで到着。マラソン参加者の車が多いためフェリーは何時もより混んでいる様子であったが、船内も一目でランナーと判る人達で混んでいた。

余裕ありすぎるくらいの時間であったが、心配は天気であった。予報は昼前後から雨であった。目の前の桜島もその曇天で明るさを失い、小雨に煙っているようにも見える。前回の経験で幾らか要領は心得ていたので落ち着きはあったが、当然初心者であることには違いない。周りの人達が眩く見える。友人と一緒に受付を済ませ、ゼッケン、食事券、入浴券、お土産の陶器、さらには今回の大会名などを印刷したオリジナルTシャツ等を受け取った。到着時間等を発信するチップは前回はゼッケンに埋め込まれていたが、今回はシューズに取り付ける方法を採っていた。

受付会場

Img_0895

靴紐に取り付けたチップ

Img_0893_2

準備体操を行い、開会式に次いで抽選会が行われ、幸運な一人がペアでオーストラリアゴールドコーストマラソンに招待されることになった。

準備体操

Img_0900

車の傍で服装を整え、買っていた栄養ドリンクを飲んだり記念写真を撮ったり、準備万端スタート時間まで軽くジョギングなどを行った。

記念の写真を(筆者右側)

Img_0903

10時のスタート5分前に、何も考えず申告時間30分以上の列に並んだ。ここには菜の花マラソンで、ニコニコ顔で知人に会釈していた地元選出の代議士先生が今回も現れ会釈をしていた。菜の花では結構軽やかな走りを見せ、僕を追い抜いていった人だ。前回のマラソンで「順位を意識するなら先頭近くに並ばないと、決して上位にはなれない」との反省で、次回から出来るだけ先頭に並ぼうと考えていたのに、もうすっかり忘れてしまっていた。実に悔やまれるスタートであった。コース距離が短ければ短いほど、皆のスピードは速くなるハズである。みんなの力が拮抗しているなら、追い抜くのは難しくなる。理屈的にはそうであり、実際もそのようであった。10キロのときよりペースは速かった。この時点で5キロを選んだ事を後悔し、次回からは10キロに挑戦することを決心した。

完走が目的であるなどと言いながら、心のどこかにどうせ走るのなら上位に食い込みたいという気持ちが強くあったのは否めない。前半は平坦か下り坂が多いので、なかなか追い抜けない。皆も飛ばすからだ。焦りが出てきた。スタート位置の選択を間違ったことを悔やみながら、最後の1キロ前あたりからスパートを掛け、50名程度を追い抜いたであろうか。

考えの無いことに、昨日は自分のスタミナ年齢を知りたいと思い、ジムのスタッフから測定してもらったのである。出来るだけ若い数値が欲しいと、何時もより付加の大きい数値を設定した測定機器で腕力、脚力、背筋、腹筋等を測定した。結果40才台の数値が出て満足したが、今日はそれが裏目に出た。足の筋肉が痛みを伴い熱く感じるのである。違和感を意識しつつ、何とかゴールした。

流石に短いコースなので、疲れて歩く人は少なかったが、僕も歩きたい衝動に駆られた時間があった。足が攣りそうなのである。何故なのか最初はわからなかったが、やがて昨日の体力測定の結果であることに思いついた。やはりベテランランナーが言うように、走る前日は何もせず体を休めるべきであることが理解できた。幸運なことに走り終わっても雨は落ちてこなかった。

ゴールするランナー

Img_0909

前述したように、撮影者がいなかったためにスタート時の写真が取れなかったのは残念であったが、ゴール時の写真は走り終えた後撮影した。僕の記録は29分21秒で993人中371位で、もっと悔しかったのは60歳代104人中57位で、半分にも入れなかったことである。記録より完走とは言うものの、記録として完走証に印刷されるので、やはり早いに越したことは無い。

ゴール前300メーター付近の力走

Img_0915

完走証を受け取って、着替えをするべく車に戻って暫く、前方の桜島を見ると、実に何秒か前に爆発したのであろう。噴煙をもくもくあげた姿を目前に見ることが出来た。これほど近くで噴煙を見たのは初めてのことであった。

噴煙を上げる桜島

Img_0913

噴火後の桜島

Img_0919_2 

温泉はごった返していた。入浴券が配られているので無理も無い。それでも汗を流しさっぱりした気持ちで、さて配られた飯でも食おうと言ったら「いや、走った後はビールが旨い。帰宅してからビールを飲みながら食いたい」と言う。「なるほど、それはそうだ」と、それでも我慢できず本日の為に増発したらしいフェリーのなかで、1杯400円なりのかけうどんを食した。桜島から鹿児島まで15分くらいの所要時間、満足と後悔の入り混じった気持ちで自宅へと向かった。4月に3回目の挑戦が待っている。自宅近くで本降りの雨になった。

鹿児島市の桜島桟橋に入港するフェリー

Img_0916

小雨に煙る鹿児島市

Img_0917

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年1月12日 (月)

マラソン初挑戦、結果は?

昨日、11日は僕の68回目の誕生日。奇しくもマラソン初挑戦の日となった。日本で一番早く開催されると聞いている、鹿児島県指宿市の「なのはなマラソン」である。僕と同じ10キロコースへエントリーしている友人と、夫人、家内と4人で前日から指宿市入りして当日に備えた。話には聞いていたが、聞きしに勝るその人出の多さにビックリ。スタート30分前にはランナー、応援者がスタート道路や歩道にビッシリ。圧倒されるほどの人、人、人。報道によるとエントリー者は史上最高の18,000人との由。フルマラソンに15,000人、30分遅れでスタートする10キロマラソンには3,000人参加するらしい。その人達が道路狭しと熱気ムンムン、スタートを待っている。僕も少々興奮状態になってきた。

スタートの合図を待つフルマラソン出場者

Img_0638

約1年4ヶ月、スポーツジムのランニングマシーンで30分程度のランニングとウオーキングを続けてきたので、その成果を試してみるかと言う位の軽い気持ちでエントリーしたのであるが、結構多くの友人達に知れ渡ったので、名誉のためにも必ず出場しなければならなくなった。

運悪いことに、昨年の大晦日にファンヒーターを動かそうとした際に、言うところのギックリ腰になってしまった。もう正月どころではない、笑いものにならないためにも必死で治療して、何とか走れるまでに回復した。ところが昨年12月始めに友人から移されたと思われる、質の悪い風邪を引いてなかなか治らない。若い頃は風邪など病気とも思っておらず、熱いお湯に浸かって一晩寝れば治っていた。それが今回は治らない。医院を変え耳鼻咽喉科の治療を受けたら少しずつ快方に向かったが、やはり完治してはいない。

自己申告でフルマラソン、7時間以上のランナー達のスタート待機場所。

Img_0640

結局、不安を抱えたまま当日を迎えたのである。初めて経験するマラソンであるので、目標は完走である。高々10キロだから歩いても2時間では帰ってこれると自分に言い聞かせて、当然のこと順位とかタイムは全く考えずスタートした。高ぶった気持ちはスタートを待つ間だけで、走り出したら意外と平常心で、沿道の応援者へ手を上げて応える位の余裕も出てきた。

スタート前の筆者と友人

Img_0656

10キロマラソンをスタートしたランナー達

Img_0664

早い人達に迷惑を掛けないように、スタート時に並ぶ位置は真ん中からかなり後ろに取っていた。皆はただ黙々と走る。殆ど話し声も聞こえず、靴音だけが聞こえる。応援者の「がんばれ」の声が十分後押しすることも実感できた。懸念していた腰の痛さは、往路は殆ど気にならなかったが、ゴールが見えてきた頃から重く感じてきた。

折り返しまでは余力を残そうと考えていたので、自分のペースを守り追い越されても追いかけず、追い越せる人は追い越した。折り返しを過ぎて余裕が出来たので、少し試してみるかと言う気持ちになり、ペースを速めた。不思議に息の乱れも無く、足の痛さも感じない。少し、痛めた腰に違和感を覚えたが、ひょっとすると結構な人数を追い越せるのではとの気持ちが沸いて出て、試してみたくなった。結局、復路の5キロで250人位は追い越せたようだ。

1時間5分でゴールしたが、近くでいまや遅しと待っていた家内と、友人の奥方の前で手を上げるだけの余裕が残っていたし、殆ど疲労感は無かった。貰った「完走証」に印刷された記録は、2,963人中1,328位であった。一緒に走ったベテランの友人は「最初にしてはその年齢で上出来だ」と褒めてくれたが、お世辞と判っていても実に嬉しいことであった。その後食べた「うどんとおにぎり」は満足感も手伝ってか、非常に美味であった。記録云々よりも完走できたことが嬉しく、ほのぼのとした気持ちで指宿市をあとにした。

まあ、何とかやれそうに感じたので、2月に行われる「桜島マラソン」にも出場すべく申し込みを予定している。欲張って来年は記録に挑戦したいと夢は膨らむ。たった1回の、しかも10キロ程度のマラソン完走で、こんなにも自信がつくのだろうか。ひょっとするとゴルフより走ることへの情熱が勝ってくる年になるかも・・・・・・。

ゴール直前の筆者

Img_0670

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年11月 4日 (火)

スポーツジム通いも1年過ぎた。

昨年8月から、体力保持を目的に車で8分くらいの距離にあるスポーツジムへ通い始めた。自他共に認める「熱しやすく冷め易い」タイプの人間。多分半年で止めるだろうとの、大方の予想に反しとうとう1年3ヶ月目に入った。自分でも実に不思議なのである。

どうも心底には、運動を持続することで病気への不安を帳消しにする、すなわち運動しても病気することは当然あるのだけど、運動がある程度の抑止力になるはずだと思っているのかもしれない。とりわけランニングマシーンで走って、汗を噴出させていると「これだけ運動しているから、病気にはならんだろう」と理屈にならない事を納得している自分がいるのである。

かくして殆ど毎日、気が乗らない日も家内に押されて通い続けている。計算すれば、毎日ビール1本分に相当する料金をジムに支払っているのだから無駄は出来ない。利用者の約2割弱が男性、8割以上が女性であり、プールで顔を合わせる女性は殆どが60歳以上のようだ。ま、その面での楽しみは皆無に等しい。

自分の運動シーンを残しておこうとデジカメでの撮影を思い立った。ところが施設での写真撮影はプライバシーの侵害の恐れがあるので、ジムのスタッフに許可を貰えとの貼紙。おばさんたちの水着姿など・・・思いつきもしないのに。

結局、僕の運動シーンをそこのスタッフが撮影してくれることになった。DVDに保存したデジカメ写真は相当枚数になっているはずだけど、実際それを改めて見る日があるのか判らないが、とりあえず残しておくことにした。

子育てを終えたおばさんたちに混じって、多分ただいま子育て真っ只中と思しき年齢の女性達が、エアロビック等で汗を流している。夫婦共稼ぎが多いと言われるこの時代に、健康のためとはいえ昼間からジム通いが出来る身分は実に恵まれているように思える。多分高給取りの夫を持っているのだろう。ふと、遠く神戸の地で、共稼ぎしながら子育てしているわが子を思いやった。

25メータープール(平均300メーター~500メーター泳ぐがサウナと水風呂が楽しみでプールに来ているようなもの)

Photo

マシーンでのランニング(時速5.5キロ5分間のウオーキング後、8キロ25分~35分のランニング)汗かきのために鉢巻は欠かせない。ハゲ隠し用にも。

Photo_2

その他、ストレッチ体操から始め、ダンベル、腹筋、背筋、足、腰を鍛えるマシーンで約40分程度の運動を。壁のストリーマーに「継続は力」と大書してあるが、真実かもしれない。バタ足を200メーター以上続けられるようになった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)