学問・資格

2009年8月 1日 (土)

第3回考古学講座を受講した。

殆ど午後から行くスポーツジムに、今日は午前中行った。35分間ランニングした後、何時もだとその後に水泳をするのであるが、今日は疲れたくなかったので水泳抜きで、サウナと水風呂に入りそのまま上がった。理由は午後行われる講座受講中に、疲れて居眠りする事が怖かったからである。

今日は第3回目(座学としては2回目)の考古学講座受講の日である。最近は読書中は勿論の事、パソコンに向かっている時でも眠気が差して、首が折れるのではと思うほどの居眠りをする事がある。ジムでの運動が影響している事は間違いないようだ。

40名程度の受講者であるから、居眠りすると目立つ。眠気覚ましにPET入りのアイスコーヒーまで持ち込んだ。一時睡魔が襲ったが切り抜けた。先生の講義が旨かったせいかもしれない。

講師の先生は県埋蔵文化センターに勤務している、縄文土器の権威者らしい。前職は中学校の先生であったとの事で、話し方、進め方も上手である。まだ30台と思しき年齢であるが、自信を持って熱く語る講義は人を飽かせない。

前述したが受講者は41~42名で、女性が半分以上占めていた。夏休みのため中高生も5名ほど受講していた。中高生時代の僕には考えられもしなかった事だ。何かの切っ掛けで興味を持ったのであろう。彼等が賢そうに見えた。

「縄文土器の不思議」と題しての講義であったが、かの岡本 太郎でさえ縄文土器を始めてみたときには、「隆線文に思わず叫びたくなる凄みを感じた」とか、「身体中に血が熱く沸き立ち燃え上がると、土器も燃え上がって異様なぶつかり合いを感じた」とか、凡人の僕などには到底理解できない心情などが紹介された。

明治10年に来日したアメリカの動物学者のモース博士が、コードマーク即ち縄文と訳した事、土器の誕生地として3つ上げられるらしいが、日本列島が発祥の地であると決定付けて良いほど、日本列島は世界の中で最も早い時期に土器を製作・使用した地域の一つである事、日本列島でも南九州が最も早い時期に土器を製作・使用した地域の一つである事なども知った。

縄文土器の研究から判ることとして、縄文土器は時間を計るものさしである事、人間集団のまとまりや、広がりを知る事が出来る事、生活様式の一端を窺い知ることが出来る事、交流の実態を知る事が出来る事、縄文人の”こころ”を探れる事などの説明には、土器が単なる粘土で作った食器くらいにしか考えていなかった僕には、目からうろこであった。

特に何百キロも離れた地域まで徒歩で行き、別の集団と交流をしていた等、初めて知る事実であったし、壊れた土器を補修しながら使っていた縄文人のこころ等を想像しながら、その時代に思いを馳せる時、考古学の研究者はロマンを持って、熱く語るはずだと納得した。

受講風景

Img_2129 

火焔型土器

Img_2127_6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月11日 (土)

「上野原縄文の森」の考古学講座を受講した。

ずっと前から行きたいと思っていた所があった。実は先日家人と一緒に福山町でパークゴルフをしての帰途、そこに立ち寄った。霧島市国分の「上野原縄文の森」である。そこへは国分インターチェンジから国道10号線を都城へ向かって進み、横道の丘を登ると約15分で到着する。当日は県立埋蔵文化センターは開館されていたが、展示館や復元された集落など見たいと思っていた所は休館日で見学できなかった。

殆ど人影もなく、車も走っていないのに、駐車場には50台以上が駐車している。何故だろうと埋蔵文化センターを訪ねた。ご自由に見学してくださいと実に親切そうな受付嬢から言われ、勝手に最初の部屋に入った。

その部屋は殆ど女性であったが7,8名が、出土した大昔の土器を粘土と接着剤を使い修復する作業をしていたのである。初めて見る作業風景であった。隣の部屋ではここでも多くが女性であるが、20数名の人達が多数の土器の破片をジグゾーパズルよろしく、組み会わせる作業を行っていた。駐車場の車は彼女等のものであった。

作業の邪魔ではと思ったが、素朴な質問をしたら彼女等は作業の手を休め、丁寧に説明をしてくれた。なるほど「気軽に質問をどうぞ」との張り紙が部屋の前に貼ってあったようだ。何かしら誇らしげに仕事をしている雰囲気が読み取れた。

修復作業する女性達

Img_2022

Img_2027

その時に持ち帰ったリーフレットで、「南九州の縄文に学ぶ」と題した考古学講座が21年度中に5回開かれる事を知った。座学は2回目からである事も判った。僕は昔から考古学に興味があったわけではないが、歴史は大好きで蔵書の9割は所謂歴史ものと呼ぶ本であるし、史談会と言う歴史愛好会の末席を汚してもいる。

少し空想の世界に浸って見るかと言うくらいの軽い気持ちで、残り4回の講座への参加を申し出た。その第2回目の講座が今日行われるので、約1時間掛けて先日訪れた縄文の森へ出かけたのである。

約50名の男女が出席し、まだ若い高校の先生が講師である。流石に良く勉強しているので、ものを知っている。質問にも澱みなく答えてくれる。日頃は若い生徒達が相手であるが、今日は殆どが年長者であるから授業態度も気を遣うのであろうか、「緊張する」という言葉を何度か口にした。生徒達もまた真剣であった。

講義風景

Img_2044

講義は「縄文時代ってどんな時代」と題して2時間行われた。縄文時代の定義、世界史との対比、縄文土器の形式を年代毎に比較したり、年代の特定には炭素14を使うことなどの説明があった。

今朝は7時半からあじさいロードの花摘み作業に参加したあと、ジムで汗を流していたので幾らか疲れがあったのかもしれない。講義の途中で強い睡魔に襲われ、お茶を飲んだりガムを噛んだりしたがそれに勝てず、先生には悪いと思いながら何度か居眠りをした。

終了後、先日見ることが出来なかった「復元集落」や展示館に展示されている土器類(驚くほど多数の土器、石器類等が展示されており、時間内に全て見ることが出来なかった)をカメラに収めたりして、知るは楽しみなりを実感した日であった。

復元集落

Img_2046

展示されている土器類

Img_2051

1,800年前の土器

Img_2056

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月17日 (火)

「こんばんは」だったのだ!無知が恥かしい。

一部の人から批評されていたかもしれない。「こんな表記も知らないのか」と。今日、ケイタイ(携帯電話)でメール交換している人から「気を悪くしないでください、あなたが使っている(こんばんわ)は(こんばんは)と書くのが正しいのでは」と指摘されたのである。

まさしく僕は「こんばんわ」「こんにちわ」と書いていた。相手が「こんばんは」と書いて送ってきても、「こんばんわ」で返信していた。パソコンでのメールでも同じである。携帯電話、パソコン両方併せて交信相手は50人程度であるので、その人達からひょっとすると僕の無知を笑われていたのかもしれない。あるいは気付かない人もいたかもしれない。

その間違いを確認する今の今まで、自分の間違いを知らずにいたのである。僕は1941年生まれであるが、「こんばんわ」が間違いで「こんばんは」が正しい使い方であることを学校で習ったという記憶がない。昔から「こんばんわ」が正しいと思い込んでいるから、「こんばんは」「こんにちは」で送信されるメール文に対し「何故こんな書き方をするのだろう」と相手が間違っていると思っていたのである。

指摘されて、早速パソコンで検索した。世の中の多くの日本人も結構この使い方で悩んだらしい。「Yahoo知恵袋」での投稿では「いい年をした大人が(こんばんわ)では恥かしい」なる痛烈な批判意見が2件あり、僕もその一人の大人であるから、恥かしさを感じなければならないのであろうか。さらに殆どの人が「こんばんは」と書くのは当たり前(その理由は知らなくても)であるとの意見を述べており、このことから日本人の多くが「こんばんは」なる正しい使い方をしていることを知った。

僕は何故「は」と表すのかその起源を意識せず、単体で「挨拶の言葉」として理解していた為「わ」と表記していたのである。

僕と同じ過ちをしていた人の為に、ネットで検索した「語源由来辞典」から「こんばんは」について記す。

「こんばんは」・・・・・こんばんはとは、日が暮れてから人に会ったり、人を訪ねたりしたときの挨拶の言葉。「こんばんわ」と書くのは間違い。                           

こんばんはの語源は「今晩は〇〇ですね」の「今晩は」。「今晩は」以下を略すようになり、「こんばんは」となった。昭和61年に内閣から新しい現代語仮名遣いいが告示されるまでは、「こんばんは」は「こんばんわ」の表記が正しいとされていたため、それ以前に教育を受けていた人は「こんばんわ」が正しいと思ったままでいる事もある。また、「は」と書くより「わ」のほうが「和」に通じて、親しみやすい印象を受けることから、誤表記と知りつつ、あえて「こんばんわ」と表記されることもある。

これを読めば、昭和61年以前に教育を受けた僕は(習った覚えはないが)、「こんばんわ」と表記していても許されそうな気もするが、昭和61年の告示を知らなかった謗りは免れない。僕の為に言いにくいことを言ってくれた人に、感謝したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)